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小泉今日子さんロングインタビュー。厚木をテーマにしたらすべてが動き出した【後編】

  • 2024.2.21
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人生の面白さを教えてくれた 父と猫との3人暮らし

小泉さんといえば、書評集を出すほどの読書家であり、端正な文章を執筆するエッセイストであることもよく知られている。いわゆるカルチャー偏差値の高さが彼女の魅力のひとつでもあるのだが、その基礎を築いたのも、「ちょっと風変わりな」家庭だったという。

例えば父の本棚には松本清張とか横溝正史とかミステリーの本がいっぱいあって。母の場合は瀬戸内寂聴とか有吉佐和子とか、そういう女性作家の小説があったり。そして、子どもたちの本棚には、偉人の伝記シリーズや童話があり、姉たちが好んで読んでいた星新一とか眉村卓なんかのSF小説もあったり。だから手を伸ばせばなんでもすぐにあったんです。音楽もそう。お年玉をもらうとまずレコード屋に行くのが私たち三姉妹の恒例行事。長姉は、ビートルズとか日本のグループサウンズが大好きで、フォークソング世代でもあるので、吉田拓郎さんとかのレコードをたくさん持っていて。2番目の姉は洋楽好きで、ベイ・シティ・ローラーズから始まり、チープ・トリックのようなアメリカンロックやイギリスのニューウェイヴミュージックが大好き。なので、私は逆に、歌謡曲をよく聴いていました。初めて買ったレコードはずうとるびの『みかん色の恋』。でも、私がピンク・レディーやビューティ・ペアを聴いたりしていると、2番目の姉は「お前、そんなの聴いてたら、中学で馬鹿にされるよ」って(笑)。

――つまり、小泉さんの文化的素養を育んでくれたのが家族。

そうなんです。ファッションだったり男性の好みについてもそう。家でドラマを観ていると、母も含めて女4人、それについての話が必ず始まるんです。向田邦子ドラマを観ながら、「根津甚八ってなんでこんな色っぽいんだろうね」とか「いしだあゆみのトレンチコート、ステキよね」とか。母と姉たちのそういう会話を私はフンフンと聞いてるだけなんですが、やっぱりすごく影響を受けてしまい、カルチャー偏差値が自然と高くなっちゃったというか(笑)。だって、長姉の部屋に貼ってあったポスターは、ジュリー(沢田研二)、ショーケン(萩原健一)、林隆三、藤竜也、でしたから。

――渋い(笑)。小泉さんが夢中になったアイドルは、確か……。

トシちゃんです。『金八』時代の田原俊彦さん。『哀愁でいと』でデビューする前。すごくかわいそうな役だったんです。

――複雑な家庭環境で育った中学生を演じていましたよね。

だから、そういうのにいまだに弱い。韓国ドラマが好きでよく観るんですが、かわいそうな御曹司にすぐ惹かれちゃう。クォン・サンウがやるような(笑)。根津甚八さんもそう。向田邦子ドラマの『冬の運動会』を観て大好きになったんですが、根津さんはお金持ちの御曹司の役。でも家庭が複雑で、万引きをしてしまったことで家族から疎外され、渋谷のガード下の靴屋さんに通って、子どものいない夫婦と疑似家族を演じる、という話。そういう影のある男性に惚れちゃうのはずっと変わらない。一貫してるんです。

――BTSだと?

もちろん、SUGAです。2PMではジュノです(笑)。

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そして、小泉さんが中学2年生のときに経験した一家離散。父の会社の危機はほどなくして解決するも、母と2人の姉は父の元へ帰ることを拒み、小泉さんだけが父と暮らすことに。母と姉たちとは別々に生活をすることになった。

やっぱり自由を一度味わっちゃったら帰りたくなくなったみたい。私は学校に通いやすいし友達にも会いやすいこともあって家に戻りましたが、そこからは家族5人で暮らしたことがないんです。

――家族がバラバラになって寂しいとか、そういう気持ちは?

感じなかった。逆に、父と2人だけの生活が冒険みたいで面白いから楽しくて(笑)。あ、でも、猫もいたので「3人暮らし」。父は車の免許を持ってなかったから、「たまには外食しよう。とんかつでも食べ行こうか」となると、自転車の二人乗りで行くんですが、猫がめちゃくちゃ追いかけて来るんです。どこ行くの? 行かないで!って。「すぐ帰って来るから大丈夫、ちょっと待ってて」と言いながら。帰って来ると、家の前で猫がジッと待ってるんです。遠くからでも目が光っているのがよくわかる。再び二人乗りで帰って来て、「ほら、帰って来たじゃん」って。そんな日々(笑)。

とにかく「寂しい」と思うことはまったくなかった。親戚の叔母もよく気にかけてくれていたし。「今日子ちゃん、今日の夕ごはん、予定ある? おばちゃん作り過ぎちゃったから、食べにおいで。お義兄さんにも言って」って。叔母は母の弟の奥さんですが、彼女には本当に家族全員がお世話になって。面倒見がよくて、それをひけらかしたりしない人。人間ってこんな人格だったら神様になれるんじゃないかなって思うぐらい。先日、母が他界したんですが、その介護もずっと手伝ってくれていたんです。だから、みんなが助け合う、そんな江戸の長屋のような感じがあったので、家族がバラバラになってしまったことは自分の中で大きな問題ではなかった。

しかも、父は父で、学校をさぼりたいとき用に、欠席届のハンコを押しておいてくれるし(笑)、私を自由にさせてくれていて。とにかく、毎日が「面白い」。人生、なすがまま。ローリング・オン・ザ・ロードですから。

ところで、小泉さんが作詞を担当したミリオンヒット曲『あなたに会えてよかった』(1991年)は、ドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌であり、ドラマは、男親一人で育てたパパ(田村正和)と娘(小泉今日子)の話。小泉さんは、自分自身の体験を重ねつつ詞を書いたと語っている。「『今までありがとうございました』って言ってお嫁に行く話だから、そのストーリーと普通の恋愛をどっちにも取れるような感じで書いたんだと思うんです。私もそうだったんですけど娘と父親ってなにか特別な思いがあるんですよ」(『コイズミシングル 小泉今日子と50のシングル物語』より)。

運命が動き出した 伝説のオーディション

1981年春。高校1年生だった小泉さんは日本テレビ系のオーディション番組『スター誕生!』に応募、見事合格を果たすことになる。そもそもの発端は、「クラスの中で誰が最初にテレビに出られるか」を競うため。「遊び半分で応募ハガキを出したんですよ」と小泉さんは笑う。

あの頃ってテレビ全盛期だったから、誰もが芸能界に興味があったし、オーディションに応募するのが流行ってた。アイドルにしろお笑いにしろ、テレビに出てみたい、面白いことをしたい、そういう軽いノリだったんです。だから、第一次審査に受かり、テレビに出られるとなったとき、ああ、まずいことになった。どうしよう、面倒くさい!って(笑)。「受かっちゃった! うれしい!」じゃないんです。家族もみんなそうだった。「ほらみろ、どうするんだ、面倒くさいじゃん」って(笑)。

――お母さんの反応は?

母はその頃スナックをやっていたので、オーディションに行くときの洋服を一緒に買ってくれたりしましたし、どんどん受かっていくと親を連れて行かなきゃいけないんでついて来てくれたり。最初、「一人で来ました」と言うと、審査員に「どうしてなんだ」と。「いや、別に連れて来いと言われてないんで」と言ったら、「でも未成年だったら普通は親もついて来るだろう」「いや、別に電車一人で乗れますし」って(笑)。

――オーディションの逸話で、石野真子さんの曲を歌ったのにフルでちゃんと覚えていなかった、というのがすごい度胸だなって(笑)。

だって本気じゃなかったんだもの(笑)。父と同じで、ちょっとテレビ局に潜入してみよう!みたいな軽い気持ちで行っただけなんです。だから「1コーラスだけじゃないんですか? その先も歌うんですか?」「もしかして知らない?」「はい、知らないです」(笑)。そのうち審査員の人たちがみんなで私を見てるのも腹立たしくなってきて。「何見てんだよ」みたいな気分になっちゃって。「目が合ったらそらさないからな」って感じで歌ってたんです。それが逆に「度胸がある」と勘違いされ、結局、それでどんどん受かっていっちゃった。だから「ボーイフレンドはいますか?」って質問されても、「はあ、一応いますけど、それが何か」みたいな(笑)。とにかく挑戦的だった、恥ずかしいぐらいに。でも、面倒くさいと思いつつ、ああ、これで人生変わっちゃうなと感じてたんです、本能で。自分の運命が動き出してるなって。

厚木をテーマにしたら すべてがハマった

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そして、1982年3月。小泉さんは『私の16才』でデビューを果たす。同期は、中森明菜、松本伊代、早見優、堀ちえみ、シブがき隊などが揃う「花の82年組」。みんなが次々とヒットを出す中、小泉さんの曲はなかなかベストテン入りすることができなかった。ブレイクしたのは2年目、5枚目のシングル『まっ赤な女の子』を歌ったとき。髪をショートカットにし、衣装もふわふわヒラヒラではないポップでニューウェイヴなファッションで人気爆発。一気にスターダムにのし上がった

そりゃ売れませんよ、本気じゃないんだから(笑)。1年ぐらいやって、やめようって思ってたんです。芸能界、もう大体わかったから潜入終わり!みたいな感じで。このままみんながいる厚木に帰ろうって。でも、何か爪痕ぐらいは残さないと「よくやったね」って地元の友達には言われないなって。じゃあ、最後にやりたいことやっちゃえ!って、勝手に髪の毛を切ってみたり、好きな服を着てみたり。私って、本当はこうだったよね、ということを出したんです。地元の厚木に向けて。そうしたら、どんどん人気が出て。そのとき、あ、そうか、ちゃんと「テーマがある」のが大事なんだとわかったんです。ターゲットを絞ったらみんなに伝わったぞ!って。

それまでは、なんだか薄ぼんやりしてたんです。好きな食べ物や好きな色を聞かれても、かわいい色とかかわいい食べ物を答えるべきだと思い込んでいたし、衣装もピンクとか黄色とかパステルカラー系のかわいい服がいいんだろうなと思っていたし。髪型も(松田)聖子ちゃんカットで、こういうのをみんな求めてるんでしょって。でも、爪痕を残すために地元の友達を喜ばせる、というテーマに絞った途端、ビタンとハマった。仕事というものがようやくわかったよ、って。そこからは自分のプロデュース脳がぐるぐると動き出し、本当に面白くなっていったんです。アイドル上等、この仕事、めちゃくちゃ楽しいじゃん、って(笑)。

――あの頃の小泉さんをテレビで観ていた側としてもよく憶えています。聖子ちゃんとも明菜ちゃんとも違う、等身大の「新しさ」を感じたというか。だいたい、自分自身のことを名字で「コイズミ」と呼ぶアイドルなんていなかったし、今まで見たことのない女の子が登場してきたなって。

そう、それ。見たことがない女の子像を私がプロデュースすればいいだけじゃんって。それがすごく楽しくなったんです。こういうことなのよ人生は、って(笑)。

その後の彼女の活躍についてはご存じの通り。『渚のはいから人魚』『迷宮のアンドローラ』『ヤマトナデシコ七変化』などなどヒットソングを次々と連発、80年代を代表するトップアイドルに登り詰める。彼女の「自己プロデュース」が群を抜いて面白かったのは、ミュージシャンはもちろん、デザイナーやフォトグラファー、イラストレーター、コピーライター、編集者、そういった時代を象徴するクリエイターとポップカルチャー界を巻き込んで「キョンキョン」像を作り上げたこと。そして、完全なるメタな視点から『なんてったってアイドル』を歌える存在になったことなのだ。

――お話を伺い、小泉さんの大本が厚木時代に培われていたことがよくわかりました。そして、干渉し合わない家族が、中でも子どもを子どもとして扱わないご両親の影響が大きかったことも。

そうですね。それはホントにそうだと感じているんです。だからお芝居で子役と接することがあるんですが、例えば、「あそこの棚にある本を取ってきて」ってお願いしたときに、私でも届かない、子どもなんかもっと届かない場所に本が置いてあるなら、踏み台くらいは探してあげてもいいけれど、それ以上のことはしてあげようとは思わない。だって絶対に自分で取り方を考えた方が楽しいでしょ、って。あと「〇〇ちゃん」と言わず、名字で呼んだりするようにもしていて。例えば「さいとうさん、おはよう」って。そうすると、子どもって喜ぶんです、逆に。子どもは子どもを演じているから疲れているんですよ、子ども扱いされることに。だから、「さいとうさん、おはよう。今朝何食べた? へえ、そう」って。そんなふうに普通に話をする方が、認めてくれたと思うから面白いことをいっぱいしゃべってくれるんです。特に、子役の場合は仕事で来るわけですし。

実はこれ、俳優仲間の小林聡美さんの受け売り。聡美ちゃんがすごく自然に、同僚に接するように子役と話をしている姿に感心して。彼女自身、児童劇団の出身だから、よくわかるんだと思う。しかもこれは一般家庭でも同じこと。学校でもご近所さんでも親戚でも、子どもたちはみんなそう。大人と同等に扱われたい。自分が子どもだったときを振り返れば、そうだったなって思い出しますよね、きっと。

BOOK INFORMATION

小泉今日子さんロングインタビュー。厚木をテーマにしたらすべてが動き出した【後編】の画像4

『ホントのコイズミさん WANDERING』
小泉今日子/編著 303BOOKS 1650円
Podcast番組「ホントのコイズミさん」の書籍化第二弾。作家・吉本ばななや写真家・佐藤健寿らとのトークが活字と写真でよみがえる。第三弾は今冬に発売予定。番組はSpotifyで配信中。

インタビュー/辛島いづみ 撮影/馬場わかな スタイリング/藤谷のりこ ヘアメイク/石田あゆみ(kodomoe2023年12月号掲載)

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