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無意識に男性を“ソノ気”にさせてしまう28歳女。上司から届いた勘違いLINEに嫌気が差して…

  • 2024.3.19

麻布には麻布台ヒルズ。銀座には、GINZA SIX。六本木には、六本木ヒルズ…。

東京を彩る様々な街は、それぞれその街を象徴する場所がある。

洗練されたビルや流行の店、心癒やされる憩いの場から生み出される、街の魅力。

これは、そんな街に集う大人の男女のストーリー。

▶前回:妻子を大阪に残して、東京へ単身赴任中の39歳男。ある夜、紹介された年下美女と意気投合してしまい…

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Vol.6 『女性の幸せ、自分の幸せ/六本木ヒルズ』紗耶(28歳)


「あれ、このメッセージ…?」

赤坂にある広告代理店で働く紗耶は、スマホを見ながら眉をひそめた。

ゴルフ練習仲間である会社の上司、前園からの妙なメッセージ。その意味を、すぐには読み取ることができなかったからだ。

『紗耶ちゃん、ごめん。やっぱり軽井沢には行けない。代わりに社内コンペを企画するから、よかったら参加してください』

― 今度ラウンドに行こう、って話してた件かな。軽井沢はNGだけど他の場所ならOKってこと?

『はい。コンペいいですね!楽しみです』

『そう言ってもらえてよかった。気を持たせていたらごめん』

― 気を持たせていたら…?え、もしかして。

前園の脳内では、「ふたりで」軽井沢に行くことになっていたのか。と、紗耶は気づく。

よくあることだ。この世代の男性は、若い女性とちょっと気が合ったと思うと、自分に気があると勘違いをする。

― 私が前園さんのことを持ち上げすぎたかな…。単に、気軽に練習して美味しいご飯に行けるゴルフ仲間が会社にいるのいいな、と思っただけなんだけど。

兄二人を持つ末っ子として生まれ、父の営む会社の社員たちに幼い頃から可愛がられて育ったせいか、目上の男性に気に入られる術を紗耶は心得ている。

そして、日常から無意識にそのように振る舞ってしまうことも、自覚していた。

「だって、しょうがないよね…」

紗耶の毎日は、港区で完結していた。西麻布に住み、港区内のオフィスで働き、夜や休日の出かけ先も港区内。

食事や遊びの相手は、必然的にベンチャー企業の社長やエンジェル投資家などのわかりやすい成功者が多くなる。そして言わずもがなの、港区女子たち…。

そんな毎日を過ごしている紗耶自身も、港区女子と言えるのかもしれない。

― けれど、私には築いてきたキャリアがある。自己研鑽のための勉強も欠かさないし、ゴルフだって真剣に取り組んでる。

慎吾からの「気を持たせていたら」というメッセージを見返して、はぁ…とため息が漏れる。

ゴルフが好きな気持ちを、個人的な好意と受け取られるなんて、不本意だ。

― 異性と普通に仲良くするって難しい。というか、私、軽く見られてる…?

漆黒のバージンヘア、雪のように白く透き通った肌、長いまつ毛に覆われた小さめの瞳。

わかりやすいブランド品は控え、ベーシックなワンピースに華奢なシルバーアクセサリーが定番のスタイル。

おっとりと柔和な話し方は、紗耶を大人しい女性だと思わせるようだ。派手さや自己主張が少ないためか、マッチョイズムの標的になることもしばしばあった。

しかし控えめな見た目とは裏腹に、紗耶は仕事の実力や人脈を広げながら、着実に起業の準備を進めているのだった。

― 私はビジネスの世界で戦っていく。仕事も社交もゴルフも、もっと実力をつけないと…!

紗耶は、その辺りの女性…いや、男性にだって負けるつもりはない、という野心を胸に秘めていた。

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そんな紗耶はラウンドだけでなく、自省のための練習時間を大事にしている。

― いよいよゴルフシーズン!春って最高。

黙々と練習に励む時間は、マインドフルネスに近いものがある。自省のひととき。朝6時からの練習を終えると、モヤモヤしていた気分はいつの間にか消えていた。その爽快感に、ますますゴルフが好きになる。

一度帰宅してシャワーを浴びた紗耶は、六本木ヒルズにあるゴルフショップへと向かった。

「春夏の新作、可愛いなぁ」

ウエアを鏡の前であてながら、色とりどりの春色に心を躍らせていたその時。

試着室から出てきた女性ふたりに、紗耶は目を奪われた。

170センチはありそうな長身の方の女性は、30代半ばだろうか。スタイルの良さを生かして、ホワイトを基調としたウエアをエレガントに着こなしている。

憂いを帯びた瞳は映画女優のようで、遠目からもその存在感は際立っていた。

向かい合ってはしゃいでいるのは、おそらく彼女の祖母だろう。

トップスの袖に大きなブランドロゴ、胸にはスカルのマーク。合わせたボトムスは、目の覚めるようなローズピンクのミニスカート。見るからに玄人向けのウエアを、可愛らしく着こなしている。

70歳くらいに見えるが、楽しそうに新作のゴルフウエアをまとう彼女に、さすが六本木…と見とれてしまう。

― 対照的なふたり。けれど、それぞれの魅力が際立ってる…。

彼女たちが試着を終えて店を去るまでを、ぼんやりと見届ける。

その後しばらく店内を回り、紗耶はなんとなく、いつもより明るめのウエアを購入した。

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「ああ、日差しが気持ちがいい」

陽気の清々しさに、毛利公園へと足が向かう。太陽の光を浴びながら、ショップ袋から覗く春色のゴルフウエアをちらりと見やる。

紗耶はこれまで、形だけのゴルフ女子だと見なされたくない一心で、保守的な色味のウエアばかり着ていた。

― ゴルフの実力をしっかりつけて、好きなものを着よう。自分に似合うものを模索する。さっきのふたりみたいに。あっ…!

毛利池近くのベンチに、先ほどのふたりが座っている。

遊歩道に沿って紗耶がそのまま池に近づくと、年配の女性が紗耶の抱えていたゴルフショップの袋を見て顔を上げた。

目が合いあわてて会釈をした紗耶に、女性たちが頬をゆるめる。

「あなた、さっきゴルフショップにいたわね」

まさか話しかけられると思っていなかった紗耶は一瞬ドキッとしたが、ふたりの笑顔に包まれて自然に言葉を返すことができた。

「はい、同じお店にいました。ゴルフされるんですか?」

「そうね。歳も歳だから、身体の不調もあるけれど…ゴルフはまだ不思議とできちゃうのよね」

ゴルフ好き同士、会話が弾みそうな気がした。紗耶の方から簡単に自己紹介をすると、年配の女性は洋子、長身の女性は美緒と名乗る。

若く見えたがもう80歳過ぎだという洋子は、ゴルフを始めたのはなんと70歳を過ぎてからなのだと教えてくれた。

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「どう、少し座って行ったら?」という洋子からの人懐っこい誘いに乗り、ベンチの隣の席に腰を下ろす。

初めは当たり障りのないゴルフ場の話などをしていたが、気がつけば饒舌な洋子の過去の話が始まり、紗耶はすっかり聞き入ってしまうのだった。

20歳で結婚してから専業主婦で、8歳年上の夫の事業が成功していたために、日本橋で何不自由のない暮らしをしていたこと。

ブランド品や宝石を身にまとい、銀座の高級レストランに通い、海外旅行を楽しむ生活を送っていたこと。

けれど、リーマンショックの直後に夫が他界してしまったこと。

夫の会社が多大な借金を抱えていたことが判明し、愛する夫と住まいと財産、全てを失ってしまったこと…。

「豪勢な生活に優越感を感じていたのは事実よ。でもそれは、社交界の嗜みだとも思っていたわね」

洋子の言葉を聞いて、紗耶は港区を社交場として豪勢な遊びをしている自分の姿を、心の中で重ねる。

「だけど、夫との死別でその必要もお金もなくなって…。50年近く家庭を支えることに力を注いでいたのに、何をしていいかわからなくなったの。生きている意味も見失ったわ」

「それでゴルフを…?」

「やあね。ゴルフってお金がかかるでしょ。そう簡単に始められないわよ」

洋子は笑い、神妙な顔をしていた紗耶もつられて笑顔になる。

辛い話をしているはずなのに明るいエネルギーを感じさせる洋子に、紗耶は惹かれていった。

「ひとりの時間を持て余して…つまらない毎日ながらも、自分に残された時間は有限だと意識していたの」

長年守り続けた日本橋の住宅。守る必要のなくなった今は、どこにでも行ける。

そう思い立った洋子は、いかにして後悔せずに人生を生き切るかを模索しながら東京中を散歩したのだと言う。

行ったことのない街をひとつひとつ訪れ、あるとき洋子は台東区で宝石商の仕事に出合う。

ずっと好きだった宝石の世界。

「大半の宝石は手放していたけれど、夫と一緒に過ごした50年の間に磨かれた審美眼が役に立ったの」

買い手ではなく売り手に回るため、まずは行動、と今までに築いた人脈を辿って買い付けルートの開拓に乗り出し、徐々にビジネスを大きくしていったという話だった。

「結局、お金・時間・自由を全て手に入れたのは70を過ぎてからよ」

洋子は目元の皺を深め、美緒が微笑みながら口を開く。

「私と洋子さんとの出会いも、その頃でしたね」

「そう。美緒さんは大切なビジネスパートナー。会社のWebサイトをデザインしてくれたの。ゴルフに誘ってくれたのも彼女よ」

― おばあちゃんと孫じゃなかったんだ…。

昔話をしながら、和気あいあいと購入したばかりのウエアを見せ合うふたりの姿は、まさしく女友達だった。

紗耶はその光景を見て、感じたままを口にした。

「洋子さん、今幸せそうですね」

「そうね。幸せではあるけれど…夫に頼り切らずに、若いうちから経済力を身につけて自由に生きる人生もあったかもしれない。今となってはそう思うわ」

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私はビジネスを立ち上げて自分の力で成功者になる。自立した女として、幸せになってみせる──。

そう考えていた紗耶も心のどこかで、港区でゴルフをしながら経営者層に取り入ることで、起業の資金調達につながるかもしれない…という淡い期待を持っていた。

しかし、洋子の話を聞いて思う。誰かを頼りにして手にした成功には、それと引き換えに失う時間がある。にわかに、自分の甘い考えが恥ずかしくなった。

「今は、女性も自分の力で人生を切り開くことのできる時代ですもんね」

「そうそう。と言っても、私は自分の人生でよかったわ。悔いなしよ。人生をやり直したいとも、誰かと取り替えたいとも思わない」

空を見上げ、洋子は咲き始めた桜に目を細めた。

毛利庭園で咲き始めた桜が、冬の寒さから目覚め、春の訪れを告げていた。

冷たい冬を乗り越えて、年輪を重ねた樹木が何度も花を咲かせる様子は、まるで洋子の人生のようだ。

― 愛する男性と添い遂げた。そして散っていった桜を、自分の手でまた花開かせた──。きっとそれは、最高に幸せな人生だろろうなぁ。

前園からのメールのことは、いつのまにか紗耶のなかですっかり整理できていた。

ときおりひらひらと舞う花びらの下にいると、時が過ぎ去っていく速さを感じる。つまらないことに引っ掛かっていることが、もったいなく思えた。

「洋子さん、美緒さん。桜きれいですねぇ」

「ええ、綺麗ね」

「ほんと」

六本木という大都会の真ん中で、場違いなほどのんびりとした会話を楽しむ。

世間の常識や価値観は時代によって変わる。女性の生き方だって、変わっていく。

― 私はこの先、どんなふうに生きていくんだろう。どんな幸せの形を掴むんだろう…?

打算的に、野心的に生きる自分も、心のままに生きる自分も、どちらも大切にしたい。

そんなふうに考えながらも紗耶は、買ったばかりのピンク色のゴルフウエアをチラリと覗いて思った。

― このウエアは、自己実現のための人脈を作るゴルフじゃなくて…女友達との楽しいゴルフで着たいな。



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