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旧態依然とした価値観の持ち主が、さまざまな面で「アップデート」していく『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』

  • 2024.3.12

配信サービスに地上波……ドラマが見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマに迷った人のためにドラマ作品をガイドしていきます。今回は土曜ドラマ『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』について。

旧態依然とした価値観の持ち主が、さまざまな面で「アップデート」していく

土曜日の深夜に放送されている『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』は、練馬ジムの漫画原作を元に、東海テレビが制作したドラマだ。

この原稿を書いている時点では、主人公の沖田誠(原田泰造)は、さまざまな面でアップデートした人物になっているが、もう一度、最初から見始めたら、誠が信じられないほど旧態依然とした価値観の持ち主で、「一話のときはここまで酷かったのか!」とびっくりしてしまった。

もともとの沖田誠は、会社で「お茶は女の人が入れたほうがおいしいだろ」「(契約を取れなかった部下に)男だろ、押しが弱くてどうする!」と言って社員たちにも疎まれていた。

家庭では妻の美香(富田靖子)が男性アイドルグループを「推し」ていたらあからさまに嫌な顔をし、アイドルのことも「こんな女みたいな男、どこがいいんだか」と偏見を向けるような人物であったし、部屋に引きこもっている息子・翔(城桧吏)の部屋にゲイの友人の五十嵐大地(中島颯太)が来ていることを知っても「なんでそんなのが翔の部屋に」と否定し、BLの二次創作に勤しむ娘の萌(大原梓)にも、「趣味は根詰めるものではない」と言ってしまい、飼い犬からも総スカンであった。

翔から「お父さんのような人には絶対になりたくない」と言われたことがきっかけでショックを受け、そんなときに率直に助言をくれた大地に不思議と誠は心を開きはじめ、一話の終わりには翔に向かって「アップデートをすることにした」と宣言する。

ちなみに、タイトルにはどういう意味がこめられているのかと思って見ていたら、おっさんの履くパンツにもいろいろな形がある、つまり多様であるという意味が込められているようだ。

宣言の通り、アップデートをしていく誠。最初のうちは、趣味のために会社を休んだ社員を叱責しそうになるが、これはパワハラだと反省。「男だから」「女だから」と決めつけることもやめにして、恋愛は男と女だけがするものではないという価値観にも気づき始める。

しかし、世の中には「アップデートなんてしたくない派」もまだまだいるだろう。ここまで気持ちよくアップデートできる「おっさん」なんているのかという声も聞こえてきそうだが、確かに誠に限らず、偏見だらけの価値観でも自分は正しいと思っていた人がアップデートするのは大変だ。なぜなら、そういう人にとって、これまでの価値観を捨てることは自分を否定するように感じるし、新しい価値観を知ることはコストがかかるからだ。

誠は、そんな風にはならずに、日々新しい知識を身に着け、またその知識を元に考えたりしながら変わろうとしていた。しかし、人間誰でも間違えることもある。誠は、アップデートするスピードが追い付かず、大地の交際相手である砂川円(東啓介)と初めて会ったときに、大地の交際相手であるとアウティングしてしまう。

故意ではないのはわかるのだが、これは誠自身が、自分は大地と友人になり、彼への偏見がなくなったからと慢心し、周囲の人にも偏見がないものだと思い込んでしまったことが原因のように見えた。そのようなことは、実際にもあることかもしれない。

昔のやり方に良いところがあっても、ダメなところはダメと指摘することも必要だ

誠は変わろうとしているが、ドラマには次々と偏見を持った人物が表れる。誠の部署に異動してきた伝説の営業マンであり、現在はパワハラが問題となった会社のお荷物・古池正則(渡辺哲)もその一人だ。古池もまた、かつての誠のように「お茶は女性が煎れるもの」と考え、「粘りと根性、飲み会で作った人脈」で仕事をしてきた人物だが、時代は変わり、会社では仕事の面でも部下に追い上げられ「ポンコツ」扱いされるようになってしまった。しかし、自分はポンコツではない、仕事で役に立ちたいと粘った結果がパワハラに繋がってしまったのであった。

「昔のやり方にもいいところはある」、という考え方は私にもある。しかし、「古いやり方の中には明らかに現代にそぐわないものもある」ことも知っている。古いやりかたと新しいやりかたの両方を見せたかったのが話題の『不適切にもほどがある!』なのだろうが、現時点では、パワハラやセクハラに苦しむ人が声を上げることを躊躇してしまいそうになる描写もあると感じる。

『おっさんのパンツ』でも、古池の部分は、古いやり方と新しいやり方を見せる意味合いがある。古池は、会社でトラブルがあったときに、取引先の会社の専務とかつての飲み仲間であったということでアポイントなしで専務に接触し問題を解決する。古いやり方ではあったが、この場合は、同世代のつながりがあって、相手の専務もアポなしの訪問を嫌がっていなかったこと、また専務もかつての技術や経験を生かす場があることを喜んでいたことが功を奏して、このトラブルは一件落着。誠も「今日はすっきり寝られそうだ、いろいろな意味で」と胸をなでおろしていた。このトラブルは一件落着し、誠も「今日はすっきり寝られそうだ、いろいろな意味で」と胸をなでおろしていた。

しかし、このドラマが良いのは、古池の昔ながらのやり方での奮闘と、普段のパワハラとは別のものだと分けて考えているところである。

誠は古池に感謝を伝えつつも、自分も古池も「女性がお茶を煎れる、妻は夫を立てて家事をすべて担う、社会人たるものプライベートより仕事を優先する、男は男らしく」という過去の常識にしばられ、周囲に押し付けてきたと反省する。価値観を押し付けた相手に、謝らないといけないが、「全員には会えないし、思い出したくない人もいる」(この思い出したくない人に直接会いに行くこともパワハラになるという指摘も重要だ)から、せめて自分を変えないといけないと語るシーンがあり、そのシーンがあって初めて、過去のやり方と、今のやり方の良いところ、悪いところが整理されていると思った。その後に、照れ隠しなのか憮然とした顔でその場を離れたかと思ったら、部下の全員のお茶を淹れる古池がチャーミングであった。

もちろん、こんなふうに短期間で変われる人がいるのかどうかはわからないが、少なくとも、誠のように自分も同様であったという反省を込めながらも、古池にダメな部分を指摘するような人がいること、そして古池が、自分は「これでいいのだ」とふんぞり返るのではなく、「これでいいのだろうか」と考える余地があったことが重要なポイントのような気がする。

同様に誠にとっても、妻の美香や、娘の萌や息子の翔、そして友人の大地のような存在が、ことあるごとに誠に率直に助言し、誠もそれを聞き入れる余地があるからこそ、この物語は成り立っていると言えるだろう。人のいうことに耳を傾けられたり、間違ったときに、「はっ」とする顔を見せ、振り返ることのできるキャラクターはチャーミングだ。逆を言えば、自分の考え方は間違っていないとふんぞり返り、周りのいうことに耳を傾けず、わが道を行くキャラクターはチャーミングには見えない……(別にすべてのキャラがチャーミングである必要もないし、それだけが価値というわけではないにしろ)。

旧態依然としたコミュニケーションを若者が受け入れなくなった背景は何か

ちなみに、『おっさんのパンツ』には、旧態依然としたコミュニケーションをしているときの誠や古池に対して、会社の部下たちは容赦がなく、「そういう古い考え方にも一理ありますよね」などと昭和的価値観に親和的な態度をとる若者は出てこない。昔なら、会社で苦笑いしながらも、面倒くさいから上司を「立てて」いるような人もいたかもしれないが、今は現実的に、どのくらいそのような人は残っているのだろうか。

そんな風に変化した背景には、世の中に起こる不幸な出来事を放っておくと、自分たちの生活が簡単に脅かされるという政治的な情勢があることも無関係ではないだろう。第三者からしたら些細に見えるかもしれない不快なことを、「通過儀礼だから」とか「皆もやっているから」とか「全体のためだから」と言って受け入れた結果、自分の生活の安定や心身の健康を奪われたのでは、たまったものではないと考える人は、自分の若いときよりも圧倒的に増えていると感じる。

そんな変化に無自覚でいられるのは、他人に不快なことを強要していたり、周囲にそのような人がいても気付かないでいられる側だけなのではないだろうか。もちろん、自分もそうならないようにという自戒もこめて。

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura

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