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【暗闇に沈む王朝】次の国王だった世子が命を落とす悲劇がなぜ生まれたのか

  • 2024.1.17

朝鮮王朝の長い歴史を見ていくと、時に理不尽なことが起こっている。その最たることが、将来を嘱望された世子が無惨に命を落とす事件ではないだろうか。

そんなことがなぜ起こってしまったのか。3つの事件について見ていこう。

一番目の被害者は李芳碵(イ・バンソク)だ。

初代王である李成桂(イ・ソンゲ)の八男として、天賦の才を持ち合わせた彼は、10歳で世子に抜擢された。兄たちの中でも特に聡明さが際立っていたのだ。しかしながら、その輝かしい未来は、異母兄にして李成桂の五男である李芳遠(イ・バンウォン)が起こしたクーデターによって暗転する。李芳遠は1398年に李芳碵を殺害したのだ。

結果として、哀れな李芳碵は初代世子としての地位を保ちながらも、最終的に国王の座に就くことなく悲劇的な最期を遂げた。その後、李芳遠が権力を掌握し、後の太宗(テジョン)として3代王に即位した。

王宮の歴史的な建物が王朝に起こった悲劇を見つめてきた
悲劇的な結末

次に、昭顕(ソヒョン)世子の悲劇がある。彼は16代王・仁祖(インジョ)の長男として、1637年に朝鮮王朝が清の侵攻に屈した際、人質として清へと連れ去られた。8年の歳月を経てようやく祖国へ戻ることができたが、わずか2か月後に急逝する。その死の真相は今も謎に包まれている。

なお、彼の死については、清での人質生活で影響を受けた彼を仁祖が忌み嫌い、毒殺したという説がある。仁祖は昭顕世子の葬儀を冷遇し、一家を滅ぼすことで、その非情さを世に示したのだった。

最後に、思悼(サド)世子の哀れな運命がある。彼は21代王・英祖(ヨンジョ)の息子として、幼い頃からその才能を称賛されていた。しかし成長と共に振る舞いが乱れ、家臣に対する暴力や不品行が目立つようになった。激怒した英祖は、息子に自決を命じる。しかし思悼世子がこれに従わなかったため、英祖は彼を米びつに閉じ込め、餓死させたのである。

このように、3人の世子たちは、自らの運命や家族の陰謀に翻弄され、悲劇的な結末を迎えた。王位継承の争いと権力の暗闘が、彼らの運命を不幸なものに変えてしまったのである。

文・写真=康 熙奉(カン・ヒボン)

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