Text by 石井彰(編集部)
アジアカップ2023の決勝トーナメント1回戦に進出した日本代表。その相手は中東の国バーレーンとなった。
これまで日本代表はバーレーンに2回の敗戦を喫したことがあり、今から16年前の2008年3月26日に行われたワールドカップ3次予選が初めての黒星であった。敵地マナマでの試合で78分にアラー・フバイルのゴールを許し、そのまま0-1で敗れている。
岡田武史監督が率いていたその時の日本代表スタメン11名を振り返ってみよう。
川口能活
楢崎正剛と激しいポジション争いをし、ジーコジャパン時代からレギュラーを獲得した川口能活。この2008年のバーレーン戦でもキャプテンマークを巻いて出場している。
78分にはイスマイール・ハサンのクロスをパンチングで弾くもペナルティエリアの中に流してしまい、フリーになっていたアラー・フバイルにヘディングを決められてしまった。
中澤佑二
3-5-2のシステムで臨んだ日本代表。そのストッパーの中央を務めたのは2番を着用した中澤佑二だった。
この試合ではバーレーンのスピード豊かなアラー・フバイルとイスマイール・ハサンの2トップに苦戦。最終的にはペースを掴めないまま敗れたが、この悔しさを生かして2年後のワールドカップでは大活躍することに。
阿部勇樹
3バックの右で先発出場したのが阿部勇樹であった。このころは浦和レッズに移籍してから2年目で、クラブワールドカップでも大会MVP候補に選ばれるなど絶好調だった。
この試合では82分までプレーし、ビハインドの状況だったためアタッカーの玉田圭司と交代している。
今野泰幸
当時はFC東京でプレーしていた今野泰幸。ボランチとして台頭したものの、その後オシムジャパンで様々なポジションに配置されるなどユーティリティープレーヤーとしても開花。この頃から徐々にセンターバックでのプレーが増加していった。
この試合では3バックの左でプレーし、最後は阿部勇樹が交代となって4バックに変化。中澤佑二とセンターバックのコンビを組んだ。
中村憲剛
3-5-2のボランチの一角に起用されたのは中村憲剛。イヴィチャ・オシム監督が率いた日本代表で初めて招集を受け、アジアカップ2007にも出場した。
この試合ではフリーキックやコーナーキックなども担当してフル出場するも、最後までゴールには結びつかず。
鈴木啓太
イヴィチャ・オシム監督時代には中盤の「水を運ぶ人」として非常に貴重な役割を果たした守備的MF。岡田ジャパンに変わっても招集されていたが、このあと体調不良や怪我に悩まされ、2008年が最後の日本代表でのプレーとなっている。
その後浦和レッズ一筋でプレーし、2015年に現役引退。その後は会社経営やYoutuberとして活躍を見せている。
駒野友一
「アテネ五輪世代」の名サイドバックである駒野友一。2005年に行われた東アジア選手権でA代表にデビューし、ジーコジャパンの中心的な選手の一人として成長。ドイツW杯にも出場した。
その後もオシムジャパン、そして岡田ジャパンで継続的に招集され、この試合では3-5-2の右ウイングバックとして先発フル出場している。
安田理大
日本代表で7試合に出場した安田理大が先発した貴重な試合。2008年2月の東アジアカップで初招集を受け、初のワールドカップ予選で3-5-2の左サイドを任された。
ただ残念ながらなかなかいいパフォーマンスを見せられず、71分に山岸智と交代してピッチを去っている。
山瀬功治
コンサドーレ札幌時代の恩師である岡田武史に誘われて横浜F・マリノスへと移籍し、怪我に苦しめられながらもJリーグで屈指の司令塔として評価されるようになった山瀬功治。この2008年は10試合で4ゴールを決めるなどかなり好調だった。
3-5-2のトップ下で10番を着用したこの試合では56分までプレー。遠藤保仁との交代となってピッチを去っている。
大久保嘉人
Jリーグの歴史上最強クラスのストライカーであるが、日本代表では6ゴールしか決めていないという珍しい記録を持つ大久保嘉人。2003年に若くしてA代表デビューを飾ったものの、19試合に渡ってノーゴールという苦戦を続けることに。
ただ2007年にエジプト戦で2ゴールを決めてようやく沈黙を破り、この2008年には代表で12試合に出場して3ゴールを決めている。そして2010年ワールドカップでは左サイドのアタッカーとして攻守に貢献し、ベスト16入りに大きな役割を果たした。
巻誠一郎
2006年のワールドカップでジーコ監督によってサプライズ招集された巻誠一郎。日本代表ではそのあともイヴィチャ・オシム監督の下で数多くの試合に出場し、38試合に出場して8ゴールを決めた。
ジェフ千葉で2010年までプレーしたあとロシアリーグのアムカル・ペルミ、中国超級リーグの深圳紅鑽で海外サッカーを経験し、その後Jリーグへと復帰。東京ヴェルディ、ロアッソ熊本を経て現役引退している。