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【イ・サンが遺した伝説】父のための水原遷都計画はどうなったのか

  • 2024.1.28

イ・ソジンが主演したドラマ『イ・サン』では、朝鮮王朝後期の名君であった22代王のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)のことを立派な親孝行者として描いている。それは、史実にとても合った話であった。

実際、彼は米びつに閉じ込められて餓死した父親の思悼世子(サドセジャ)を慕っていて、1776年に即位してからは、父親の名誉回復に尽力した。そんな彼の気持ちが通じて、1789年から大々的に思悼世子の存在を誇示する大事業が始まっていった。

イ・サンが最初に手掛けたのは、都の北方の楊州(ヤンジュ)にあった父親の陵墓を移すことだった。移転先は「花が咲き誇る地」と称された水原(スウォン)。都から南25キロに位置していたこの町は、風水で見ても陵墓の最適地であった。

こうして、思悼世子の陵墓は壮大な情景の中、情緒あふれる水原に移されて、顕隆園(ヒョンニュンウォン)と称された。この名は、「顕父に隆盛で報いる」という深い意味を含んでいる。そして、現在ではその地は、隆健陵(ユンゴンヌン)という名で呼ばれている。

偉大なるイ・サンは、父の新しい陵墓への訪問を頻繁に行なった。しかし、国王の墓参りは準備が膨大であり、困難を極めた。特に、随行員や馬の数は、想像を絶する規模であった。なんと、6000余の人々と1400余の馬が、その行幸に従ったのである。このことは、国の財政に重大な影響を与えた。

画像=MBC
終焉を迎えた遷都計画

それでもなお、イ・サンは水原への情熱を燃やし続けた。彼は、この土地を壮大な都会に変えようと決意し、そのために城郭の建設を始めた。それが現在、世界遺産にも登録されている華城(ファソン)である。1794年2月に工事が開始され、周囲6キロの城郭は2年半で完成した。

しかし、このプロジェクトには膨大な経費がかかり、国家財政に重圧をかけた。それでも、イ・サンは水原の都市整備を熱心に進め、最終的には都を水原に移そうと考えていた。彼はそのために着々と遷都を準備していたのだ。

しかし、運命は残酷であり、イ・サンは1800年に48歳で急死してしまった。その死により、水原への遷都計画も終焉を迎えた。イ・サンとしては、長生きしてぜひとも水原を都にしたかっただろう。そのことが惜しまれる。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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