1. トップ
  2. 恋愛
  3. 私の40歳を探して〈vol.2〉 恋愛に年齢は関係ないって本当だろうか?

私の40歳を探して〈vol.2〉 恋愛に年齢は関係ないって本当だろうか?

  • 2024.3.4

どうしたって意識してしまう40歳という年齢。20代の頃、40歳といえば、結婚して、子どももいるだろうと漠然と考えていた。この漠然がいけなかったのだろうか、辿り着いた場所には、恋人の気配すらない。恋愛に年齢は関係ないというけれど、本当だろうか……? まもなく39歳になる私と同じように悩み、モヤモヤを抱えている人も少なくないはず。そこで今回は、大人の恋愛の行方について、考えてみたい。

恋愛は恥ずかしい? おばさんの自撮り問題から考える

恋バナをぱったりしなくなった。年齢を重ね、落ち着いたのだといえばそれまでなのだが、なんだか私の目には、同世代の友人みんなが、恋愛という人生のシーズンを卒業し、ネクストステージへと進んでいるように見える。恋バナなどしてしまえば、「まだ恋愛なんかしているの……?」という空気になりかねない気がして、いつしか私は恋バナを自粛するようになっていったのだった。

少し前にThreadsで、「#おばさんの自撮りは恥ずかしい」が話題になった。ある程度の年齢になった女性がSNSにセルフィーを載せることに対して、嫌悪感を抱く人、特に若者が多いというのだが、その嫌悪感はどこから生まれてくるのだろう。そこに含まれているのはたぶん、「若者と同じ土俵でまだ戦おうとしているなんて……」という軽蔑と哀れみ。「まだあきらめていない」ことに対して向けられている感情のような気がする。これを考えたとき、私の恋バナ自粛にも通ずるものがあるんじゃないかと感じた。

まだ私が20代のときのこと。職場の30代後半の先輩に彼氏ができた。私たちははしゃぎながら、幸せそうな彼女を祝福し、「デートはどうだったか」「お泊まりはどうだったか」と質問攻めにしたのだが、「おばさんとおじさんの話なんて、気持ち悪くて聞きたくないでしょ」と、先輩は私たちを一蹴した。あのときはただ照れているのだとしか考えなかったけれど、今は、その裏側にあった先輩の気持ちがわかるような気がする。おばさんの自撮り同様、「恋愛は若者のもので、40歳にもなろう私がはしゃいだりしてはいけない」のだ。

期待に応えられない……。マッチングアプリで削られる心

「恋が始まる前から、終わっていることが切ない」
そう話してくれた同世代の友人に、私も激しく同感した。素敵だなと思う男性が現れても、抜かりなくチェックする左手薬指には、大抵きらりと光るものがある。30代半ばを過ぎ、そんな切なさを重ねるうちに自然発生的な恋愛はほぼあきらめるようになった。そこで頼り始めたのが、マッチングアプリだ。はじめはものすごく抵抗感があったけれど、今や何種類かを使いわけるまでになっている。

多くのマッチングアプリでは、顔とスペックが相手を選ぶ判断基準になる。年齢、住んでいる場所、年収、休日の過ごし方……さまざまなスペックの中でも、ある種の違う色彩を帯びて見えるのが 、「子どもは欲しいか?」の欄。私は「ほしい」のチェックを見るたび、薄く心を削られる。年齢的に相手の期待に応えられない可能性が高い自分は、“ナシ”として、簡単に左にスワイプされるのだろうか。

朝日新聞telling,(テリング)

ときたま、10個も15個も歳下の男性とマッチすることもあり、「ナイナイ」と自分に突っ込みながらも、わずかな期待を抱いてメッセージのやり取りをしてみることもある。そして大抵数通で挫折することになる。なぜなら相手が求めるのは「自分を甘やかしてくれるちょっとエッチなお姉さん」で、その典型的な歳上女性のイメージは、私をうんざりさせる。39歳の私だって、甘えたいですよ、と思う。

恋愛を「逃げ場」にしていた自分

そんなマッチングアプリのあれこれを、笑い話としてある先輩女性に話したところ、「そもそもあなたは恋愛がしたいのか、結婚がしたいのか」と聞かれた。彼女の場合は、「結婚はしなくていい」とはっきり心が決まっているので、相手の年齢やスペックも気にならないし、自分の将来設計が変わるかもしれないという不安もない。子どもを持つことが絶対の目標ではなくなった今、ただ気楽に恋愛を楽しむというのもいいんじゃないか、と提案してくれた。

私は恋愛がしたいのだと割り切れたなら、それこそ相手がどんなに若かろうが、躊躇しないのかもしれない。マッチングアプリで変に敏感になりすぎて心を削られることも少なくなるかもしれない。だけど、「恋愛か、結婚か」そう簡単に決められない。まず、恋愛があって、その先に結婚があってほしい。この年齢で「まだそんなことを言っているの?」と、突っこまれるだろうか……。いや、誰に?とふと思う。私は一体誰に、何に、怯えているのだろう?

例の先輩にさらに聞かれる。
「じゃあなぜ恋愛したいの? 結婚したいの?」
「それは、やっぱり寂しいからです。寂しくて寂しくて、耐えられないときがあるからです」

そんな私に先輩は優しくこう言った。
「じゃあ、まずはその寂しさを一人でどうにかできるようにならないと」

作家・吉本ばななさんの「小説家としての生き方100箇条」(NORTH VILLAGE)を読んでいたら、こんな言葉に出会った。

「39歳の私だって、甘えたいですよ」とぼやく私は、まさに恋愛を逃げ場としか考えていなかったと思う。日々の寂しさから、つらさから、逃れるためのもの。それが自分勝手なことだなんて考えたこともなかった。

最初は優しくて尽くしてくれ、私の逃げ場になっていてくれていた彼らは、必ず最後に「疲れた」と言った。だから私は怒りをぶつけ、罵り、そのせいで別れると完全にブロックされるのがお決まりのパターンだった。「元カレが友達」なんてあり得ない。いつぞやの同棲解消の際には、ブロックされた挙句、実家に大量の私の荷物が送り付けられ、それを黙って家の中に運び入れたっけ。あのときはさすがにこたえた。

どんなに信じても、必ず裏切られる。一体いつになったら最後まで私の面倒を見てくれる人が現れるんだろう?と思っていた。そうしてこの歳になっていた。

朝日新聞telling,(テリング)

私が「大人の恋愛モヤモヤ組」である理由

恋愛も結婚も自由。子どもを持たない生き方だってある。時代は多様性に向かっているはずなのに、結局自分は古い価値観を気にしてばかり。もちろん、それは多様性とは建前ばかりのいまの社会構造のせいだと言うこともできる。でも、世の中には、実際、恋愛を謳歌している40歳オーバーの大人だってたくさんいるなか、なぜ自分はその「大人の恋愛謳歌組」ではなく「大人の恋愛モヤモヤ組」なのか。

恋バナをしなくなって、女友達とはもっぱら「健康」や「年齢による体の変化」のことばかり話すようになった。結婚している人、していない人、子どものいる人、いない人、仕事をしている人、していない人、いろんな立場や状況に分かれた私たちの、唯一共通の話題がこれなのだと思う。それぞれのつらさを労い、笑い飛ばし、ケアし合う。20代にはなかった、あたたかい関係性がここにはあるような気がする。

子どものいる友人は「あ〜、一人の時間が欲しい」と言う。結婚生活がうまくいっていない友人は「あ〜、別の人と恋がしたい」と言う。
どちらも持っている、あるいはできる私。寂しさや疲れは、自分がとても自由であるということを忘れさせてしまうのかもしれない。私は、自分が思っている以上に自由なんだ。

私が「大人の恋愛モヤモヤ組」である理由は、たぶんここにある。恋愛以前に自分の中にある「こうあるべき」を、一つ一つ手放していく必要がありそうだ。

私はこれまで、心のどこかで恋愛は結婚に劣るものだと捉えていたと思う。周りはみんな結婚して、なんなら子どもだっているなかで、まだ恋愛恋愛言っている、まだそんなところにいる自分が恥ずかしいと思っていた。でも、私が恥じるべきは、そこじゃない。年齢も経験も重ねてきたにもかかわらず、寂しさを埋めるだけの自分よがりな恋愛から、何もアップデートできていないことが恥ずかしいのだ……!

恋バナだってしてみればいい。案外、みんな楽しんでくれるかもしれない。子どもが産めない年齢だって、「アリ」という人を探せばいい。歳下とも恋愛してみればいい……。そうわかった今、向かい合うべきは、まず「自分で自分の寂しさをケアできるようになること」なのだと思う。簡単なことではないかもしれないけれど、少しずつでいい。そしてそれができるようになったら、「私の恋愛」を始めればいい。

■秦 レンナのプロフィール
ライターやエディターとして活動。女性の様々な生き方に関心を持ち、日常の中のセルフケアや美容、ウェルネスをテーマに取材・執筆を続ける。また、ファッションやコスメブランドのコピーライティングなども手がけている。

■Rei Kuriyagawaのプロフィール
イラストレーター。見た人のこころがゆるむような、やわらかくのびのびとしたイラストを描いています。趣味はイラストを添えた映画日記をコツコツつけること。

元記事で読む
の記事をもっとみる