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【67カ国制覇した旅人のバケットリスト】ギリシャ・アテネのアクロポリスで民主主義の原点を歩く

  • 2024.2.20

「死ぬまでにやりたいことのリスト」、バケットリスト。海外67カ国を踏破した筆者が、これまでに訪れた国の中から、今おすすめしたい旅先とその体験を厳選、【67カ国制覇した旅人のバケットリスト】としてお伝えします。コロナ禍で海外渡航が叶わなかった約3年間を経て、旅と自由が再びよみがえった今、あなたはどこへ旅に出たいですか?

なぜ今ここをバケットリストに入れたのか?

ギリシャのアテネで誕生したとされる民主主義は、時をかけ世界に広まり、多くの国々の政治制度として定着しています。現在でもアテネの中心部で大切に保存されている古代アゴラは、市民たちが集い会議を行った場所。古代の市民広場からせり上がる高台には、市のシンボルのアクロポリスが威厳に満ちた姿で聳えています。

民主主義の礎が築かれた時期に創建され、2000年を超えて市民生活を見守り続けたのです。古代アテネの直接民主制から変化した間接民主制を導入する日本は、代議員選挙の投票率が高いとはいえません。アクロポリスに訪れると、民主主義の意義を見直すきっかけとなるかもしれません。

高い都市を意味するアクロポリス

「アクロポリス」はギリシャ語で「高い都市」を意味します。アテネ市街地の南方で海抜約150mでせり上がる丘に残る遺跡は、市内のどこからでも見ることができます。訪れた誰の目にもアテネのシンボルとして、くっきりと浮かび上がることでしょう。

アクロポリスは、アテネの市街地を北西から南東に走る地下鉄2号線のアクロポリ駅から、徒歩約12分のところに位置します。エントランスから、ゆるやかな坂道を登りきると遺跡のエリアです。玄関で来訪者を迎えてくれるのは、プロピュライア(前門)。

アクロポリスの玄関の役割を果たすプロピュライア

プロピュライアの南側にはアテナ・ニケ神殿が建立されています。勝利の女神ニケを祀るため、紀元前427年にカリクラテスによって建設されました。幅約5.4m、奥行き約8.3mのエリアの東西に、4本ずつの円柱を並べた柱廊が印象的なイオニア式の小さな神殿です。

プロピュライアの北側には、アグリッパの台座が設けられています。紀元前2世紀にペルガモン王の馬車像を置く台座として設置されました。その後、カエサルやアウグストゥスとともに軍人、政治家として活躍したアグリッパの像が置かれていました。

アテネの守護神アテナ像が祀られていたパルテノン神殿

プロピュライアを通り抜け視界が広がると、神々しいパルテノン神殿の姿が目の前に現れます。民主主義の礎を築いたペリクレスの提案によって造営されました。イクティノスとカリクラテスが、紀元前447年から15年の歳月をかけて創建したのです。

内陣にはオリュンポス十二神の一柱であり、アテネの守護神とされる女神のアテナ像が祀られていたと伝わります。アテネの町のどこからも見える高台に守護神を祀ることは、市民の総意であったに違いありません。

創建以来アテネのシンボルとして変わることなく2000年以上もの間、高台からアテネの歴史を見守り続けたのです。1453年にビザンツ帝国が滅びると1456年には、アテネはオスマン帝国の支配下となり、パルテノン神殿はイスラム教のモスクとなってしまいました。宗旨替えをせざるをえませんでしたが、幸い建物に大きな改造は加えられなかったようです。

ところが1687年、ローマ教皇とオスマン帝国が激しく争う中、オスマン帝国軍は神殿を弾薬庫として利用したため、ヴェネツィア軍の攻撃を受け爆破されてしまいました。

歴史の流れによる数々の悲運に見舞われた神殿でしたが、1834年には修復工事が始められ、古代の姿が現代によみがえったのです。

神殿は重厚な建築様式のドーリア式によって建造されています。神殿を囲む46本ある円柱は、中央に膨らみをもたせたエンタシスという技法が採用されており、視覚的な安定感をただよわせているようです。創建のときには、周囲約160mの柱頭と屋根の間のメトープは、ギリシャ神話や古代の歴史を物語る約100枚のレリーフで装飾されていたと伝わります。

美しい乙女姿のカリアティードが屋根を支えるエレクティオン

パルテノン神殿の北側では、エレクティオンが堂々とした姿を見せています。ギリシャ神話で女神アテナと海神ポセイドンが、アテネの守護神の座をめぐって争ったところに、紀元前408年に建設されました。神殿名は、ギリシャ神話の英雄エリクトニオスに捧げられたものと推定されています。建築様式にはドーリア式に加え、イオニア式の要素が用いられています。

エレクティオンで最も目を引くのは、神殿の南西側のカリアティードでしょう。6人の美しい乙女が象られた柱が神殿の屋根を支えています。奴隷とともに女性は政治に参加できなかった古代アテネの社会ですが、美しい乙女に憧れを抱く文化は定着していたのかもしれません。フェミニストの男性が熱弁をふるえば、女性に優しい社会が築かれることでしょう。

現在のカリアティードは全てレプリカですが、5本のオリジナルが新アクロポリス博物館で展示されています。

足の裏から古代の世界が体に忍びこむ遺跡のエリア

遺跡のエリアには、他にもいくつもの神殿が建っていましたが、現在は遺品の石が一面に転がっています。石の上を歩いていると、足の裏から古代の世界が体に忍び込んでくるようです。

アクロポリスの丘の端には展望台も設けられています。展望台からは、眼下にアテネの市街地を一望することができます。

世界遺産に登録されたユネスコのシンボルマーク

アクロポリスは、アテネに民主主義の礎が築かれた時期に、市街地を見下ろす高台に創建されました。以来、アテネの歴史を見守り続け、市のシンボルとなっています。遺跡を歩いていると、古代の世界が身近に感じられることでしょう。パルテノン神殿はユネスコのシンボルマークにデザイン化されています。1987年には、「アテネのアクロポリス」として世界遺産に登録されました。

 

施設名:アクロポリス

住所:Athens 105 58, Greece

電話番号:30 21 0321 4172

営業時間(2024年2月の冬季営業):9:00~17:00

定休日:1月1日、3月25日、5月1日、イースターサンデー、12月25日、12月26日

[参考]

伊藤貞夫著『古代ギリシアの歴史』(講談社学術文庫)

高野義郎著『古代ギリシアの旅』(岩波新書)

萩野矢慶記著『ギリシャを巡る』(中公新書)

 

[All Photos by Hitoshi Obayashi]

 

 

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