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引退から50年…“ミスタープロ野球・長嶋茂雄“はやっぱり凄い…!「入団から引退まで全シーズンでベストナイン」「1年目で二冠王&トリプルスリー未遂」

  • 2024.5.3
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写真:SANKEI

5月3日に東京ドームで行われる読売ジャイアンツ対阪神タイガースの一戦は、巨人の球団創設90周年記念特別試合「長嶋茂雄DAY」として開催されます。「ミスタープロ野球の異名を持ち、現役時代は国民的スターとして活躍した長嶋選手。ただ、現役引退は今から50年前の1974年、巨人の監督を勇退したのも23年前の2001年と、プロ野球ファンの中には「ユニフォームを着た長嶋茂雄選手」を知らない人も増えているのではないでしょうか。そこでTRILLでは令和の現在に改めて、長嶋選手の残した偉業や功績をご紹介!「ミスタープロ野球」の足跡を改めて振り返ります。

■プロ1年目で二冠王&トリプルスリー未遂!

長嶋選手は1958年に巨人入りを果たしていますが、立教大学では六大学記録(当時)の通算8本塁打を放つなど、プロ入り前からスター選手として大きな注目を集めていました。日本中が注目するプロデビュー戦ではのちの400勝投手・金田正一投手に4打席連続三振を奪われてしまいますが、その後は前評判どおりの活躍を見せて夏場には4番に定着。終わってみればシーズン130試合フル出場で打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁、153安打をマーク。本塁打は当時の新人新記録&リーグトップで打点と加えてリーグ二冠王(当時はタイトルではなかったものの安打数もリーグトップ)。さらにはあと1本塁打でNPB史上唯一となる「新人年でのトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)となるところでしたが、同年9月19日の広島戦でホームランを打ちながら一塁ベースを踏み忘れてアウトになっており(記録はキャッチャーゴロ)、この踏み忘れさえなければ偉業を達成するところでした。

■ここぞの場面でとにかく打つ!「記憶の長嶋」

長嶋選手は同時期に巨人でプレーした王貞治選手とともに巨人の黄金時代を築きましたが、世界記録となる通算868本塁打をマークした王選手と比較して、たびたび「記録の王、記憶の長嶋」と呼ばれていました。その理由が、「ここぞの場面」での抜群の勝負強さです。

たとえば、1959年、プロ野球史上初めて天皇・皇后両陛下が試合を観戦した天覧試合」では同点の9回裏に試合を決めるサヨナラホームランを放ったり、日本一を決する日本シリーズでは通算68試合に出場して打率.343、25本塁打、66打点、91安打をマーク。ちなみに、日本シリーズでの打点と安打数は今も破られていないNPB記録で、ホームラン数も1位の王選手の29本に次ぐ歴代2位。日本シリーズでのMVP4回も歴代1位と、「ファンが打ってほしい場面」で結果を残すまごうことなきスーパースターでした。

■「記憶」だけでなく「記録」もすごい!

「記憶の長嶋」の異名を持つ長嶋選手ですが、もちろん記録だってすさまじいモノを残しています。以下は長嶋選手が残した主な通算記録です。

打率.305(歴代13位)

本塁打444本(歴代15位)

打点1522(歴代7位)

安打2471本(歴代9位)

二塁打418本(歴代9位)

三塁打74本(歴代8位)

敬遠数205回(歴代3位)

打撃記録のほとんどで、NPB歴代上位をマークしています。また、シーズンMVP5回は歴代2位タイで右打者としては史上最多首位打者6回は右打者史上最多でセ・リーグ記録(歴代最多は張本勲選手、イチロー選手の7回)、打点王5回はセ・リーグ右打者史上最多、当時タイトルではなかった「最多安打にいたっては史上最多の10回を記録しています。

人気と実力を併せ持つ証拠は他にもあります。長嶋選手はプロ1年目の1958年から、引退する1974年まで、なんと17年連続でセ・リーグ三塁手部門のベストナインに選出されています。これは王選手の18年連続に次ぐ歴代2位の記録で、入団から引退まで全シーズンでベストナインを受賞した選手は過去、長嶋選手しかいません。ちなみに、現在のプロ野球界でこの記録にもっとも迫っているのは福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手で、昨季時点でベストナインを4年連続、8回受賞していますが、長嶋選手の記録には遠く及びません。

長嶋選手が巨人に入団し、プロの世界で活躍しはじめた時期は、ちょうど日本の各家庭にテレビが普及した時期と重なります。球場だけでなくお茶の間で「プロ野球」が楽しめるようになった時代に現れ、瞬く前に「国民的スーパースター」となったのが長嶋選手でした。

娯楽が多様化し、プロ野球の試合が地上波ではほとんど放送されなくなった現代。おそらく、日本のプロ野球界に「長嶋茂雄」のような存在はもう現れないでしょう。ただ、長嶋選手が残した記憶と記録は、今もファンの脳裏にしっかりと焼き付いているはずです。


花田雪
1983年、神奈川県生まれ。編集プロダクション勤務を経て、2015年に独立。ライター、編集者として年間50人以上のアスリート・著名人にインタビューを行い、野球を中心に大相撲、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、さまざまなジャンルのスポーツ媒体で編集・執筆。著書に『あのプロ野球選手の少年時代』(宝島社)『オリックス・バファローズはいかに強くなったのか』(日本文芸社)がある。

※数字はすべて5月2日の情報です

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