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もしも“大谷翔平”が、高卒でメジャーに挑戦していたら…「活躍は間違い無し」も実現しなかったであろう“今や当たり前の光景”

  • 2024.5.22
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写真:AP/アフロ

昨季、アジア人初となるMLBでの本塁打王獲得史上初となる二度目の満票MVPに輝いた大谷翔平選手。ドジャースに移籍した今季も開幕からその打棒を爆発させ、「7億ドルの男」にふさわしい活躍を見せています。今や日本人という枠を超え、野球界に新たな歴史を築いている大谷選手ですが、メジャーへと移籍したのは2018年、23歳のころでした。

ただ、実は大谷選手。本来であればもっと早い時期に海を渡っていた可能性があったのをご存じでしょうか?

花巻東高校時代の大谷選手は、3年夏に高校生史上最速(当時)となる160キロをマークするなど、すでに「怪物」としてその名を全国に轟かせていました。当然、秋のドラフトでは複数球団からの1位指名が確実視されていたのですが、ドラフト前に会見を開き、衝撃の発表をします。

「日本のプロ野球ではなく、メジャーリーグに挑戦する」

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写真:SANKEI

当時、ドラフト1位候補の高校生が日本のプロ野球を経由せずにメジャーリーグに挑戦するのは異例中の異例。日本中がこの前代未聞の挑戦に驚きました。しかしドラフト当日、北海道日本ハムファイターズが大谷選手を1位で強行指名。契約交渉の場で「二刀流挑戦」を提案して大谷選手の翻意に成功します。その結果、大谷選手は前代未聞の二刀流選手として日本で5年間プレーし、海を渡ることになったのです。

現在の活躍ぶりを見れば、「日本に残る」という大谷選手の選択は正しかったと言っていいでしょう。
ただ……もしもあの時、大谷選手が日本ハムの誘いを蹴って、高卒でメジャーに挑戦したら、一体どんな未来が待っていたのか。ここでは、そんな「if」の話を検証してみたいと思います。

メジャーからピッチャーとして高い評価を得ていた

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写真:SANKEI

まず、当時の大谷選手はメジャーから「ピッチャーとして高い評価を受けていました。ちなみに、現在所属するドジャースも高校時代から大谷選手に注目していた球団のひとつ。筆者は当時のドジャース担当に話を聞いたことがありますが、高校1年生の段階でその素質にほれ込んだと言います。

190センチを超える長身、長い手足、しなやかな身体の使い方――。
当時は国内でもピッチャーとしての評価のほうが高く、高卒でメジャーにわたっていたら間違いなく「ピッチャー」として育成されていたはずです。

ちなみに、日本では高卒ルーキーが1年目からいきなり一軍デビュー……というケースもありますが(※実際に大谷選手も高卒1年目から一軍公式戦に出場)、メジャーではマイナースタートが常識的。MLBでは最高峰のメジャーの下に3A、2A、1A、ルーキーリーグと各カテゴリでピラミッドを形成していますが、18歳の大谷選手がメジャーに挑戦した場合、おそらくはルーキーリーグや1Aからのスタートとなったはずです。

大谷選手は高校時代、自身の「人生設計シート」にこう記しています。

18歳 メジャー入団
19歳 3A昇格、英語マスター
20歳 メジャー昇格、15億円
21歳 ローテーション入り、16勝
22歳 サイ・ヤング賞
23歳 WBC日本代表
24歳 ノーヒットノーラン
25歳 25勝
26歳 ワールドシリーズ優勝、結婚
27歳 WBC日本代表MVP
28歳 男の子誕生
29歳 ノーヒットノーラン2度目の達成
30歳 日本人最多勝

このシートからも、大谷選手本人がメジャーには「ピッチャー」として挑戦しようと考えていたことがわかります。

19歳での3A、20歳でのメジャー昇格はかなりのスピード出世」と言えますが、大谷選手の能力をもってすれば決して不可能ではなかったはず。2024年現在でも、先発投手としてコンスタントに100マイル(約161キロ)近くを投げ込めるピッチャーはそうはいません。

その意味で、メジャーでの育成が順調に進めば20代前半でメジャーを代表するピッチャーになれた可能性は十分あったはずです。

もし、この青写真通りにメジャー生活を送っていたとしたら、30歳を迎える今季の時点でメジャー通算100勝は軽くクリアしていたはずです(ちなみに、現時点での大谷選手は通算38勝19敗)。

ピッチャーに専念し、18歳から「メジャー」という舞台で腕を磨いていれば、日本人初のサイ・ヤング賞はもちろん、メジャートップレベルの「ピッチャー・大谷翔平」が見られたかもしれません。

見られなかったかもしれない“二刀流”

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写真:SANKEI

ただ……ひとつだけ確かなのは、もし18歳でメジャーに挑戦していたら、現在のような「二刀流は実現していなかったでしょう。当時の野球界には、「ピッチャーとバッターを同時にこなすという感覚は皆無そもそも不可能なこととされていました。大谷選手の活躍によって現在ではメジャーの登録枠に2ウェイプレイヤー=二刀流選手が採用されたり、ピッチャーとしてスタメン出場した選手が降板後にそのままDHとして試合に出場できるようなルール変更がされていますが、それもすべて大谷選手が「二刀流」で結果を残してきたからこそ。

そして、23歳で渡米した大谷選手の「二刀流」をメジャーが容認したのは日本のプロ野球界で結果を残したからです。

もしも、大谷選手が18歳でメジャーに挑戦したら――。
アジア人初のサイ・ヤング賞など「ピッチャー」として野球史に名を残したかもしれませんが、昨季達成した「アジア人初の本塁打王」はもちろん、今季ドジャースと結んだ10年総額7億ドルというプロスポーツ史上最高契約も、おそらく実現しなかったはずです。

サイ・ヤング賞と本塁打王、どちらが「すごいか」などという話は野暮というモノ。もちろん、大谷選手にはピッチャーとして復帰する来季以降にサイ・ヤング賞を獲得するチャンスもあります。18歳の大谷選手が下した決断が本当の意味で「正解」だったのかは誰にもわかりませんが、少なくとも2024年現在、大谷選手がメジャーで見せる異次元の活躍は、あのとき、日本ハムが大谷選手に「二刀流プラン」を提示してからこそ

2012年ドラフト――。あのとき、メジャー挑戦を表明していた大谷選手を日本ハムが指名し、「二刀流プラン」を提示していなかったら……。きっと野球界の歴史そのものが、大きく変わっていたはずです。

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写真:SANKEI

花田雪
1983年、神奈川県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、2015年に独立。ライター、編集者として年間50人以上のアスリート・著名人にインタビューを行い、野球を中心に大相撲、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、さまざまなジャンルのスポーツ媒体で編集・執筆。著書に『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか』(日本文芸社)がある。

※本記事は、5/21の情報です

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