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「冷血な女というイメージにはうんざり」文筆家・村上香住子が垣間見た、カトリーヌ・ドヌーヴの素顔とは?

  • 2024.2.15

文筆家・村上香住子が胸をときめかせた言葉を綴る連載「La boîte à bijoux pour les mots précieuxーことばの宝石箱」。今回はフランス映画界のレジェンド、カトリーヌ・ドヌーヴの言葉をご紹介。

フランス映画界の象徴として、長年君臨してきたカトリーヌ・ドヌーヴだが、女王などと呼ばれることに、いまではうんざりしているかもしれない。なぜか世間では、素顔の彼女がアンチ・ヒーローだということは、あまり知られていない。女王はクールでもったいぶっているし、近寄りがたい存在だと思われているので、まるで銅像のようにファンたちは遠くから眺めていて、その中身を知ろうともしない。

もともと女優に憧れていた訳ではなく、姉のフランソワーズ・ドルレアックの撮影に付いていき、そこでスカウトされ、そのまま映画界に入ってしまったのだ。姉が1967年に衝撃的な車の事故で亡くなってからは、姉の分まで女優の道に没頭したい、とどこかで語っていた。仲のいい姉妹だったという。

毎年パリの園芸好きが待ち構えている植物の展示会でよく見かけたし、クリニャンクールで蚤の市の常連が集まるアンティーク店があって、そこの店主がドヌーヴと親しかった。その店に日曜の昼食時に行くと、巨大なサラダボールにサラダ・ニソワーズがあふれていたし、傍にはリエットやパテが無造作に置いてあった。あたたかく、とても人間的な店主だったので、よく人が集まっていた。ジャーナリストの女友達は、店主が骨董を探しに旅に出る時、ドヌーヴも時々一緒に行くこともある、といっていた。

パレ・ロワイヤルの近くの、19世紀半ばに生まれたベル・エポック風のパッサージュ・ヴェロドダに、アンティーク店があった。どの品も埃を被ったものばかりだったが、なかなか美意識の高い古物商だといわれていた。いまはもうなくなっているかもしれない。ある時そこの陳列台にカトリーヌ・ドヌーヴが座っていると、店に入ってきた客が、遠くからドヌーヴを見て「あの人形はいくらだね?」と聞いたというエピソードもある。

いま思うと不思議なことに、ドヌーヴとは同じ場所に出入りしていたことが多かったし、幾度もすれ違っている。

そういえば、大分前だが、同じパッサージュ・ヴェロドダの一角にある靴のブランド「クリスチャン・ルブタン」のセールで見かけたこともある。映画界の女王なのに、平気でセールにも行くし、そうしたことを愉しんでいるようにみえた。同じサンシュルピス寺院の近くに私も長年住んでいたので、広場の「カフェ・ドゥ・ラ・メリィ」にはよく行っていた。ある時テラスに座っていて、思いがけない光景を目撃したものだ。マルチェロ・マストロヤンニとドヌーヴが、目前の噴水の近くで、無言ですれ違っていったのだ。ふたりの間には、女優の娘キアラ・マストロヤンニもいるのに、二十年以上前に別れた元恋人たちは、何ひとつ言葉を交わすことなく、静かにすれ違っていった。

大人の恋は、ほろ苦い。

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1943年、パリ生まれ。映画俳優の父母の元に生まれ、10歳の頃から映画に出演し始める。64年『シェルブールの雨傘』の主演で世界的な名声を得る。『ロシュフォールの恋人たち』『昼顔』(ともに67年)、『終電車』(80年)などフランス映画を代表する作品に出演。俳優、マルチェロ・マストロヤンニとの間に娘キアラ・マストロヤンニを儲ける。2019年に脳卒中を起こし入院するが、リハビリを経て20年6月から完全復活、現在も第一線で活躍中。photography:REX / Aflo

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