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10代将軍家治時代は寵愛をめぐる「女の壮絶バトル」はなかったはず…歴史研究者がドラマ「大奥」に抱く違和感

  • 2024.2.1

江戸時代中期、10代将軍の時代を描くドラマ「大奥」(フジテレビ系)。『徳川家臣団の系図』などの著書がある経営史学者の菊地浩之さんは「第1話を見て、人物の描き方が史実からかけ離れていることに驚いた。将軍家治と正室倫子の夫婦仲は良かったはずだし、側室の選ばれ方にしても、正室も大奥御年寄の松島も納得済みだったと思われる」という――。

パラレルワールドのようなフジテレビ版「大奥」

フジテレビ系でドラマ「大奥」が放送中だ。

2023年に放送されたNHKの「大奥」は、よしながふみによる漫画をドラマ化した男女逆転のパラレルワールドだったが、ストーリーは史実に極力沿った形にして、人物像も近年の研究を反映していた。たとえば、ワイロ役人として悪評が高かった田沼意次(當真あみ/松下奈緒)を改革者、清廉潔白と高く評価されていた松平定信(安達祐実)をアタマの固い古い世代の象徴、ノーマークだった一橋徳川治済はるさだ(仲間由紀恵)が一番のワルだったという具合。

これに対し、同じ時代を描くフジテレビ版「大奥」も、違った意味でパラレルワールドだ。第1話を見る限り、合っているのは名前と役割だけで、研究されてきた人物像と全く異なる描かれ方。大河ドラマ「どうする家康」(NHK)もすごかったが、今回の「大奥」はそれ以上だ。

もっとも、「どうする家康」については「大河ドラマだからもっと史実を尊重すべき」という声に対して、「ドラマだから脚色があっても問題ない」とする意見も少なくなかったので、大河ドラマでもない「大奥」ならば、多少の――実際は“多大なる”だが――の潤色はやむを得ない。青少年向け漫画をドラマ化した「信長協奏曲」や「信長のシェフ」を見るような姿勢で鑑賞しなきゃなぁ。

10代将軍・家治と正室の倫子は夫婦仲が良かったはず

とはいえ、史実(といわれている事象)については書き記しておいても無駄はなかろう。

主人公の五十宮倫子いそのみやともこ(小芝風花)は、10代将軍・徳川家治いえはる(亀梨和也)の正室。これは史実である。第1話では、両者の仲がやや疎遠なものの、家治が倫子に気に留めている風に描かれていた。しかし、実際の夫婦仲は良かったらしい。

「徳川家治像」18世紀
「徳川家治像」18世紀(画像=徳川記念財団蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

将軍家は代々京都の公家や皇族から正室を迎えていたが、家格の釣り合いだけの、典型的な政略結婚なので、まったくの仮面夫婦で、子どももいないという事例が多かった。

そんな中、家治・倫子夫妻には2人も子どもがいた(将軍の正室が子どもを出産したのは2代将軍・秀忠以来、155年ぶりという快挙である)。

夫婦仲が良かったので、家治は側室を迎えなかった。ところが、倫子の生んだ子どもがいずれも女子だったため、周囲は男子を生むべく側室を強要した。家治は田沼意次おきつぐ(安田顕)に「そちも側室は居らんだろう。そちが側室を取ったら、ワシも取る」と反論したらしい。意次は家治の父・家重から律儀者と評価されており、巷間こうかん言われているような物欲の塊ではなかったようだ。

家治は側室を作るが、男児をもうけることだけが目的だった

意次が側室を迎え、家治は仕方なく側室2人に子どもを生ませた。2人とも男子を生んだので、家治はそこからピタリと側室の相手をしなかったという。ホントに「子作り」が目的だったのだ。

さて、その2人の側室だが、お知保の方(森川葵)とお品の方(西野七瀬)である。

お知保の方は旗本の津田信成の娘で、家治とは同い年。満12歳で大奥に入り「お次つぎ」となり、その2年後に「御中臈ごちゅうろう」に出世した。

大奥の序列は、松島(栗山千明)が務めていた「御年寄おとしより」(老女ともいう)がトップで、御年寄の補佐として、その下に「御客会釈おきゃくあしらい」と「中年寄」がいる。中臈はその下で、将軍や御台所みだいどころ(正室)の身の回りの世話をする。当然、将軍の目に留まる可能性が高く、側室の有力候補となる。わずか2年でお次から中臈まで出世するのは破格の待遇で、旗本・津田氏の娘ではなく、家重の側室の縁者ではないかいう説もある。ちなみに、お知保の方の兄の曾孫が、「幕末の四賢侯」の一人として名高い宇和島藩主・伊達宗城だてむねなりである。

橋本(楊洲)周延作「千代田之大奥 御台所のお召し替えの世話をする御台所付中臈」1895年
橋本(楊洲)周延作「千代田之大奥 御台所のお召し替えの世話をする御台所付中臈」1895年(写真=メトロポリタン美術館蔵/CC-Zero/Wikimedia Commons)
お品はドラマで対立している松島の養女になった

一方のお品の方は公家・藤井兼矩かねのりの娘で、正室・五十宮倫子の下向にともない、上臈として随伴してきた。随筆『徒然草』の著者・吉田兼好けんこうで有名な吉田家の支流で、まぁ公家の中でもあまり高い家柄ではないが、そうは言っても公家なので、第1話のように娘が監禁されたら問題になるんじゃないかな。

ドラマ「大奥」では、お知保の方が御年寄・松島派、お品の方は松島と対立していたように見えるのだが、実際は違ったらしい。徳川将軍家の系図をまとめた『幕府祚胤伝そいんでん』によれば、お品の方は松島の養女になっている。「田沼意次は、大いに将来を期し、かねて大奥で第一の権力を握っていた御年寄松島と気脈を通じていたが、このお品の方を松島の養女として家治の側室に奨めた」(高柳金芳『徳川妻妾記』)というのだ。ドラマではどんな展開になるのだろうか。

さて、「大奥」で、家治は「ヘビのような目」をした感情がないサイコパスに描かれていたが、歴代将軍ではトップクラスの好人物だといわれている。温厚で優秀、謙虚でマジメ(政務は田沼意次らに任せて、あまり表に出てこない)。祖父の徳川吉宗はこの孫を溺愛し、英才教育を施したといわれている(吉宗が死去したとき、家治は15歳)。

9代将軍家重や田沼意次の描き方にも違和感アリ

家治の父で9代将軍・徳川家重(高橋克典)が粗暴で好色な将軍で、田沼意次に暗殺され、家治が将軍を継いだ形になっているが、いろいろと違う。よく知られているように、徳川家重には言語障害があった。脳性まひだったという説もある。言語が不明瞭なだけでアタマは良かったらしい。家重・家治父子は将棋を好んだ。バカではできない趣味である。

家重が何を言っているのか、唯一聞き取れたのは側近の大岡忠光――大岡越前(忠相ただすけ)の親戚――である。宝暦10年(1760)4月26日に大岡が死去。その年の4月1日に家重は引退を宣言する。おそらく、大岡はそれ以前から出仕できなかったのだろう。家重は世間と意思疎通ができなくなったために引退を余儀なくされ、その翌年に死去している。

「田沼意次像」18世紀
「田沼意次像」18世紀(画像=牧之原市史料館所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
家治は冷たい男ではなく謙虚で、父の家臣にも丁重だった

つまり、ドラマのように家重が死んだから家治が将軍になったのではなく、家治が将軍になった後に家重が死んだのだ。家治は24歳で将軍に就任した。まだまだ先のことと考えていたらしい。まず、老中の松平武元たけちか(橋本じゅん)を呼び寄せ、次のように語ったという。

「私は年若くして、いまだ国政のことに習熟していない。不幸にして父が多病なので、やむをえず将軍の座を譲られ、深く恐れて手足の置き所もない気持ちである。そちは祖父(吉宗)の時代から政務に与あずかり、祖父の指導も受け、長年老中職に励んでいるから、これからは、何事によらず気づいたことはすべて報告し、私にもし過ちがあった時は、きびしく諫めてくれ。私もまた素直に諌言かんげんを聞こう」
(山本博文『お殿様たちの出世』)。

ドラマ「大奥」での家治は、こんなに謙虚な人物には見えない。

ちなみに、松平武元は水戸徳川家の分家に生まれ、越智おち松平家の養子となった。越智松平家の家祖は、6代将軍・徳川家宣いえのぶの実弟の松平清武きよたけである(清武がはじめ越智家の養子になったため、越智松平家と呼ばれ、子孫が幕末に浜田藩主を務めていたから、浜田松平家とも呼ばれる)。

大名には徳川家の親族にあたる親藩、関ヶ原の合戦以前の家臣である譜代、それ以降に徳川家に臣従した外様大名があり、通常であれば、老中は譜代大名から選ばれ、親藩大名である松平武元は就任しない。しかし、武元の人となりを高く評価した吉宗は、側に置いて政務を指導した。だから、老中に選ばれ、家治にも一目置かれていたのだ。

そんな武元は有力大名であり、その在任中は意次は静かにしていたという説がある。それがどこで軌道修正されるのか、それともこのままされないのだろうか。そういった意味でもドラマ「大奥」からはまだまだ目が離せない。

菊地 浩之(きくち・ひろゆき)
経営史学者・系図研究者
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。

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