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“美人”よりも、“小綺麗な顔”のほうが、人生はるかに得をする

  • 2024.2.12

美人は男運が悪い? 美人が幸せになれるとは限らない?

美人は本当に得なのか? いつの時代もひっそり提示されてきた疑問。ただ、いつもそこに明快な答えは出されない。疑問が疑問のまま、次の時代に持ち越される。なぜか? 何だかんだ言っても、人生総合的には美人のほうが得なことが多いでしょ?という見方が大勢を占めているからだ。

ただ「美人が幸せになれるとは限らない」という、やはり以前からあるネガティブな法則が、アンチルッキズムの流れになって、より鮮明に浮き彫りにされるようになった。そう、だからがむしゃらに美人を目指すことはないのではないかという、新しい提案が目立ってきてもいる。

たとえば、「美人は、男運が悪い」……これも昔から言われてきた理屈で、美人女優の夫が不倫したり、不祥事を起こしたりするたびに、すかさずこの議論が浮かび上がるが、それはある意味、正しい。

美人を見ると、落とさずにいられなくなるタイプの男は、いかなる美人を妻にしても、その性分は変わらない。また不祥事を働いてまで私腹を肥やそうとする男は、ルッキズム=外見至上主義の申し子のようなタイプが多くなる。美人に、そういう男が近づいてくる確率が高いのは間違いなく、美人は案外、自分の外見を高く評価してくれる男に弱かったりするから、必然的に男運は悪くなるのだ。

一方「美人が幸せになれるとは限らない」という説も、美人になれば幸せになれるという女性だけの幻想がある限り、期待に沿うだけの幸せを得られないことはもう決定的。さらにうがった見方をすれば、それこそ美人だから玉の輿に乗れたとしても、それで幸せかどうかは別の話だ。

また美人コンテストの覇者などが陥りがちな、絶世の美女と言われたがために、運命に翻弄されてしまうケースも古今東西、枚挙にいとまがない。いずれにせよ、美人になれば幸せになれるという決めつけは、もういい加減やめるべきなのだ。

とはいえ現実には、ルッキズムが否定されてもなお、美人になりたい人はそれほど減っていない気がする。それは、一つの本能だからなのだろう。理屈を超えて美人を目指すことが人生の目的になっている人さえいる。確かにそれは生きるためのエネルギー、否定するつもりはない。でも美人よりはるかに得をするカテゴリーがあるのを知っておくべきだ。“小綺麗な人”という。

小綺麗……ほどよく整っていて、清潔感があり、気持ちのいい感じがする様子。間違えてほしくないのは、“少しだけ綺麗”という意味ではないことだ。

社会が求める理想の女性の要素を「小綺麗な人」はすべて持っている

「小綺麗」と「綺麗」は違う。「綺麗」は顔のつくりや容姿そのもの、「小綺麗」はむしろ身繕いの美しさを含めた全体の印象美、醸し出す雰囲気を問う。

ただ小綺麗も、見た目から来る美しさであるのは同じ。その見た目から伝わる内面の美しさまでを含めるのが、小綺麗なのだ。実は「小綺麗」には“気が利いている”という意味もあって、そこがとても重要。洗練されていて上品、という意味が含まれること、絶対忘れないで。

身なりが整っていて清潔感がある。メイクはさりげないが、メイク映えして明るい印象。髪にきちんと手間がかかっている。背筋がピンとしていて、身のこなしまでが凜として美しい。だからきっと美しい暮らしを営んでいるのだろう。言葉遣いまで整った礼儀正しい人なのだろう。また気持ちまでが穏やかなのだろう……そう思わせるのが「小綺麗」なのだ。

従って「小綺麗」の英訳は見つからない。断片的に表現する言葉はあっても、人としての奥深い印象美までを語る言葉は見つからない。とても日本的な魅力を伝える日本語ならではの表現なのだ。

かくして、人生で一番得をするのがこの小綺麗な人! そう言い切れる。考えてみてほしい。就活、婚活、恋活……人生を切り替えるタイミング、その初対面で圧倒的に強いのは絶対に小綺麗な人。ハッとするほどの美人は、どの場面でも時に警戒されがち。特に職場の中には、美しすぎる社員は使いにくいと、勝手に尻込みするような上司がいる企業がなくもないのだ。

でも小綺麗な人は、迷いなく二重丸をつけられる。というか、一般的な企業の多くは、皆この小綺麗な人を求めていると考えていいと思う。なぜなら小綺麗は、バランス感覚や有能さも無言で一緒にアピールしてくるから。もちろん、面接にわざわざ小汚い印象を持ち込む人はいないが、小綺麗はきちんとした装いだけを言うのではない。やはり“人として整っている”から選ばれる。ド美人じゃなくても、清潔そうな顔立ちに、健康そうな体つきと気配。それが社会が求める理想なのだ。そのうえでさらに面接で個性ある才能を印象づけられれば、それはもう最強ということになる。

婚活ではなおさら強い。結婚を前提にしたお付き合いにおいて、一番求められているのが小綺麗な人なのは世の道理。必要以上な美しさはむしろ後ずさりされる世界。婚活パーティーでも不安や諦めを生んでしまう。そのぶん、小綺麗な人に集中するのは目に見えている。

恋活では、美人に負ける場面もあるのだろうが、それでも小綺麗のほうが総合的にいい恋愛に巡り合える確率は高い気がする。ちゃんと幸せにつながる恋愛に。

なぜそれほど小綺麗が強いのか、逆に女性から見た小綺麗男の好感度をイメージしてみてほしい。納得できるはずだ。イケメンすぎる男は危険だが、小綺麗男は恋愛でもオアシスのような存在となり、みんなが迷わず押し寄せる。

しかも、小綺麗は最強なうえに誰もが簡単に実現できる。困難を伴いリスクも多い美人を目指すより、人生においてずっと効率がいいのは疑いようがないのだ。

ただ、もっとも重要なのはここでも「やっぱり顔」。つまり“小綺麗な顔”をつくること。そもそも小綺麗な人は、全身を使って“小綺麗な顔”をつくっている。そこがキモ。結局、人生は顔が決めるのだから。

じゃあ小綺麗な顔ってどんな顔か? これはもう明快で、目は必要以上に大きくなくても、白目が白く澄み、凜としたまなざしを持っていること。鼻はいわゆる“忘れ鼻”がいい。大げさに高くなくても鼻筋が通っていなくても、どんな鼻をしていたか忘れてしまうくらい気にならない鼻が一番小綺麗なのだ。口元はひたすら清潔感を追求。歯は白く、笑ったときにも口元が下品にならない。そして何より、肌が美しいこと。難しいことではない。メイクによって、スキンケアによって、歯のケアや表情の心がけで、多くの人がクリアできる顔。でも意識しないとつくれないし保てない顔でもある。

そして、髪型も装いも、実は小綺麗な顔をつくるためのものと考える。いや厳密に言えば、小綺麗に見えればいいのだ。まず髪型で、顔の印象が大きく変わるのは自分が一番よく知っている。そういう意味で“一番整った顔に見える髪型”を探すこと。そして服も“顔が整う服”ってある。間違いなくあるのだ。自分に異様によく似合う服って、要するに顔が綺麗に見えるからうれしい訳で、それを探すこと。小綺麗というと多くの人がコンサバで地味な服に走りがちだが、そうではなくて、トレンドの服でも顔が整って見えればいい。そういう視点で服選びをし直そう。そうすると全体の雰囲気が本当に上品な、暮らし方まで、心の中まで小綺麗な人になるはずなのだ。

いずれにせよ、大人になるほど人間性は顔に出る。美人は顔だけ、でも小綺麗は全身で丁寧につくっていく美しさだからこそ、小綺麗な人のほうが人間的クオリティーまで高く見えるのだろう。よって、年齢よりも精神的に大人に見え、安心と信頼感と包容力でいつの間にか相手を包み込んでいる。その結果、人生はるかにうまくいくのだ。

なかなか美人になれない人も、別に美人になりたくない人も、美人で幸せになれない人も、今日から始めよう。“小綺麗な顔”づくり、全身を使って。

小綺麗な人は、何より“小綺麗な顔”を持っている。それも顔だけでつくるのではない。“顔が清潔に整って見える髪型”に、“顔が綺麗に見える服”にと、全身でつくっていく顔。だから内面までが美しく見え、人を惹きつける。その結果、人生はるかにうまくいくのである。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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