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「人を愛せ、人を信じよ、人を生かせ、人を褒めよ」‟伝説の闘将”が残した、社会人にも通ずる名言

  • 2024.5.4
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現役生活通算14年間、監督生活17年間とNPBで31年間活躍をし続けた球史に残る名監督。現役時代と監督時代ともに「燃える闘魂」として野球ファンの脳裏に焼き付いています。

監督時代はリーグ優勝4回日本一1回と中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスの3球団すべてを優勝に導きました。2018年1月4日に亡くなって以降も多くの選手がテレビやYouTubeチャンネルなどで、監督の伝説を語っている場面が多く見受けられます。

そんな球史に名を残した”闘将”監督が残した名言について詳しく紹介します。

名言は一体誰が残したのか

人を愛せ、人を信じよ、人を生かせ、人を褒めよ」という名言を残したのは、中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務めた星野仙一監督です。

岡山県の倉敷商業高校に進学しエースとして活躍後、東京六大学の強豪校である明治大学に進学し、名将島岡吉郎監督の下で1年生から活躍。通算63試合に登板して23勝、防御率1.91、199奪三振と明治大学の勝利に貢献しました。1968年のドラフト会議にて中日ドラゴンズから1位指名を受けて入団。

1年目に8勝、2年目に10勝を挙げると3年目からは中日ドラゴンズのエースナンバーである「20」番を背負いました。5年目〜9年目までは5年連続で2桁勝利を挙げて、9年目には自己最多の18勝を挙げるなど、チームの勝利に貢献。プロ通算14年間で146勝34セーブの活躍を見せました。

アマチュア野球からNPBを通じて”人に愛され、人を信じて、人を生かして、人を褒めてきた”星野仙一監督の人生観。監督として17年間3チームを率いてきた経験から厳しくも選手を信じて褒めることが大切という思いが伝わります。

「人を愛せ、人を信じよ、人を生かせ、人を褒めよ」

星野仙一監督は中日ドラゴンズに所属した現役時代から「闘志溢れる投球」を武器としており、どんなことでも真っ正面からぶつかっていくスタイルでした。監督になってからも選手を守るために真っ先に現場に駆け付けて、相手チームの監督や審判に対して真っ向勝負を挑むスタイル。現役時代から監督時代に一貫して自分の信念を貫いて、関係する選手たちに手厚く接することを繰り返してきたことは想像に難しくありません。

一般社会においても星野仙一監督のように「人を愛せ、人を信じよ、人を生かせ、人を褒めよ」という名言を活かす場面が多くあります。例えば、会社内においても上司が同僚や部下に対して愛情を持ち、信じて、生かして、褒めるという行為は必要です。日頃からこの名言を基に行動するようにしていれば、自分の人生だけではなく関わる人の人生も充実したものに変えていける力があります。

仕事だけではなく家族間や友人間においても、星野仙一監督の名言を心得て行動を繰り返していくと嘘偽りのない人生を送れるでしょう。


※情報は5/1時点のものです。

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