1. トップ
  2. エンタメ
  3. 映画『かがみの孤城』で知ってほしい「6つ」のポイントを徹底解説! 原恵一監督のここがすごい

映画『かがみの孤城』で知ってほしい「6つ」のポイントを徹底解説! 原恵一監督のここがすごい

  • 2024.2.11
  • 4492 views
金曜ロードショーで放送のアニメ映画『かがみの孤城』における、原恵一監督の手腕が冴え渡る、「6つ」のポイントを解説しましょう。※サムネイル画像はBlu-rayソフトより
金曜ロードショーで放送のアニメ映画『かがみの孤城』における、原恵一監督の手腕が冴え渡る、「6つ」のポイントを解説しましょう。※サムネイル画像はBlu-rayソフトより

2024年2月9日、『金曜ロードショー』(日本テレビ系)にて、辻村深月による同名小説をアニメ映画化した『かがみの孤城』が放送されました。知ってほしい「6つ」のポイントをまずはネタバレなしで、警告後にネタバレありで記していきましょう。

1:原恵一監督らしい「細やかな演出」が冴え渡った作品

『かがみの孤城』の監督は、クレヨンしんちゃん映画、特に『嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』が絶賛された原恵一。その名前を、まずは覚えていただきたいです。

原監督は『河童のクゥと夏休み』や『カラフル』といった、少年少女の心の揺れ動きを丁寧かつ繊細に描いた作品も手掛けており、それらの物語の精神性や、細やかなアニメの演出が、今回の『かがみの孤城』でも受け継がれています。

2022年公開のアニメ映画は、『すずめの戸締まり』のきらびやかな描写の数々、『THE FIRST SLAM DUNK』の革新的な表現も話題になりましたが、アニメ表現の目指すものは、それら以外にもあるのだと、この『かがみの孤城』で思い知らされたのです。
いい意味で全く派手ではない、「抑えて」いながらも「緻密に作られた」演出の数々に、ハッと気付かされることがあります。それらは、原作とは異なる映画独自のものであるとともに、キャラクターの心理や、原作の尊いメッセージを示していました(詳しくは後述します)。

2:いじめを簡単には解決させない、だけど映画の力を信じている

『かがみの孤城』は、劇中の「学校に行けなくなった理由がある」少年少女たちと同世代の、中学生ごろの若い人に届いてほしいと心から願える作品です。ここまで子どもに真剣に寄り添い、それでいて安易な解決にも頼らない作品は、なかなかないと思えるからです。

それを裏付ける言葉を、原恵一監督は舞台あいさつで述べています。本作へのネガティブな意見の中に「いじめの問題が解決されていない」という声があることを受けて、このように返したのです。

「いじめの問題って、そんなに簡単に解決する問題じゃない」
「でも、いじめはなくならないと、放り投げたつもりもない」
「(主人公の)こころは最悪な状態からファンタジーの力を借りて、それまでとは違うこころになれた。現実の学校でも、そういうことは可能だと思う」

さらに、2023年のフランスのアヌシー国際アニメーション映画祭の上映で、原監督は「昨年、日本では514人の子どもたちが自ら命を絶ちました」と痛ましい事実を告げた後にこうスピーチをしました。

「私はメンターではなく、ただの映画監督です。でも、私は映画の力を信じています。映画には人の人生を変える力があります」
「子どもたちへ。君たちはこのばかげた世界で生きています。でも、どうか恐れないで。君たちはひとりじゃない」

これらの言葉の1つ1つが、映画を見終えた後だと、より真に迫ってくるでしょう。今まさに、いじめや心の問題を抱えている子どもたちに(かつて子どもだった大人にも)、このメッセージと作品が届くのであれば、きっと希望になると思えるのです。

さて、ここからは原監督だからこその、注目してほしい演出を記していきます。いずれも、 原作とは異なる表現が特徴的です。本編のネタバレを大いに含んでいるので、観賞後にお読みください。

※以下、映画『かがみの孤城』のネタバレに触れています。また、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』の一部内容も記しているのでご注意ください。

3:「歩き方」が変わっていく

映画の冒頭で、主人公の安西こころは暗闇の中、水音を立てながら歩いています。それは彼女の心象風景となっていて、現実のこころは不登校になり「心の教室」へと向かう最中に、3人の女子中学生が楽しそうに歩いているのを目にしていました。文字通りに「重い足取り」になっていたのです。

さらに、こころが靴箱近くで再会した友達の東条さんから何も言われず、いじめの張本人である真田の手紙を読んだ後……彼女は「上靴を履き潰し」ながら、憔悴(しょうすい)しきった表情のまま歩いていました。

そして、ラストでこころは、リオンと「歩幅をそろえて」と歩き出すのです。それまで重かったこころの足取りは格段に明るくなり、一緒に歩く仲間もいて、まるで光輝く未来へと歩んでいくように、前向きな……それらが言葉による説明ではなく、「映画」としての描き方で示されています。

原恵一監督は『オトナ帝国の逆襲』でも、「歩く」描写でキャラクターの心情を表現していました。劇中屈指の感涙シーンである「ひろしの回想」もその1つ。ひろしが歩んできた人生が、どのように変化していくのかを、ぜひ『かがみの孤城』と見比べてみてほしいです。

さらに、クライマックスでこころが階段を駆け上がっていくシーンは(原監督は意識はしていなかったと語ってはいるものの)、『オトナ帝国の逆襲』のクライマックスを連想させるものでした。「歩く」「駆けていく」様は映画で最もエモーショナルなものともいえますし、原監督はそれを最大限に引き出せる作家なのです。

4:机の下で「握る手」の変化

さらに、細やかさにうならされるのは「手」の描写。映画の序盤、フリースクールに来たこころは、机の下でギュッと手を握っていました。不安で仕方がなかったのでしょう。

そして、映画の終盤での同じ場面にて、(薬指に指輪もあって結婚をしたことも分かる)喜多嶋先生=アキは、こころのギュッと握った手に対して(もちろんその手は見えていないはずなのですが)、その手をつかむかのように、少し前に出すのです。

これは、かがみの孤城の中で、アキのために、こころが(みんなで童話の「大きなカブ」のように)「手を伸ばして」救い出したことと呼応しています。

こうした「ほんの少しの動作」だけで大きな感動を生むのも、原恵一監督らしさ。そこには、脚本家・丸尾みほの力も確実にあったのでしょう。文庫で上下巻にもおよぶ原作を、2時間以内の映画にまとめ上げるための取捨選択も、これ以上ないほどに的確だったと思います。

ほかにも、原監督の映画『カラフル』では、「友達が主人公のために、肉まんを半分こしようとするけど、大きめのを渡してあげるために、指をちょっとだけ動かしてから割る」という細かすぎる(でも伝わる)描写で、大きな感動を与えてくれたりもするのです。

5:『名探偵コナン』のセリフは「中の人ネタ」だけじゃない

マサムネが「真実はいつもひとつ! なんつって」と言うのは、言わずと知れた『名探偵コナン』(小学館)の江戸川コナンのセリフ。どちらの声優も高山みなみであり、いわゆる「中の人ネタ」になっているのです。

このセリフは原作にないのはもちろん、当初の台本にもなかったそうです。原恵一監督は「アフレコする前に、高山さんならではの演出ができないかな」と考え、「(もともと別の作品のセリフなので)断られないか心配していた」ものの、高山みなみ本人から快諾してもらえたのだとか。

ただ、これは単なるお遊びではなく、「真実はいつもひとつ!」にスバルが「なにそれ?」と返すことが、「キャラクターがそれぞれ別々の年代に生きていた」という1番のサプライズの伏線にもなっています。

スバルが生きていた1985年にはまだ『名探偵コナン』の原作漫画もアニメも存在しないため、スバルにはそのセリフの元ネタが分からない、というわけなのです。

ただ……そういう明確な理由付けがあるとはいえ、個人的には「せっかく映画に没入して見ていたのに、そんな余計なネタ入れるんじゃないよ!」と文句を言いたくなったのも正直なところ。メタフィクション的なギャグが合うタイプの作品もありますが、本作はそうではないと思うのです。

余談ですが、本作にはほかにもボイスキャストの小ネタがあります。例えば、リオンの少年時代の声を担当していたのは『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけ役を前任していた矢島晶子。実は冒頭の心の教室でのガヤガヤとした子どもたちの声から、「しんのすけっぽい声」も聞こえており、そちらも矢島晶子が担当しています。

さらに、オオカミさまの最後の「善処する」というセリフは、オオカミさまをこれまで演じていた芦田愛菜ではなく、リオンの姉のミオを演じていた美山加恋の声になっています。

6:オープニングの意味と、現実でも見つけられる希望

映画はこう始まります。「ねえ赤ずきん、読んで、読んでってばぁ」という男の子の声が聞こえてきて、シーツの中で眠っていた髪の長い女の子が、今まで見ていた夢を振り返ったためなのか、クスッと笑います。

映画を見終わってみれば、男の子の声は幼い頃のリオン、クスッと笑った女の子はリオンの姉のミオ=オオカミさまだと分かります(オオカミさまは子どもたちを「赤ずきん」と呼んでいて、さらに「オオカミと七匹の子ヤギ」も子どもたちのモチーフになっていました)。

病床にふせっていたミオは、薬の副作用で髪が抜けていた(または短髪になっていた)ので、このオープニングはそれよりも以前の、「ミオが(リオンに絵本を読んでと頼まれた)楽しい夢を見ていた」幸せなひと時かもしれません。

はたまた、ミオがオオカミさまとなってかがみの孤城の冒険を夢見たあとの満足感が、ほほ笑みとして表れたのかもしれません。いずれにせよ、ミオの「希望」や「幸福」そのものを示すシーンと言ってもいいでしょう。

そして、かがみの孤城は現実には存在しないファンタジーでもありますが、現実にもこころが通うフリースクールはありますし、子どもたちが学校以外の場所での交流で、大切な価値観を知ることはありえます。

さらに、「夢を見る」という形で、現実ではかなえられない幸せな時間を過ごして、その記憶が残っていなくても、それが現実で生きるための「糧」になるのも、ありえることです。

そのように考えれば、かがみの孤城は全てがファンタジーの絵空事や夢物語ではない、似たような場所や経験はきっと現実にもある、という提言にもなっています。

この物語は「そんな奇跡が起きないことは、知っている」などといった、こころの絶望的なモノローグから始まっていますが、ラストでこころは(オオカミさまが「善処する」と言っていたように記憶が残っているのかもしれないし、そうではないかもしれない)リオンと再会します。

これからのこころの人生にもきっと困難はあるでしょうが、これからはリオンという心強い味方がいる。奇跡は、現実でもきっとあるのだと、希望を示してくれる物語でもあったのです。

また、「キャラクターがそれぞれ別々の年代に生きていた」というトリックは、単なるサプライズというだけではなく、「いつの時代も子どもたちは悩みを持っている」「かつて子どもだった大人が(時には子どもたちと対等な友達のように)接して救ってあげられる」という、それもまた現実につながっている教訓でもあると思うのです。

余談ですが、ミオ=オオカミさまの意志や目的は、原作ではさらに詳細に書かれています。ほかにも、原作では「クリスマスの日」や「アキのおばあちゃん」など、映画で削られたエピソードがいくつかあるため、ぜひ併せて読んでみてほしいです。「テレビゲームがすごく進歩しているから時代のズレに気付くだろ!」といったツッコミどころのいくつかも、きっと解消できると思いますよ。

※以下、『すずめの戸締まり』のネタバレに触れています。ご注意ください。

おまけ:『すずめの戸締まり』とのシンクロも

最後に、『かがみの孤城』が新海誠監督作『すずめの戸締まり』と奇跡的なシンクロをしたポイントについても触れてみましょう。

『すずめの戸締まり』の終盤で、主人公の岩戸鈴芽は、4歳の頃の自分と出会い「あなたは光の中で大人になっていく」と告げ、「私は、鈴芽の、明日(あした)」と自己紹介もしました。

新海監督によると、もともとは鈴芽に「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と3回繰り返すという案もあったものの、「(大丈夫の)繰り返し」も意味する言葉として、シンプルな「明日」という言葉として打ち出したのだそう。その「大丈夫」は、『秒速5センチメートル』『天気の子』など、ほかの新海監督作の重要なシーンで使われる言葉でもあります。

そして、『かがみの孤城』で喜多嶋先生=アキが最後に、こころへ(心の中で)告げた言葉も「大丈夫」でした。

「自分自身」か、「(かがみの孤城の記憶がなかったとしても)かつての自分のように傷ついている子ども」に言うか、という違いはあれど、『すずめの戸締まり』と『かがみの孤城』は、どちらも「大丈夫」をもってして、「大人になっていく」子どもの未来への希望を示した、とても優しく、尊い作品なのです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「CINEMAS+」「女子SPA!」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。

文:ヒナタカ

元記事で読む
次の記事
の記事をもっとみる