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最終回『不適切にもほどがある!』昭和と令和を生き抜くキーワードは共通していた

  • 2024.3.30
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金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』最終話より (C)TBS

昭和に生きる不適切なおじさん代表・小川市郎(阿部サダヲ)が令和にタイムスリップし、二つの時代を行き来することで価値観のアップデートをはかるドラマ……だったはずが、最終回のテーマは「アップデートしなきゃダメですか?」。昭和と令和、どちらの時代にも生きづらさはある。乗り越えるためのキーワードは「寛容」だった。

結局、どちらの時代も生きづらい

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金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』最終話より (C)TBS

昭和の時代、いつでもどこでもタバコが吸えて、〇〇ハラスメントといった言葉も主流ではなく、インターネットもSNSもスマートフォンもなかったために「炎上」なんていう現象もなかった。

しかし、学校の部活では「水分補給禁止」という謎ルールがあり、女性だからという理由だけで飲み会ではお酒を注ぐ役割を任され、令和ではパワハラと糾弾されるような言動も泣き寝入りしなければならない……。それが昭和だった。

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金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』最終話より (C)TBS

片や令和では、通りすがりに副流煙に悩まされることもなく、セクハラやパワハラを訴えて個人の権利を主張しやすくなり、インターネットやSNS、スマートフォンのおかげで遠く離れた人とも繋がることができる。

しかし、SNSがあるために10代のうちから人間関係に過剰な気を遣い、「女性ならではの感性を」「女性の社会進出を」と履き違えた動きに困惑する女性が続出し、ハラスメントという言葉が一人歩きして「ハラスメントハラスメント」なんて表現まで生まれてしまった。それが令和だ。

昭和と令和の価値観を対比してきたドラマ『不適切にもほどがある!』を観ていると、果たして昭和と令和、どちらがより生きやすい時代だったのだろう、と頭を悩ませてしまう。

どちらにも美点があり、そして、欠点がある。まさに「昭和も令和も生きづらいってこと」なのだ、きっと。

寛容になろう、100%は寄り添えないのだから

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金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』最終話より (C)TBS

全10話を通してこのドラマが伝えたかったこと。それは「寛容になろう」というメッセージだった。

「ちょっとのズレならグッとこらえて」「多様な価値観、広い心で受け入れて」「私あなたじゃないから、100%は寄り添えないわ」「寛容になりましょう、大目に見ましょう」……毎度お馴染みのミュージカルパートに乗せ、これまで出演してきたゲストも含めて勢揃いで、一つのシンプルなメッセージを打ち出した。

一人一台スマートフォンを持つのが当たり前になったこの時代、画面を開けばさまざまな“意見”があふれている世界に生きているのだから、画面上を流れていく言葉や動画たちがすべて「真実」で「事実」なのだと思えてしまうのは仕方がないこと。

しかし、私たちは一人ひとり、五感と感情と言葉を持ち合わせた人間なのだ。違う人間だからこそ、ズレた1〜2ミリをすり合わせる努力なしには生きられない。

無理に寄り添ったり、理解しようとしたりしなくてもいい。関係ないなら「関係ない」、これだけで済む。過剰に干渉したり、審判を下そうとしたりするから歪むのである。

自分には関係のないことだ、と判断したら、そのまま置いておく。それも立派な優しさで、自分の立ち位置を揺るぎないものにする誠実な態度である。

ポップなストーリーに乗せて示されたのは、「楽しかった!」「おもしろかった!」だけでは終わらないもの。このドラマを観たあとも一人ひとりが持ち帰り、考え続けねばならない重厚なテーマだった。

いまの私たちは、他者のことを多めに見られているだろうか? 昭和に生きる市郎や純子(河合優実)を思いながら、そう心に問い続ける人生はきっと、一人ひとりに「寛容」をもたらしてくれるはずだ。



ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。Twitter:@yuu_uu_