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モデル高垣麗子さん、デビューから30年。「生き方を見せる職業」への思い

  • 2024.2.29

キャリア30年を迎えたモデルの高垣麗子さん。14歳でスカウトされて以来、雑誌の表紙を飾るなど第一線を歩き続けてきました。その仕事の捉え方は年齢を重ねるに連れて変わってきたと振り返ります。このほど出版した著書『わたしの好きのかたち』では、この間の歩みと二度の結婚や離婚を含めたプライベートについて、飾らない言葉でつづっています。トップモデルとしての思いと、心や体の変化について語っていただきました。

あらゆるジャンルの服を試してみた

――14歳からモデルを始め、30年。華やかですが、常に美しさを求められる厳しいお仕事ではないでしょうか。続けることに、迷いはありませんでしたか?

高垣麗子さん(以下、高垣): 初めてのお仕事は、オーディションで受かったカメラのCM撮影でした。オーディションでは、緊張し過ぎて自己紹介中に泣いてしまったのですが、撮影当日は水族館でアシカと一緒の撮影だったせいか、それほど緊張することもなく、「モデルのお仕事は新鮮で面白い」と感じたことを覚えています。ただ、もともと性格的には表に出たいと思うタイプではなく、自分をアピールしないといけない場でも、もじもじしてしまったことは少なくありません。「モデルは向いていないのかな」と考えたことも一度や二度ではありませんでした。

そのことを学校の友人に相談したら、「モデルは、やりたくてもやれない職業だよ。せっかく今やれているんだから、頑張ったほうがいいよ」と強く言ってもらい、腹をくくった瞬間がありました。40代になった今も同じ職業を続けられていることは本当にありがたいと感じています。

朝日新聞telling,(テリング)

――仕事への向き合い方は年齢とともに変わっていきましたか?

高垣: モデルという仕事は、自分自身も、身にまとう洋服も、きれいに見せないといけません。一つひとつのポーズにしても、美しいものが求められます。20代までは、どうしたら自分をよく見せられるかをあれこれ考えていました。今思うと、自分にばかり意識がいっていたと感じます。30代になると、洋服の作り手の立場を知るようになったことで、「 モデルというのは、服に携わる人全員で一つのものを作る素敵な職業だ」と思うようになり、視野が広くなりました。

同じ仕事をしていても、自分がどう見られるかだけではなく、この商品をどう見せたら手に取ってくれる人が増えるかという目線で撮影に臨むようになっていきました。自己満足ではなく、その服に関わっている人すべての思いを代表し、最終的には売り上げに貢献する。それが、モデルの役割だと思うようになりました。

朝日新聞telling,(テリング)

――美しくまとうために、意識されていたことは?

高垣: 20代の時、事務所の社長に、「ハイブランド品は無理して買わなくてもいいけど、手に取ってみたり、試着したり、“触れること”はとても大事」と教えてもらいました。それからは、撮影がない日や仕事の合間を縫って、ハイブランド品から、ストリート系のブランドのお店に行って試着することを習慣にしました。私生活では手にしないテイストの服も、あえて試しました。それは、着たことがないものを撮影の本番で初めて着用するのと、触ったことがあったり知っていたりする服を着るのとでは、表現が変わる気がしたからです。目には見えませんが、そうした積み重ねが少しずつ自信にもつながっていったと思います。

「食べたい気持ち」と葛藤した10代、ストイック過ぎた20代

――著書では、体型維持の面で苦労されていたことがつづられています。ダイエットとリバウンドを繰り返していたとか……。

高垣: 10代の頃は成長期だったので、「 食べたい、でも、我慢しなきゃ」という葛藤はすごくありました。20代の頃は、あらゆるダイエット法を実践していました。当時はまだまだ「モデル=細い=美しい」の風潮が社会全体にあった時代だったので、今思うと、ストイックすぎるほどに食事制限をしていましたね。例えば、カロリー計算をしていた時は、書店でカロリー辞典のような本を買い、食べた物のカロリーを全て計算して記録し、毎日体重と体脂肪を測り、有酸素運動として日々30分から90分ほど歩き、駅では階段を2段飛ばしで登るとか(苦笑)。

「やるからにはちゃんとやりたい」と思うタイプなので、全力で取り組んでいました。でも、無理をしてやっていることは続かないものです。結果的に痩せられたけど、風邪をひきやすくなったり、肌が荒れたり、さらには溜まっていたストレスがある日突然爆発し、暴飲暴食をしてしまったり……。あまり、健康的ではない時代も正直ありました。

朝日新聞telling,(テリング)

――40代になった今は、どのように体調管理をされていますか。

高垣: ダイエットが原因で体調を崩して以来、健康面を見直すようになり、自分に合った体型維持法を手探りで探していきました。40代になって痛感しているのは、体型維持の難しさ! これまでと同じものや量を食べていても、肉付きが変わったり、運動をしてもなかなか結果が出なかったり。

食べることは大事だと思っているので、3食しっかり食べています。おやつも好きなので、食べたい時にはちゃんと食べるのですが、その際は選ぶものや、量には気をつけています。昨年秋にはジムに入会して、週1を目標にパーソナルトレーニングも始めました。以前は週1運動でも変化があったのですが、今はプラマイゼロな気がしていて(苦笑)。それでも、何もしないよりはやった方がいいと思い、取り組んでいるところです。

カバーモデルを卒業して思うこと

――2023年に『STORY』の表紙モデルを卒業したのは大きな出来事だったのでは?

高垣: カバー(表紙)モデルをしていると、契約期間中は仕事の保証がありますが、今は一モデルとしてオファーがあったらお受けするという仕事のスタイルです。次も声がかかるかわからないスリルもあるのですが、出版社を超えて様々な媒体に出演している今は、スタッフの方々との新たな出会いや再会を繰り返しながら、世界が広がっています。同じ年齢層の女性を対象とした雑誌でも、各媒体で求められる女性像は違うので、良い刺激になっています。

朝日新聞telling,(テリング)

――現時点で、「モデルとは」を一言で表すとしたら何だと思いますか?

高垣: 難しいですね……。(しばらくの沈黙の後)昔の自分だったら、「お洋服を綺麗に見せること」と答えたかもしれませんが、今思うのは、「1人の女性として、生き方を見せることができる職業」だと思います。その人がどういう生き方をしているのかが反映されると思うからです。「生き方」と言うと、大げさかもしれないですが、表情だけではなく、全身を通して、その人がどういう考え方をして、何を大事にしているかがわかるのがモデル業だと思います。モデルとして、自分らしく、自分なりの生き方を表現していけたらと思います。

■小野ヒデコのプロフィール
1984年東京生まれ横浜育ち。同志社大学文学部英文学科卒業。自動車メーカで生産管理、アパレルメーカーで店舗マネジメントを経験後、2015年にライターに転身。現在、週刊誌やウェブメディアなどで取材・執筆中。興味あるテーマはアスリートのセカンドキャリア。英語は日常会話に困らない程度できます。

■慎 芝賢のプロフィール
2007年来日。芸術学部写真学科卒業後、出版社カメラマンとして勤務。2014年からフリーランス。

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