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少年兵から大人気モデルへ……異色の経歴を持つ青年がファッションデザイナーになった理由は?

  • 2024.2.13

南スーダン出身のマムオル・マジェンは、ファッション・ウィーク・メンズのランウェイでいまや大人気のモデルだ。だが2年前までは、内戦で荒廃した祖国で暮らす普通の少年だった。

アン・ドゥムルメステールの2023年春夏コレクションでのマムオル・マジェン。(パリ、2022年10月2日)photography:Imaxtree

黒檀のような肌に黒い瞳の持ち主は、内戦が続く祖国であまりにも多くのことを体験した。希望を失ってもおかしくなかった。しかしながら彼には別な人生が用意されていた。マムオル・アワク・マジェンは1月29日に21歳になったばかりの、ファッション界の新進モデルだ。ファッション・ウィークの登場回数はすでに59回となり、2023年最も注目されるモデルとなった。スーダン内戦で少年兵として戦っていた頃、華やかなランウェイに立つ日が来るとは、本人も夢にも思わなかったに違いない。わずか2年で彼は人生を書き換え、美を体現する存在となった。

メゾン マルジェラ2024年春夏コレクションのランウェイを歩くマムオル・マジェン。(パリ、2023年10月3日)photography:Imaxtree

人生が激変するきっかけは3年前に訪れた。まだ10代の少年は自作曲でダンスを踊り、南スーダンの村からインスタグラムに動画を投稿していた。これが同国でモデルを探していたスカウト、イヴ・コンスタンの目に留まった。しかしながらマムオル・マジェンが決断するまで1年かかった。詐欺話ではないかと最初疑ったのだ。母親にようやく伝えたのは大手モデルエージェンシーのエリートから渡航が決まってビザが届いてからだったとAFP通信は報じている。母親は「一家の大黒柱」だった長男が行ってしまうことを不安がった。息子は決して家族を見捨てないことを約束し、内戦に揺れる祖国を後にした。

バルマンのミューズ

2年間でマムオル・マジェンは多くのブランドのショーに出演する。バレンシアガ、ケンゾー、ボッテガ・ヴェネタ、アクネ ストゥディオズ、リック オウエンス等々。ひとつのショーで何回も登場することもあった。バルマンのミューズとして最新コレクションではオープニングを飾り、直近のファッション・ウィークでは、ファレル・ウィリアムスによるルイ・ヴィトン、ジョン・ガリアーノによるメゾン マルジェラ、ニースで開催されたジャックムスなど、話題のショーの数々に登場した。1月23日、パリのオートクチュール・ファッション・ウィークの最中に、彼は新たなページを刻んだ。胸をドキドキさせながら立っていたバックステージは彼自身のショーのもの。美しい祖国に想いをはせた結果、自らデザイナーになろうと決断したのだ。AFP通信の取材に、彼はにっこり笑って金のグリル(マウスピース型ジュエリー)をのぞかせ、こう説明した。「一生モデルでいるつもりだったけれど、だんだん、なにかしなきゃと思いはじめた」

初のファッションショー

AFP通信の説明によれば、南スーダンは "2020年以降、民族虐殺、レイプ、拷問が横行する内戦で荒廃し、38万人以上の命が奪われ、人道危機を引き起こしている"。photography : Instagram@maamuor

全額自費でまかなった初のファッションショーのタイトルは"War Zone(戦争地帯)"。彼が決して語らない残虐の記憶がそこにこだまする。スーダンの内戦は2020年以降38万人以上の命を奪ったとAFP通信は報じている。その最中に少年兵士だった彼の過去については、ほとんど知られていない。この件について尋ねられたマムオル・マジェンは詳細を語らず、「辛い経験」だったとだけ言う。彼はそうした記憶を言葉にすることなしに、曲線と素材を与え、服とした。パリのコロネル・ファビアン広場のエスパス・ニーマイヤーでおこなわれたショーは残虐な寓意に満ちていた。カモフラージュ柄は少年の頃、同胞を襲った敵の記憶を象徴している。あるモデルが腕に抱える黒い人形は、彼や兄弟姉妹を象徴している。母親は子どもたちを抱えて戦火から守ってくれた。「エレガントな感じに仕上げることもできるけれど、自分が育ったのはそんな環境だった」

「1/2Mamuor」と名付けた自分のブランドのショーでのマムオル・マジェン。観客は迷彩服と恐怖、暴力に対抗するためのギャングカルチャーに彩られた少年兵士の思い出に浸った。 (パリ、2023年1月23日) photography: Instagram@maamuor

フィナーレで挨拶に出てきたマムオル・マジェンは白い毛皮を纏っていた。彼の民族であるディンカ族が眠る時に敷物にする動物の毛皮にちなんでいる。彼はその場に座り込んだ。このショーは父が亡くなって5日後におこなわれた。暴力を捨て、スポットライトを浴びる暮らしをするようになった今、自らのルーツへ敬意を表したマムオル・マジェンは、こうして不屈の精神の象徴となった。

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