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【『赤い袖先』の王族三大キャラ】ドラマと史実でかけ離れていた人物は誰?

  • 2024.2.3

ドラマ『赤い袖先』は、国王と宮女の究極的な愛を描いて大好評を博しているが、歴史ドラマとしても完成度が高かった。朝鮮王朝時代の出来事を丹念に描いており、歴史の断面を知るうえで格好の時代劇だった。

そんな『赤い袖先』に出てくる王族を見ていくと、まさに三大キャラとして注目されたのが、イ・ジュノが演じたイ・サン(22代王・正祖〔チョンジョ〕)、イ・ドクファが扮した英祖(ヨンジョ)、チャン・ヒビンが演じた貞純(チョンスン)王后である。この三大キャラは史実ではどのような人物だったのだろうか。

主人公となったイ・サンは、朝鮮王朝時代後期の名君としてあまりに有名すぎる存在だ。在位時代の業績を見ても、人材の抜擢、庶民生活の向上、文化の発展、法制度の改善などで成果を出してきた。

しかし、当時の政権で力を持っていた老論派(ノロンパ)は、かつて思悼世子(サドセジャ)を陥れた過去があり、息子のイ・サンに対しても敵意をむきだしにしていた。そのことは『赤い袖先』でも巧みに扱われており、ドラマは王宮内の複雑な権力闘争を見事に描写していた。

特に、イ・サンが即位する直前に老論派から強烈に邪魔される場面に真実味があり、重厚な歴史場面が作られていた。また、イ・サンが揺るぎない意志で困難に立ち向かう覚悟も表現されていて見応えがあった。

『赤い袖先』に登場したイ・サン、英祖、貞純王后(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)
『赤い袖先』が触れなかった疑惑

次に英祖を見てみよう。彼の父親は19代王・粛宗(スクチョン)、母親は『トンイ』の主人公だった叔嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。異母兄だった20代王・景宗(キョンジョン)の急死によって1724年に21代王となった。即位してからは減税や過酷な刑罰の廃止など民衆の生活の改善に尽力した。

中でも英祖が成し遂げた重要な功績が「蕩平策(タンピョンチェク)」である。これは、各派閥から公平に人材を採用するもので、それによって当時激しく起こっていた老論派と少論派の党争を鎮めた。

また、英祖はイ・サンを後継者として指名し、立派な王にするために英才教育を施した。そうした場面が『赤い袖先』では繰り返し描かれていたが、それは史実とも合致する逸話の数々であった。

その英祖の二番目の正室だったのが貞純(チョンスン)王后だ。ドラマ『イ・サン』では貞純王后が悪事を働く女性として描かれていたが、『赤い袖先』では違っていた。むしろ、貞純王后を好意的に扱っていた。

しかし、史実を見ると、貞純王后の本性があらわになってくる。思悼世子が英祖によって米びつに閉じ込められて餓死した事件でも、彼女は思悼世子の悪評を英祖に告げ口して国王親子が対立する原因を作っている。

また、イ・サンが1800年に急死した際にも、「貞純王后が毒殺したのではないか」という噂が宮中をかけめぐった。まさに、イ・サン毒殺説の中心人物だったのだ。そうした疑惑について『赤い袖先』は触れなかった。このあたりが『赤い袖先』が史実と違う部分を如実に象徴していたと言える。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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