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優先席は「必要な人が来たら譲ればいい」のか…優先席に当たり前に座る人が見落としている重要な視点

  • 2024.1.24

電車の優先席にさも当たり前に座る社会人は何を考えているのか。人材育成コンサルタントの松崎久純さんは「優先席に座る健常者には、『必要な人が来たら譲ればいい』と述べる人たちが多いようだ。私には、この考えはあまりに無神経に思える」という――。

地下鉄で躊躇せずに優先席に座る同僚

30代会社員の方からのご相談です――地下鉄に乗ると、同僚が何ら躊躇もせず優先席に座りました。そのことを注意したら「何がいけないんだ」と言うので、そのモラルの低さに呆れ、信頼できなくなりました。日本は、いつからこんなふうになってしまったのでしょうか。

日本には、列車内で女性が目の前に立ったら席を譲るという習慣がないだけでなく、老人が立っていても席を譲らない人が多く、そうしたシーンを見て注意をする人もほとんどいません。

そんな国では、優先席を必要としない人たちが平気でそれらの座席を占領し、「必要な人が来たら譲ればいい」と言ってのけます。そんな行為もモラルに反するとさえ思わない人が多いのです。

地下鉄の優先席で眠るビジネスマン
※写真はイメージです
健常者が優先席に座ることを正当化する現状

女性に席を譲るというのは、他の先進国では当たり前の風習ですが、日本にはそんな雰囲気すらありません。

知り合い同士なら別でしょうが、女性だからという理由で他人から席を譲られたら、女性のほうが戸惑ってしまうでしょう。

日本に住んでいると、これを変えるのは相当に難しい、あるいは変える必要はないことのように思えます。

しかし、電車の中で老人がつり革につかまっているのに、その前に座る若い人たちが知らん顔をしている。これについてはどうでしょうか。その様子が目に入るはずの人たちも、皆見てみぬふりをしています。

そして、ハンディキャップのある人たちに用意された優先席には、健常者が平然と座り、スマホをいじっています。

こんな現状を恥ずかしいと思わないどころか、正当化する人たちも多いのですから、質問者の方のように感じられるのも無理はないでしょう。

実際のところ、これは今にはじまったことではなく、昔から目にする姿ですが、ここ10年ほどは特に、そんな行為も間違ってはいないと、(主にネット上で)理屈をこねる人たちが多いように見えます。

「必要な人が来たら譲ればいい」でよいのか

優先席に座る健常者には、「必要な人が来たら譲ればいい」と述べる人たちが多いようです。私には、この考えはあまりに無神経に思えます。

本当に必要としている人が、優先席が空いていない様子を見て、その席を諦めてしまうかもしれないとは考えられないのでしょうか。

譲ってほしければ言えばいい? なぜ彼らが健常者に頼まなくてはならないのでしょうか。

優先席に座る健常者は、優先席にそんな誰かが座っていたら、高齢者は近寄って来にくいと想像できないか、そのことを気にしていないのです。

電車の座席でマスクをし、間隔を保つ人々
※写真はイメージです
高齢者の気持ちを想像できないのか

優先席が必要な人は、ホームに列車が入ってきたときに、優先席の様子を見ているものです。

優先席の近くに乗ったら、一度、次の駅で乗ってくる乗客の様子を眺めてみてください。その中には、ホームに入ってきた列車の優先席の様子(空いているかどうか)をじっと見ている人がいるでしょう。

自分が座っている優先席は必要な人がいれば譲るという若者は、高齢者がその優先席に若者が座っているのを見たときに、どんな気持ちがするのかわからないのでしょう。

優先席に座っている若者に「どうぞ」などと言われ、お礼を言って座るのは、高齢者は口には出さないでしょうが、まったく釈然としないことです。

他のたとえで言えば、飲食店で行儀わるく肘をついて、くちゃくちゃと音を立てて食べている客が、他に客が入って来たら、あるいは他の客から何か言われたら止めればいいと考えている。それと同じで、ひと言で言えば振る舞いや考え方がロークラスなのです。

そんな行儀のわるい客は、多くの人にとって一瞬目に入るだけでも嫌なものです。店の外から見てそんな客層であれば、店内へ入るのを躊躇する人も多いのではないでしょうか。

席を譲ってとは頼みにくいもの

健常者は他人の気持ちに想像が及べば、優先席に座ろうとはしないはずです。

たとえば妊婦さんが1駅か2駅だけ乗るのに、「席を譲っていただけますか」とは頼みにくいだろうと想像できれば、振る舞い方は変わるはずです。

そもそも妊娠しているかどうかは見ただけではわからないことも多いのです。

私は「優先席に座って何がわるい」という考え方は、日本社会のモラルの残念な面を象徴するものだと思っていますし、そのことは声高に述べ続ける必要があると考えています。

今ここで自分が優先席に腰掛けても誰にも何の影響も及ぼさない。そんな状況もあることはわかります。しかし、ここで話題にしているのは、そうした状況でのことでないのは、おわかりいただけるでしょう。

紙に赤い鉛筆のチェックマークがついた優先度ナンバーワンの文字
※写真はイメージです
優先席はあくまでも「優先」席?

私には、「健常者が優先席に座って何がわるい」と述べる人の理屈は、「列車内の床に座って何がわるい」と言う人の理屈と同じに聞こえます。

ひっきりなしに人が行き来するところに誰かが座り込んでいる。注意をしたら、「なぜ座ったらいけない」と言い返されたとしましょう。

しかし、こんなことは理詰めで考える問題ではありません。多くの日本人にとって、「何がいけない」と説明するような事柄ではないのです。

したがって、「優先席はあくまでも『優先』席なので、その場に優先されるべき人がいなければ自分が座ってもおかしくない」などと理屈をこねるのは、単純に程度が低いのです。

優先席に座る健常者は、たとえば自分の婚約者の父親と一緒に地下鉄に乗っても、そこに座ろうとするのでしょうか。

日頃は平然と座っている人も、そんなときには止めておくのではないでしょうか。

逆に父親のほうが、何の躊躇もせず座ったら、その父親の人としての「レベル」を見下すのではないかと思います。それともお互いに何も感じないまま優先席に座るのでしょうか。

見て見ぬふりをする風潮が情けない

私はそうした行為そのものとは別に、それをロークラスとも言えないような風潮、非難されるのを恐れて、見て見ぬふりをする風潮が多いことも、実に情けないことだと思っています。

もっとも優先席に座る健常者の数(どこから見ても優先席が必要には見えない人たち※)はあまりに多すぎ、全員に注意して回れるわけではありません。

※視認できる不調ではない場合もあります。国土交通省のアンケートでは36.6%の方が優先席を譲らなかったときの理由に「体調不良・けがをしていたから」と回答しています。

先日、私はJRの始発駅で列車に乗り込み、発車時刻を待っていると、通勤で列車を利用している雰囲気の外国人女性が、どこから見ても健常者なのですが、いかにも毎日そうしているという感じで優先席に座り込みました。

私は外国人の友人や仕事上の知り合いも多く、決して人種や国籍による差別をする人間ではありませんが、その際には私たちが大切にしている伝統的な日本の文化が外国人に乱されている気がして、すぐさま注意をしました。

その女性は、返事もせず仏頂面でしたが、すぐにしたがって、私のすぐ近くの一般の座席に移動しました。

すると、そのあと発車時刻が近づくにつれ、通勤客の日本人が次々に乗ってきて、同じ優先席に座りはじめたのです。

これがあまりに当たり前にいつもそうしているという様子で、このときには私も困ってしまいました。

優先席を示すピクトグラム
※写真はイメージです
「誰にも何も言われない風潮」に付け込んでいる

私が注意した外国人も、その後に乗ってきた日本人も、共通しているのは、そんなことをしても「誰にも何も言われない風潮」に付け込んで、そうした行為をしている点です。

周りから何も言われなければ、そうしてしまう人たち。また、何か言われたときのために、言い訳を用意しているであろう人たち。この人たちに対して、知らぬふりをする日本人ばかりになったら、一体どうなってしまうのでしょうか。

ジェントルな対応

私たちはモラルを高め、日頃の振る舞い方を洗練させていきたいのです。

たとえば、ジェントルな人であれば、電車の中で人に席を譲ったら、その後には譲った相手から見えないところまで場所を移動するものです。

席を譲った相手の目の前に立っていたら、譲られた人がずっと恐縮していないといけないからです。

そんな気を遣わせないように、すみやかに移動します。もちろん込み合っていたり、手持ちの荷物が多かったりして、それができないこともありますが、できる範囲内でそうするものです。

席を譲られて遠慮する人たちにも、「私はすぐに降りますから」と話して移動すれば、大抵は誰もが座るものです。

そんなふうに当たり前に気を遣う人も多いのに、健常者が優先席に座り込んでいるとは、どういうことでしょうか。

妊婦に優先席を譲る男性
※写真はイメージです
想像をめぐらすことが大切

電車内に限ったことではありませんが、私たちは「想像をめぐらすこと」が大切です。

仕事ができる人、よい仕事をする人は、そうしているものです。

自分が上司の立場なら、自分が顧客であれば、今担当者の自分に何をしてほしいと考えるだろうか。何をすることが彼らを満足させるのか。そうしたことについて想像をめぐらすのです。

もし、それをしたことがなければ、ぜひとも試してみてください。あなたの振る舞いや行動は、まるで違ってくると言っても過言ではないと思います。

上司は、この件について、どのくらいの頻度で報告をほしいと考えているだろうか。また、それはどんな形(口頭でよいのか、簡単なメール文か、あるいは資料をつくるべきか)が適切なのか。

考えるのは簡単ですが、大きな違いを生み出します。

電車の優先席でも同じように、本当に必要な人の気持ちになって考えてみましょう。

駅のホームで荷物を抱えてベビーカーを押している自分が、列車が入って来たときに、優先席が健常者で埋まっている様子を見たらどう感じるだろうか。一度想像してみてください。

私が米国で大学生だった頃の話ですが、車いすに乗って街中で過ごすことを体験するプログラムがありました。

これは体験してみると、人が自分をどのような目で見ているのか、どのように接してもらうとありがたいのか、実際には自分をどのように扱う人がいるのか。こうしたことがわかってくるのです。

すなわち、それは車いすに乗る人の気持ちが(おそらくわずかながらにですが)わかるようになる体験なのです。

列車には車いすで乗り込まなくとも、自分が優先席を必要な人だと仮定して、優先席を探して乗ってみてください。これまでとは違う感覚で現状を見ることができるはずです。

松崎 久純(まつざき・ひさずみ)
サイドマン経営・代表
もともとグローバル人材育成を専門とする経営コンサルタントだが、近年は会社組織などに存在する「ハラスメントの行為者」のカウンセラーとしての業務が増加中。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科では、非常勤講師としてコミュニケーションに関連した科目を受け持っている。著書に『好きになられる能力 ライカビリティ』『英語で学ぶトヨタ生産方式』など多数。

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