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【黒柳徹子】ハリウッドで人としても尊敬されていた女優、キャサリン・ヘプバーン

  • 2024.2.6
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黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第22回】女優 キャサリン・ヘプバーンさん

「好きな女優は誰ですか?」と聞かれて、昔から必ず答えているのが、ニューヨークの舞台女優からハリウッド映画に移り、オスカーを4回(!)も受賞した名優キャサリン・ヘプバーンです。「ヘプバーン」といえば、日本ではオードリーのほうが有名ですが、アメリカでは、キャサリンの人気が圧倒的! 知的で繊細で、優雅で品があって、そのうえユーモアもあって。そもそも、演技部門でオスカーを4回も受賞したなんていうのは、長いオスカーの歴史の中でも彼女だけ。まさに人気と実力を兼ね備えたアメリカを代表する女優です。

オスカーの受賞作だって、1933年『勝利の朝』に出演したときはまだ20代。その34年後、1967年の『招かれざる客』でオスカーを受賞したのが60歳。翌年も『冬のライオン』(大好き!)でオスカーを受賞しているので、この頃が女優として最も円熟していた時期だったのかも。その13年後にも、『黄昏』(名作!)でアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。身長が170センチ以上もあって、普段からパンツスタイルで過ごしていたのですが、1940年代とか50年代にそんな人は珍しかったから、彼女をきっかけに、パンツルックが世界中で大流行したことも。今でいうインフルエンサーですよね。オードリーも、フェミニンなルックで世界中に影響を与えましたけど、キャサリンは当時、自立した女性のパイオニア的存在だったのかもしれません。

生のキャサリン・ヘプバーンをブロードウェイの舞台で観たことがあります。ハリウッドスターとして大成功してからも、彼女は自身の原点である舞台に立っていました。ステージ上でココ・シャネルを演じる彼女はすごく生き生きしていて、スターっぽさが微塵もありませんでした。それはもちろんいい意味で「人間がいる!」という感じでした。私は、そういう生身の人間らしさを感じさせてくれる俳優が昔から大好きなのです。

性格俳優のスペンサー・トレイシーと長いこと不倫をしていたのに、ハリウッドでは誰一人、彼らを悪く言う人がいなかった。それくらい、人としても尊敬されていた女優でした。トレイシーとは9本もの映画で共演していて、「ベスト・カップル」と呼ばれていました。それなのにトレイシーが最初の妻と離婚しなかったのは、敬虔なクリスチャンであったために離婚が難しかったことも理由の一つですが、一番の理由は、障害を持っていた息子を妻が育てていて、福祉活動をする上では、夫のスペンサー・トレーシーという名前がどうしても必要だったからです。

彼女はその人生の中で、「なるほどなぁ」と人を唸らせるような言葉をいくつも残しています。たとえば、「修練のない人生なんて、人生じゃない」という言葉。これは、マリア・カラスの「修練と勇気、あとは全部ゴミ」という言葉にも似ていますし、「正しいか間違っているかなんてどうでもいい。重要なのは逃げ出さないこと」という発言も、彼女らしいなと思います。そして、「生きているだけで楽しいってことを、私は忘れたことはない」という言葉にも、共感せずにはいられません。

キャサリンは、2003年、96歳のときに老衰で亡くなりました。その直後、私がニューヨークに滞在しているとき、ニューヨークのサザビーズがキャサリン・ヘプバーンの愛用品だけを扱ったオークションを開いたことがありました。そのとき、私は人生初のオークションに参加して、『冬のライオン』で彼女が身につけていた、宝石も何もついていない、鉄のようなものでできた、無骨な中世風の指輪を落札することができたのです! ただ、最初にカタログを見たときは「2000ドルぐらい(20万円ぐらい)かなぁ?」と予想していた落札価格が、オークションではどんどん吊り上がっていきました。15000ドルまでいったとき、「こんなに高くなっても、キャサリン・ヘプバーンさんも喜ばないと思います。私は、どうしてもこの指輪が欲しくて、日本から来た女優です。この辺でやめてもらえませんか?」と、競売でライバルだったおじさんと、ハンマーを持ったおじさんに訴えたことで、最後は無事に私が落札できたのです。サザビーズのオークションで、途中でライバルに向かって、「この辺でやめてもらえませんか?」などと説得にかかったのは、後にも先にもこの私以外にいなかったそうです。お客さんはみんな、私の発言で大笑いでした。

キャサリン・ヘプバーンさん

女優

キャサリン・ヘプバーンさん

1907年5月12日生まれ。アメリカ・コネチカット州出身。アカデミー賞ノミネートは、歴代2位の12回。公の場に出ることを好まなかった彼女は、多数のノミネートにもかかわらず授賞式には出席しなかったが、友人に贈られた賞のプレゼンターを務めるために、一度だけ出席したという逸話を持つ。プライベートを明かさないスターの代表格だったが、91年に『Me-キャサリン・ヘプバーン自伝』を上梓。過去の恋愛などについても包み隠さず語り、全米で数百万部を超えるベストセラーとなった。2003年6月29日没。写真は85歳当時のもの。

─ 今月の審美言 ─

「『正しいか間違っているかなんてどうでもいい。重要なのは逃げ出さないこと』という発言も、彼女らしいなと思います」

写真提供/Getty Images 取材・文/菊地陽子

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