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チームメイトや、対戦相手にもプロ野球選手がズラリ…!プロ野球選手たちの「選抜高校野球」

  • 2024.3.30
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1974年、それまでプロ野球と同じように使われていた木製バットに代わり、金属バットが高校野球で導入されます。

反発力の高い金属バットの導入により高校野球のスタイルも大きく変化。打撃を強化する学校が増え、「打高投低」の傾向が顕著となりました。それに伴い、1991年には外野のラッキーゾーンも撤去されています。

現役のプロ野球選手やメジャーでプレーする日本人選手もかつてはこのセンバツの舞台で輝きを放ちました。好投手が目立ちやすい大会ですが、ファンやプロのスカウトをうならせた強打者も数多く存在。安打を重ねるヒットメーカーから長打やホームランをかっ飛ばすスラッガーまで打者としてのタイプは様々ですが、強いスイングから放たれる打球音は今もなおファンの心に刻まれています。

そこで今回、現役選手の中から春の甲子園に出場した経験がある3人を「選抜」。打撃成績や印象に残るシーンなどを中心に当時を振り返ってみることにしました。3選手はいずれもセンバツで快音を響かせた強者ばかり。あらゆる選手の顔が思い浮かぶかもしれませんが、早速当時の「春」にタイムスリップしてみましょう。

吉田正尚 敦賀気比高校(福井) 第82回選抜高校野球大会出場

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写真:SANKEI

最初に吉田正尚選手をご紹介します。

パワフルな打撃を武器にオリックス・バファローズの主砲として活躍。2022年にはチームの日本一に大きく貢献するとともに、「強いオリックスを復活させた立役者でもあります。

そんな吉田選手ですが、強豪・敦賀気比高校時代は1年から4番打者。同年夏の甲子園では初戦で敗れたものの1安打1打点を挙げ、下級生の頃から全国の舞台で存在感を見せます。

センバツは翌年の第82回大会に登場。前年に引き続き4番に座り、開幕試合に挑みます。対戦相手は中村奨吾選手(現千葉ロッテマリーンズ)擁する強豪の天理高校でしたが、持ち味の打撃を発揮。決してクリーンヒットではありませんでしたが、二打席目と三打席目は上手く外野前に落とすヒットを放ちます。四打席目はフルスイングから強烈な打球をライト前に運ぶなどこの試合では4打数3安打と固め打ち。安打製造機ぶりを見せつけ、7-4で試合を制します。

次戦の花咲徳栄高校戦でもあっという間にセンターの頭上を破る弾丸ライナーの二塁打を放って1打点。好調をキープし、ベスト8に進出します。準々決勝の相手は後にプロでチームメートになる山崎福也投手がエースの日大三高でした。この大会で準優勝に輝いた左腕の前に味方打線は3安打と沈黙。自身も鋭い打球は飛ばすものの無安打と結果を残せず、0-10の完敗を喫します。

大会後に甲子園のチャンスは3回残されていましたが、その後は県内の強豪・福井商業高校の壁を突破することができず、このセンバツが最後の甲子園となりました。 それでもパワーとスイングスピードは高校生離れしたものがあり、学校の練習では推定飛距離120メートル越えを連発。駐車車両に何度もボールが当たって保険が「パンク」したという逸話も残っています。

森友哉選手 大阪桐蔭高校(大阪) 第84回,第85回選抜高校野球大会出場

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写真:SANKEI

続いては強打の捕手として知られるオリックス・バファローズの森友哉選手のセンバツを振り返ります。

プロでは貴重な打撃型の捕手で、プロ6年目にはMVPと首位打者を獲得。高い打撃センスは高校時代からずば抜けていました。

高校野球屈指の名門・大阪桐蔭高校では1年の秋から正捕手を獲得。2年時に出場したセンバツでは捕手として珍しい1番打者を務めます。初戦の相手は花巻東高校。現在MLBで二刀流選手として活躍する大谷翔平選手がエースでしたが、大谷投手の速球に振り負けず2安打を放ち、怪物を攻略します。

守備でも2年生とは思えない貫禄で、藤浪晋太郎投手(ニューヨーク・メッツ所属)や澤田圭佑投手(現千葉ロッテマリーンズ)の投手陣を巧みにリードし、九州学院高校、浦和学院高校、健大高崎高校と強豪を次々に倒します。健大高崎高校戦では第四打席にセンター方向へホームランもかっ飛ばしました。 決勝戦こそヒットを打てなかったものの、7-3で光星学院高校に勝利し、大阪桐蔭として初のセンバツ優勝を飾ります。自身としても5試合で18打数8安打1本塁打を記録する堂々の活躍でした。その後も「藤浪―森の強力バッテリーに死角はなく、同年夏の甲子園も危なげなく勝ち上がり頂点に到達。史上7校目となる春夏連覇を達成します。

新チームでは主将として前チームとの差や連覇の重圧に押しつぶされそうになりますが、再びセンバツ出場権を獲得する勝負強さはさすがの一言。翌年の本大会では一回戦の遠軽高校戦で5打数4安打3打点と大暴れしました。「単なるミート力じゃなくて、球を確実にとらえる率が高い」と名将の西谷浩一監督も森選手の打撃を評価しています。

それから10年以上の歳月が流れた甲子園では低反発バットの導入が決定し、現在開催中のセンバツでも大きな話題を呼んでいます。ある選手は試合に「森友哉モデル」と呼ばれる870グラムの木製バットを使用。低反発バットと併行で使用するなど試行錯誤を重ねています。

岡本和真 智辯学園高校(奈良) 第86回選抜高校野球大会出場

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写真:SANKEI

最後は読売ジャイアンツの第20代主将である岡本和真選手。

プロ入り4年目の2018年から6連続で30本塁打を達成しているセリーグ屈指のホームランバッターは高校時代から並外れたパワーを持っていました。

奈良県出身の岡本選手は地元の強豪である智辯学園高校に進学。3年の春に初めて甲子園にやってきます。一回戦は同年夏の甲子園で準優勝に輝いた三重高校。初戦から骨のある学校との対戦となりましたが、物怖じせず実力を存分に発揮します。3番サードで出場した第一打席。真ん中高めの直球を振り抜き、高校通算58本目となるソロホームランをかっ飛ばします。打球がスタンドインした場所は大会前に公言していた「センターバックスクリーン」。一打席目から有言実行を果たし、ホームランが決まった瞬間は一塁ベース付近で右拳を大きく突き上げます。続く第二打席もセンター前にヒット、第三打席はインコースの厳しい球に体を回転させて豪快にスイング。左翼席中段に届くアーチを描きました。

一試合2本塁打は大会史上19人目の大会タイ記録。KKコンビとして甲子園を沸かせたPL学園高校の桑田真澄選手や清原和博選手、ゴジラの愛称で人気を博した星稜高校の松井秀喜選手ら偉大な打者に肩を並べ、衝撃的な全国デビューを果たしました。

当時チームの4番を張っていた一学年下の廣岡大志選手(現オリックス・バファローズ)の活躍も重なって勝ち進みますが、次戦は現在オリックス・バファローズで先発を務める田嶋大樹投手がエースの佐野日大高校にサヨナラ負け。岡本選手は投手としてマウンドに上がる奮闘を見せますが、田嶋投手から2三振を奪われるなど初戦とは一転、打撃では結果を残すことができませんでした。

同年夏も甲子園に出場しますが初戦敗退。高校時代は夏よりも春の活躍が光ります。


※記事の情報は3月28日時点のものです。

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