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「コイツだけは許せない」と思える王妃は「あの人気時代劇」の大妃?

  • 2024.3.16

518年も続いた朝鮮王朝では、国王がまだ未熟なときに政治が混迷することが多かった。ただし、制度としては、国王が未成年で即位すると母親(または祖母)が政治を代行する制度もあった。それが垂簾聴政である。

幼い国王の後ろに簾(すだれ)を置いて奥にいる王族女性が指示を出すのである。実際、垂簾聴政を行なった王族女性は、絶大な権力を持って政治を自在に動かした。

ただし、一族の高官を重用して政権を私物化することが多かった。そういう現実がよく知られていたので、垂簾聴政を行なった王族女性は評判が悪かった。その1人が純元(スヌォン)王后〔1789~1857年〕である。

彼女はもともと23代王・純祖(スンジョ)の妻であった。気の弱い夫の性格を巧みに利用して、実家の安東・金氏(アンドン・キムシ)の出身者を徹底的に重用して、一族で重要な役職を完全に独占した。この例のように、国王の外戚が政治を仕切ることを「勢道(セド)政治」と呼んでいた。

純元王后は純祖の死後も勢道政治を継続させた。たとえば、孫であった24代王・憲宗(ホンジョン)がわずか7歳で即位したときに垂簾聴政を行なって、独断的な政治で庶民を苦しめた。それが7年も続いた。

ぺ・ジョンオクが純元王后を演じていた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)
垂簾聴政を悪用した王妃

成人した憲宗は親政(国王が行なう政治)に取り組んだが、22歳で急死した。すると、純元王后は意のままになる王族を国王として即位させた。それが哲宗(チョルジョン)である。こうして再び純元王后は垂簾聴政を悪用して政治を腐敗させた。実際、二度も垂簾聴政を行なった人は純元王后だけであった。その間、賄賂政治がはびこった。

人気を集めた時代劇『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』では、ベテラン女優のぺ・ジョンオクが純元王后に扮していた。ドラマの中でも純元王后は大妃(国王の母)として権力を維持して哲宗を「操り人形」のように屈服させていた。このように、純元王后は垂簾聴政を悪用した「堕落した王妃」であった。その様子も、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではリアルに描かれていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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