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部下にダメ出しのうえ「はぁ、優秀な人と仕事がしたい」が口癖のチームリーダーが左遷されて休職するまで

  • 2024.2.26

「もっと優秀な人と仕事がしたい」が口癖のチームリーダー。仕事熱心でパフォーマンスも高く、成果も出してきたのに、部下の退職や休職が相次ぎ、左遷されてしまった。モラハラ・DV加害者変容に取り組む当事者団体「GADHA」の代表を務める中川瑛さんは「彼女は、『私はすごい、人より優れている』というメンタルモデルを持ち、周りの人を見下していたからではないか」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、中川瑛『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

オフィスの机で悩む人のイメージ
※写真はイメージです
「優秀な人と仕事がしたい」という口癖の背景

「仕事熱心で人を見下しているタイプの人」が職場で孤独になる例を見てみましょう。

ある女性は、とても仕事熱心で、口癖は「優秀な人と仕事がしたい」でした。実際、彼女は他の人と比べてパフォーマンスが高く、これまでに成果も出してきました。だからこそ、リーダーとなってチームのマネジメントも担当するように。

これまでは個人の成績だけ見られていたところから、チームの全体としての評価も査定に入るようになります。すると、これまでは横目で見ては「効率が悪いのになんでこんなことやってるんだろ、馬鹿みたい」と思っていた人たちに直接指導を開始するようになりました。

「どうしてこういうやり方してるの? もっと効率よいやり方あるよ。ていうか、改善できるところはないか考えたことある? こんなんじゃ今期も成績達成できないよね」と追い詰め、チームのメンバーが相談しにくると「こんな簡単なこともいちいち聞かなきゃわかんないんだったら、普段の仕事どうやってんの?」と大袈裟にため息をついてフィードバックし、かといって自分に相談せずに進めている案件を見ると「ちょっと待って、これ聞いてないんだけど。勝手に進めないでくれる? 自分で決められるほど優秀なの?」といった振る舞いをしていました。

彼女は「チーム全体として成果を出したいのに、なぜこんなに頭が悪くて努力不足な人ばかりなんだろう。私は運が悪い」といつもイライラしていました。そんなとき、思わず口に出てしまうのが「優秀な人と仕事がしたい」なのです。

「どんな意見でも大歓迎」と言うものの…

あまりにも成果が低いので、彼女はマネジメントのセミナーに参加して新しい知識を得ます。それは「チームのメンバーが意見を言えるようにして、それを踏まえて意思決定するのがリーダーの役割」というものでした。彼女は勉強熱心なので、早速それを実践しようとします。

「みんな、どんどん意見を言って。どんな意見でも大歓迎だから」と。しかし、やる気がないように見えるメンバーたちは、全く意見を出しません。会議の中で「みんなはどう思う?」とぐるっと顔を見渡しても、みんな沈んだ面持ちで時間が過ぎ去るのを待つようにしています。そうするとまた「ああ優秀な人と仕事がしたい」と思わず口走ってしまいます。意見を言う、そんな簡単なこともできないのかと思うと、頭が痛くなってきます。

出てきた意見は一つひとつ叩き落す

「どうして意見一つも言えないの? 普段何も考えないで仕事してるの? いいチームっていうのはちゃんと意見を出して進めていくってことなの。今日全員から意見出るまで会議終わらないからね」と言うと、名指しで意見を求め始めます。まるで誰かがクラスの委員に手をあげないと帰れない学級会のような、重苦しい空気の中で、ぽつりぽつりと意見が出てきます。

その女性は出てきた意見を一つひとつ勢いよく叩き落としていきます。「それはもう前期試してみてダメだったよね? 覚えてないの?」「もうちょっと実現性考えたアイデア出せないの?」「なんでもいいって言っても限度があるでしょ」「はぁ……優秀な人と仕事がしたい」とため息をついて、このチームのダメさ加減にがっかりします。

精いっぱいやっているのに…

次の日、部下の1人が仕事を無断欠勤しました。中途半端に残っていた仕事もあったので何度か電話をしても出ないので、留守番電話には「仕事を投げ出すのは社会人として一番やっちゃいけないこと」と残しました。自分も仕事を投げ出したいときはある。でも、それでもやりきってきたからこそ今の私と立場があると彼女は信じていました。

しかし、その後も部下は出勤せず、しばらくして人事から連絡がありました。部下には精神的な落ち込みがあり、その原因は職場でのストレスであるということで、上長である彼女に事情を聞かれました。

「チームとして成果を出すために、できることをなんでもやっている。最近も意見を出すように何度も促したが口も開けず、ああいう心の弱い人を採用するのもどうかと思いますよ」と、人事に不満を漏らしました。

すると、「最近はハラスメントが問題になっているので、女性であってもパワハラには気をつけてください」と言われ、驚いて「正しいことを言っているだけでパワハラになるなんて、ハラスメントハラスメントって本当にあるんですね。今の女性であっても、って発言は逆にセクハラじゃないですか?」と言い返しました。

自分は精いっぱいやっているのに、部下は会社に来なくなって引き継ぎトラブルも発生しているというのに、さらに自分が責められるなんて、こんなに頑張っているのになんて仕打ちを受けたのだ……と傷つき、怒り、反撃するのです。

このようなことが何度か続き、チームのメンバーの退職や休職が相次ぎ、彼女の評価はどんどん下がっていき、左遷されました。職場での立場を失い、職場の友人にも距離を取られ、イライラからパートナーとの関係も悪化し、最終的には休職することになりました。

パソコンで資料を作成するイメージ
※写真はイメージです
どうしてこんなことになったのか…

家族には現状を共有することはできません。父親が「鬱うつなんて甘えたこと言って、これだから女は。でかい会社に入って調子に乗ってたのに、みっともないな」と馬鹿にしてがっかりした様子で言うのが想像できるからです。母親は「まあまあ」と言いつつ、耳元で「お父さんが不機嫌になっちゃうから、早めに復職してね?」と困ったような顔をしながら言ってくるかもしれません。

就職偏差値がトップレベルの企業に入った時は、父親を見返してやったと鼻高々だったのにどうしてこんなことに……。彼女は「何も考えたくない」と呟いて、今日何度目かの深酒を始めました。

「私は人より優れている」というメンタルモデル

「優秀な人と仕事がしたい」という言葉が出てくるとき、一体システムとしては何が起きているのでしょうか。仮にこれをシステムの一番上に置いてみたら、この発言が出てしまうのはどんなパターンが始まったときかを考えてみます。

自分の期待や要求とズレたことの全てにがっかりして、自分は運が悪い、もっとよい成績を出したいのに、チームとしてのレベルが低い……と考える。「自分の考えるやり方以外くだらない、あり得ない」と考えることが、そのパターンを支える構造になっているかもしれません。

そして、そんな構造を最終的に支えているメンタルモデルはなんでしょうか。それを「私はすごい、人より優れている」と考えてみましょう。

彼女はすごいのです。他の人ができないことができます。だから、チームとしての成果も上げられるはずなのに、そうなっていないからがっかりするのです。

彼女は他の人と接していると、常に「自分のようにすごくない人間は、なぜ自分のように振る舞わないのだ」と、半ば矛盾したイライラ、不条理に怒りを覚え、時には傷ついてさえいます。「自分はなんて運が悪いんだ」と。

しかし、考えてみれば「私はすごい、人より優れている」と考えている人にとって、運がいいことなんてあるのでしょうか。

他の人ができないことができるのだから、自分と同じように振る舞う人はいないので、常に運が悪いのではないでしょうか。周りには常に不満が溜まって、自分の思い通りにいかないことに苦しむはずです。まさに彼女がやっていることは、妄想の言語化なのです。

そしてきっと自分より優秀な人を見つけたときには、その人の欠点を探すかもしれません。だって「私はすごい、人より優れている」はずだから。そんなことをしているうちに、彼女は孤独に突き進んでいきました。

幸せになろうとして頑張ったのに

言語化の観点でこのシステムを捉え直してみると、本当に典型的に孤独になる言語化を体現しています。悲しいのは、この女性はあくまで幸せになろうとして、必死ですごくなろうとして、認められようとして、結果的に孤独に向かっていったことです。順を追って見ていきましょう。

まず目につくのは、「尊重の言語化」が全くできていないことです。尊重の言語化とは「あなたの言葉」を知ろうとし、仮にわからなくとも尊重しようとすることです。これは、共生の言語化の前提となる「違い」を見つけたときに必要になります。

今回で言うと「私のやり方と違う仕事の仕方」を見つけたとき、彼女には選択肢があります。「お互いが一緒にやっていける新しい言葉を作る」か、相手の世界を尊重するか、あるいは自分の言葉で相手の言葉を塗り潰してしまうかです。

彼女が選択したのは最後の一つでした。

「自分はすごい」を守るために人の言葉を潰す

一緒に言葉を作ることのできない人は、相手の言葉を徹底的に破壊します。「なんでそんなやり方するの?」「馬鹿」「ちょっとでも改善を考えたことないの?」「よくこれで今までやってこれたね」などと、相手の持つ「仕事のやり方」という言葉、その意味を破壊していきます。

「なんでも意見を言ってね」はとんでもない嘘です。

人は、自分の言葉を破壊する人には、だんだん自分の言葉を共有しなくなります。自分の言葉とは、自分の世界そのものです。それを壊されれば壊されるほど、自分が何をよいと感じ、何に怒り、何に悲しむかといったことすらわからなくなってしまいます。自分がなくなっていくこと、これほど恐ろしいことはないのです。

日常的に言葉を壊された人が「意見を言ってね」と言われても、恐ろしいだけです。実際、無理矢理意見を言わされればどれもこれも切って捨て、いっそ切って捨てるために聞いているようでさえあります。切って捨てるたび「やはり自分はすごい」という世界が強固になるからです。

その結果、当然ながら「一緒に」言葉を作ることはありません。いつでも、意見が違うときには、自分が持っている言葉を相手に使わせようとします。「仕事のやり方」とはこれが正解であり、それを選ばないのは間違っているからです。

でも、もしかしたら文章で整理するのが得意な人と、図解するのが得意な人とでは、仕事の仕方が違うかもしれません。後者の人に、むりやり文章のみで整理した書類を作らせると、かえって効率が落ちることもあるでしょう。仕事の目的が共有できているからといって、仕事の方法を同じにする必要は必ずしもありません。

押し付けて感謝を求める「妄想の言語化」

しかし「自分はすごい」と思っている人間は、時に「自分のやり方は誰にでも当てはまる素晴らしいものだ」とか「自分のやり方を採用しないのは馬鹿だ」と考え、押し付けます。そして、感謝を求めるのです。よいものを与えてやったのだから、自分では辿り着けないものを教えたのだから、教えてもらえたことに感謝し、喜んでその方法を採用しないと「おかしい」のです。

これは、典型的な妄想の言語化です。実際に起きている現象を説明する言葉が、間違っているのです。実際には人によって得意なやり方は違うし、力を発揮できる方法も違います。にもかかわらず自分のやり方のほうが正しいと思っているのは、妄想なのです。現実から始めずに、妄想から始めています。

その妄想とは「自分はすごい」という妄想です。現実を見てみれば、彼女はすごかったのでしょうか。チームとしての成果も出せず、多くの人の人生を狂わせ、最終的には自分も孤独にしています。

自分と異なる世界を尊重する

一体どうすれば人と生きるための言語化ができるでしょうか。それは例えば、自分と違う仕事の仕方をしたときに「そういうふうに仕事をしてるんだ。私と違うけど、そっちのほうがやりやすいのかな?」と尋ねることだったかもしれません。あるいは意見を出してくれたときに、「それは前期に失敗したアイデアと似てるけど、何か作戦があるのかな?」といった応答だったかもしれません。もしくは進捗しんちょくを共有してもらえたときに「早いタイミングで状況を共有してくれてありがとう」と言うことかもしれません。

これらに共通することは、「相手の言葉」を尊重しようとする姿勢です。相手がどんな理由でそれに取り組んでいるのか、相手にはどんな世界が見えているのか、相手はどんなことを大切にしようとしているのか。

なかなか意見を出しづらい人に対しては「ちゃんと考えてから話したいタイプなのかもしれないから、次から打ち合わせの前に質問を先に伝えておくね。みんなの前で意見を言うのが不安だったら、何度か事前にテキストでよかったら相談に乗るからね」と伝えることで、安心して意見を出してもらえるかもしれません。そのうち、意見を出すことへの抵抗感が減れば、事前の確認も少なくなっていくことでしょう。


孤独になる言語化

現象=「優秀な人と仕事がしたい」とぼやく
パターン=周りが自分の思い通りに動かないとき
構造=自分のやり方以外はくだらない
メンタルモデル=自分は人より優れている
人と生きる言語化

現象=一緒にやっていく形を模索できる
パターン=自分と違うやり方を見たとき
構造=人によっていろんなやり方がある
メンタルモデル=人には優劣ではなく違いがあるだけ

尊重の言語化、現実の言語化

相手はどんなことを大切にしているのか、相手はどんなことを恐れているのか。それを知ろうとすること、それが間違っていたら問い直すこと、それが尊重の言語化です。そしてそれができるからこそ、共生の言語化が初めて可能になります。

また、現実の言語化を進めることも重要です。例えば「なんで勝手に仕事を進めてるの? そんなにあなたは優秀なの?」と責めるとき、本当はどんなことが起きているのでしょうか。

もしかしたら「チームの成績が下がるのが恐ろしい」「自分がダメなリーダーだと思いたくない」「みんな自分の思い通りに動いてほしい」「なんで動いてくれないの⁉」という恐怖、不安で頭がいっぱいになっているのかもしれません。

そして、そんな不安を与えた人に対して攻撃的に振る舞っているのです。

よりよい方法を一緒に考えていく

もしもそんなふうに自分を言語化できたら、こう相手に伝えられるかもしれません。「ごめんね、思ったよりも話が進んでいて驚いちゃった。どういう経緯だったか簡単に共有してもらえる? 勢いよく仕事を進めたいタイプだと思うから、水を差すようでごめんね。ただ、ここからの仕事の流れを考えると、このときと、このときにも、事前に状況を共有してから顧客に提案してもらえると嬉しい」というように。

中川瑛『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)

これは最終的には相手の仕事のやり方を変えているかもしれません。しかし、相手がどんなことを大切にしているから、こういう行動を取っているかを想像し、それを尊重しつつ、自分が感じている不安や、次にやってほしいことを明確に伝えています。実際の会話はもっと複雑でしょうが(勢いよく仕事を進めたいタイプかと思ったら、実際には同僚に相談して確認をとっていたから大丈夫だと思い込んでいただけなのかもしれない)、することは概ね同じです。

自分と異なる言動を取る相手の感じ方や考え方を想像し、それを尊重しようとし、想像や尊重の方法が間違っていたら、また尋ね直し、よりよい方法を一緒に考えていくのです。また、なぜ自分が相手の行動に違和感を覚えたり不安を感じたのかを想像し、それを攻撃的ではない形で伝える。これが共生の言語化です。

中川 瑛(なかがわ・えい)
「GADHA」代表
妻との関係の危機から自身の加害性に気づき、ケアを学び変わることで、幸せな関係を築き直した経験からモラハラ・DV加害者変容に取り組む当事者団体「GADHA」を立ち上げる。現在は加害者個人だけではなく、加害的な社会の変容にも取り組んでいる。

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