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「歴代最強だと思う“ジャイアンツ”の守備職人」ランキング!3位「仁志敏久」、2位「篠塚和典」を抑えた1位は?【プロ野球ファン103人に聞いた】

  • 2024.5.8
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写真:PIXTA

「攻撃職人」という言葉は聞きませんが、「守備職人」は野球界ですっかり定着している単語。

堅実かつ華麗、さらには試合の空気をガラッと変えるようなビッグプレーを披露する選手がこの言葉に当てはまります。本来は内外野問わずに使われるはずですが、どちらかといえば内野手に向けて使われていることが多い印象を受けます。

プロ野球最多22回の日本一を誇る読売ジャイアンツもそんな守備職人を輩出してきた球団の一つ。特に内野の要でもある二塁手と遊撃手においてはチームの顔ともいえる存在がこれまでに多数存在しました。

そんな守備の名手が多いジャイアンツですが、今回TRILLスポーツでは全国のプロ野球ファン103人に「歴代最強だと思う読売ジャイアンツの守備職人』のアンケートを実施。その結果を本記事にまとめました。なお、"最強"の定義は記録や数字ではなく、投票に委ねていることをお含みおきください。

それでは、見事トップ3にランクインした選手たちを早速ご紹介します。

【第3位】仁志敏久(8票)

第3位には平成を代表するセカンドベースマン、仁志敏久選手が入りました。

広い守備範囲でチームのピンチを救った場面は数知れず。不動のレギュラーとして長く活躍しました。

常総学院高校、早稲田大学、日本生命と野球のエリート街道を歩んだ後、1995年に読売ジャイアンツへ入団。それまで原辰徳氏が付けていた背番号「8」を受け継ぎます。1年目は主に三塁手としての出場。いきなり新人王を獲得する活躍を見せました。

2年目にはチーム事情もあって二塁手へ転向。ジャイアンツ「V9戦士」の一人で、当時一軍の守備コーチを務めていた土井正三氏から熱血指導を受けます。元々守備に苦手意識があった仁志選手でしたが、この出来事をきっかけに才能が大きく開花。同年にシーズンを通して二塁手のレギュラーを張ると、1999年からは4年連続でゴールデングラブ賞を獲得するまでに成長しました。

171cmと小柄な選手ですが、機敏な動きを活かして内野のあちこちを駆け回る守備範囲の広さは球界屈指。打球への判断能力やポジショニングに優れており、時にはファンから「何でそんなところに守っているの?」といわれることもありました。打者や状況によって守備位置を大胆に変える攻めの守備が持ち味の選手です。

目立つプレーよりも常に堅実な守備が職人らしい。(30歳・男性)
特別足が速いわけではないが、センターへ抜けるというような当たりを止めたりと守備範囲が広かった。(40歳・男性)
打者によって的確に守備位置を変え、抜けたと思った打球が仁志選手の正面に飛んでいたという場面を多く拝見しました。またプレーが見てみたいです!(33歳・男性)
頭脳的なポジショニングと守備範囲の広さが職人だと思うから。(33歳・男性)

【第2位】篠塚和典(10票)

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写真:SANKEI

守備職人という言葉はこの人にぴったり。篠塚和典選手が第2位にランクインしました。

二塁手と遊撃手の両方を守れる器用さと体を柔らかく使った「芸術的」な守備は、現在もなお多くの人の脳裏に焼き付いています。

千葉県の名門・銚子商業高校から1975年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。長嶋茂雄監督からも一目置かれる投打に注目の存在でした。しかし、持病の影響もあって、入団後しばらくは一軍の試合にほとんど出場できない時期を過ごします。それでも4年目から出場機会を徐々に増やすと、6年目となる1981年は主に「3番・セカンド」として116試合に出場。同年にプロ入りした原辰徳選手とともに内野を守り、初のゴールデングラブ賞を獲得しました。

翌年もレギュラーに定着し、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞。同タイトルは現役生活で計4度獲得しています。失策数がシーズンを通じて2個のみという年も見られ、二遊間を守る選手としては当時球界でもトップクラスでした。柔らかいグラブさばきで打球の勢いを瞬時に落とす技術と捕球から送球までの流れるような動作は芸術的。176cm68kgの細身の体を目一杯使った守備はしなやかで華麗なものでした。愛用していたグローブは後に「篠塚モデル」となって多くの選手に影響を与えています。

引退後はその卓越した守備理論を活かして指導者も経験。ジャイアンツの内野守備コーチを務めた実績もあります。

当時「華麗な守備」といえば、この選手というイメージがありました。(56歳・男性)
打撃と同様で柔らかく体を使う守備で、華麗という表現がピッタリの選手です。(63歳・男性)
失策数も少なく、守備の安定感は尋常では無かった(45歳・男性)
特に目立つわけではないが、ヒットを打たれたと思ったらそこにいたというイメージがあるから(49歳・男性)

【第1位】川相昌弘(44票)

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写真:SANKEI

守備職人の第1位に見事輝いたのは川相昌弘選手。

現役時代は通算533犠打の世界記録を樹立した偉大な選手ですが、それと同等に高い守備力でチームに貢献しました。

岡山南高校時代は投手として活躍。読売ジャイアンツにも投手として入団しますが、野手としての素質もあったことから入団後すぐに内野手へ転向します。守備力は当初から首脳陣にも評価されており、1年目から守備固めとしての起用が続きます。遊撃手を中心に二塁手と三塁手も守れる能力があり、初期の頃は外野の守備機会を務める試合も珍しくありませんでした。

入団7年目の1989年に背番号を「60」から巨人史上初の背番号「0」へ変更すると、この年から「2番・遊撃手」の座をがっちりと掴み取り、自己最多出場をマーク。規定打席に未到達かつ98試合の出場ながら自身初のタイトルとなるゴールデンクラブ賞を受賞します。以降、同賞を3年連続で獲得し、通算では1993年と1994年、1996年も含めて計6度受賞。誰もが認める球界の名手に成長しました。

守備で成功した要因に3年目のグアムキャンプがあり、本アンケート2位にもランクインしている篠塚和典選手の華麗な守備を間近で見て、衝撃を受けたことがきっかけでした。このキャンプで篠塚選手の動きを常に観察した結果、「ヒザを深く曲げ、頭を動かさないことで目線のブレが少なくなる」というヒントを得たことにより、守備の安定感が格段に増すようになりました。

2020年には宿敵の阪神タイガースが、3年連続12球団最下位の失策を記録した守備の立て直しを図り、川相選手に臨時コーチを要請。堅実かつ時にダイナミックな守備は球団の枠を超えて高い評価を得ています。

犠打のギネス記録保持者である一方、ゴールデングラブ賞を6回受賞した堅実な守備にも定評がありました。(53歳・男性)
巨人では守備職人というと川相選手を思い浮かべます。堅実な守備とバントの世界記録忘れられません。(48歳・男性)
堅実な守備で、長年に渡って巨人の内野の中心で活躍した選手。安定した守備とスローイングで安心感があった。(45歳・男性)
派手さがあまりないが、バッティング同様に堅実な守備という印象です。長きにわたりショートで活躍。(49歳・男性)
派手なチームカラーの中で、バントと守備のうまさでレギュラーをずっと取っていたから(47歳・男性)

4位以下の選手とコメント

坂本勇人(7票)

広い守備範囲を生かしてショートのポジションをあれだけ長くレギュラーとしてそつなくこなしていたから(33歳・男性)

吉川尚輝(4票)

昨年のDeNA戦で、スライディングキャッチ後そのままの体勢からセカンドベースカバーに入った門脇にスローイングした姿がたまらなくかっこよかったから。(42歳・女性)

高田繁(4票)

外野でゴールデングラブ賞も取り、内野にコンバートして成功する。これはすごい。(58歳・男性)

小坂誠(3票)

ヒットゾーンのボールをダイビングキャッチで補給するから。(34歳・男性)

長嶋茂雄(3票)

ピッチャーゴロやショートゴロがサードの見せ場、と発言。ジャイアンツの映像で守備の映像をこすって使われる人は長嶋しかいない。(55歳・男性)

門脇誠(2票)

巨人は長年坂本勇人の後継者が見つからなかったのですが、門脇誠がショートのレギュラーになったことで解決しました。捕球技術だけでなく送球も安定しているのが特徴です。三遊間の深いところからもノーバウンドで投げることができます。(32歳・男性)

木村拓也(2票)

どのポジションの守備でもヒット性のあたりも華麗な守備でアウトにできるから。(34歳・男性)

結果はこちら

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TRILL作成

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TRILL作成

川相選手が全体の半分近い44票を獲得してダントツの首位。世界記録を持つ犠打の印象が強い選手ですが、守備も華麗で、多くのファンを魅了しました。現役の坂本選手と吉川選手もトップ3に肉薄しますが、レジェンドたちの前にあと一歩及びませんでした。


調査方法:インターネットサービスによる任意回答(記述式)
調査対象:全国の10代~70代
有効回答数:103

※記載している回答は原文ママ

※2024年5月2日時点での情報です。記事内の画像はイメージです。

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