1. トップ
  2. 恋愛
  3. 「チャーリーズ・エンジェル」のファラ・フォーセットとライアン・オニール、30年におよぶ「ある愛の詩」

「チャーリーズ・エンジェル」のファラ・フォーセットとライアン・オニール、30年におよぶ「ある愛の詩」

  • 2024.2.25
  • 82 views

ひとりは、赤い水着姿で有名な美人女優。そしてもうひとりは、名作「ある愛の詩」に主演した爽やかでハンサムな俳優。ファラ・フォーセットとライアン・オニールのラブストーリーは、まるでおとぎ話のようです。もっとも、ふたりが人間的で問題も多いカップルとして、人生の浮き沈みを経験したこともよく知られた事実。そんなふたりの30年以上にわたるラブストーリーをご紹介します。

ファラは1947年、テキサス州コーパス・クリスティに生まれました。1960年代、美しい歯と髪を武器に、シャンプーと歯磨き粉のコマーシャルに出演したことから、ショービジネスの世界に入ります。まもなく、テレビや映画に出演するようになり、そこで出会ったリー・メジャーズ(後に映画「600万ドルの男」に主演)と1973年に結婚します。

25ans Wedding

1976年、ファラが脇役で出演した映画「2300年未来への旅」が、テレビドラマ「チャーリーズ・エンジェル」プロデューサーのアーロン・スペリングの目にとまり、同ドラマに起用されて、一躍スターに。同じ年に赤い水着で撮った写真が史上最も売れたポスターのひとつになります。1970年代末、街はファラの写真とファラの髪形を真似した人々で溢れかえりました。

一方、ライアンは1947年、ロサンゼルスに生まれます。母親はいくつかの作品に出演した女優で、父親は1960年代のテレビドラマ「名犬ラッシー」や「アンタッチャブル」の脚本家として知られる、チャールズ・オニール。もっとも、息子のライアンはまずアマチュアボクシングの選手としてキャリアをスタートします。その後、さまざまなテレビ番組で端役を演じてから、テレビドラマ「ペイトンプレイス物語」に出演し、ついには「ある愛の詩」で主演を演じて、一躍有名人に。1973年には娘のテータムと映画「ペーパームーン」に主演し、1979年の映画「メーン・イベント」ではバーブラ・ストライサンドと共演しました。

25ans Wedding

ファラとライアンが出会ったのは、1981年にリー・メジャーズが妻のファラをライアンに紹介し、愚かにも、自分が仕事で家を空けているときに会うよう勧めたことがきっかけでした。その後、1982年にファラとリーは離婚。その頃、ライアンはすでに2回の離婚歴があり、1人目の妻は女優のジョアンナ・ムーアで、息子のグリフィンと娘のテータムがいましたが、4年で離婚。2人目は女優のリー・テイラー=ヤングで、息子のパトリックが生まれましたが、7年後に離婚。ファラとライアンが入籍することはありませんでしたが、1985年には息子のレッドモンドが生まれました。

25ans Wedding

ライアンと恋人になったファラは、そのころすでに文化現象となっていた「チャーリーズ・エンジェル」に幻滅していました。「ヴァニティ・フェア」誌のインタビューで、ファラはドラマの人気についてこんな率直な評価を下しています。

「[人気の理由は]演技のおかげだと思ってた」「でも、私たちが誰もブラをつけていないという、それだけの理由だとわかった」

そして、ファラは当時誰も聞いたことがないような行動に出ます。大成功していた番組をシーズン1でやめたのです。セックスシンボルとしてのステレオタイプから脱することを決めていたファラは、もっとやりがいのある役どころを求め、結果として、いくつかの素晴らしい成果を収めました。ドラマ「バーニング・ベッド」で虐待される主婦を演じるなどして4回エミー賞にノミネートされ、映画「レイプ・殺意のエンジェル」ではレイプ犯に反撃をする女性を演じ、ゴールデングローブ賞にもノミネートされたのです。

25ans Wedding

ライアンも「ある愛の詩」でアカデミー賞にノミネートされましたが、キャリアは低迷し、苦しみます。薬物乱用と、カッとなりやすい性格のせいだ、と非難する人もいました。

2013年に「デイリー・メール」紙が詳述したところによると、キャリア上のつまずき、奇矯な行動、そして、ライアン、レッドモンド、グリフィン、テータムの薬物・アルコール依存症などをなんとか切り抜けて続いていたふたりの関係も、1997年にライアンが別の女性とベッドにいるところをファラが目撃したことで限界に達します。

ふたりが再びよりを戻したのは2001年、ライアンが慢性骨髄性白血病と診断されたときでした。「僕たちはもう一度やり直したのですが、今度は基盤と信頼がありました」「息子は嬉しそうでした。ファラも成熟していました。あまり僕に怒らなくなったんです」と、後にライアンが「ヴァニティ・フェア」に語っています。

ライアンの病はコントロールすることが可能でしたが、2006年に今度はファラに肛門がんが見つかり、これが肝臓に転移。2009年に62歳で亡くなる前に、ファラは自身の人生最後の闘いをビデオ日記に収めており、これが「ファラズ・ストーリー」として放送され大反響を呼びました。ドキュメンタリー作品としては、登場人物を利用しているとの批判も浴びましたが、映像をシェアすることは、メディアでほとんど取り上げられることのないこの病について知らせたいというファラ自身の願いでもありました。映像には、苦難の中にあってひるまないファラの姿が映っています。

ファラの死後、自分の人生を修復しようと努力したライアンは、2012年に回想録『Both of Us: My Life with Farrah』を著します。「ハリウッドリポーター」誌によると、ライアンはファラとの生活について「皆さんにはっきりとした実体を表す」機会を得て、この本を書くことに「カタルシス」を感じた、と語っていたそうです。

ライアンは2023年12月8日に82歳で永眠したことが、息子のパトリック・オニールによって発表されました。ライアンがファラの亡くなる数日前、病床でプロポーズした話は有名ですが、今頃天国でプロポーズの続きをしているのかもしれません。

※この記事は2024年2月25日時点のものです。

Translation: mayuko akimoto Photos:Getty Images From:Country Living

元記事で読む
の記事をもっとみる