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【日本三大随筆】方丈記・徒然草・枕草子はどんな作品?冒頭部分・特徴と作者

  • 2024.1.7

随筆(エッセイ)とは特定の形式がない、文芸ジャンルのひとつで、自己の見聞や体験、感想などを自由な形式で書いた文章のことを指します。日本三大随筆に挙げられるのが、『方丈記』『徒然草』『枕草子』です。今回は、それぞれの冒頭部分と特徴をご紹介します。いずれも広く知られている随筆ですが、具体的にどのような作品なのでしょうか。

 

 

仏教の無常観が貫かれている、長明が終の棲家で執筆した『方丈記』(著:鴨長明)

※画像はイメージです

『方丈記』は、歌人の鴨長明(かものちょうめい)が鎌倉前期に書いた随筆の1巻です。1212年に成立しました。長明が晩年に現在の京都市伏見区に構えた方丈(約3m四方)の庵で体験した都での生活の危うさや儚さのほか、大火、辻風(竜巻)、飢饉、疫病といった不安な世情が描かれています。つまりこの随筆のタイトルである「万丈」とは「庵(家)」のことなのです。

文章は簡明な和漢混淆文(和文と漢文との両面の要素をもつ文体)で、仏教の根本思想である無常観が徹底して貫かれているのが特徴。下記、『方丈記』の有名な冒頭の一節にもその世界観がよく現れています。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

引用:青空文庫

現代風に訳すと、次のようになります。

川の流れは絶えることがなく、そのうえもとの水ではない。流れが滞っているところに浮かぶ水泡は、一方では消え、一方では生まれ、長い間、同じであり続けることはない。世の中にある人や家も、このようなものだ。

また、この随筆には、まず5つの災厄が記されています。京都の3分の1を焼き尽くしたとされる安元の大火、治承(じしょう)の旋風、福原への遷都、養和(ようわ)年間の飢饉と疫病、元暦(げんりゃく)の大地震です。それから、長明が出家して方丈の庵を構えるに至った経緯が描かれていて、同庵を賞美。ところが、この庵に執着する自分を突然否定して終わります。

長明は宗教的な境地に達してこの世を去ったのでしょうか。有名な随筆であるため、さまざまな解釈がありますが、災厄が多い点が今の日本と通じるところがあり、一度読んでみるといいかもしれませんね。

刺激的な文章!江戸時代に人生教訓の書としてもてはやされた『徒然草』(著:吉田兼好)

※画像はイメージです

『徒然草』は、吉田兼好が執筆した鎌倉末期の随筆。上下2巻、244段からなります。1317年から1331年の間に成立し、その間にいくつかのまとまった段が執筆され、それが編集され現在のかたちになったとされています。多岐にわたる見聞が記されていますが、日常生活における実感をそのまま書いたと思われる箇所が多く、独断と偏見を恐れない文章で刺激的です。

『徒然草』は、早くも室町時代の歌僧である正徹(しょうてつ)により注目されていましたが、江戸時代になると人生教訓の書としてもてはやされました。

また、冒頭の「つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」は、現代文にすると、「することがなく退屈に任せて、一日中、硯(すずり)に向かって、心に浮かんでは消えていく、他愛のないことをとりとめもなく書きつけると、異常なほど、狂おしい気持ちになるものだ」です。

作者の吉田兼好は、京都の吉田神社の神官の子どもとして生まれ、北面の武士であったが30歳頃に出家し、50歳前後に『徒然草』を執筆したとされています。

とはいえ、『兼好法師』(小川剛生著・中公新書)によると、吉田家の家格の上昇を図るために、その当時、知名度が高まっていた兼好を吉田一家の系図に取り込んだという説も!

吉田兼好とは、果たしてどのような出自の人物だったのか、興味を引かれますよね。『徒然草』を真っ新な気持ちで読んでみると、何かが見えてくるかもしれません。

平安女流文学の傑作! 読むと情景がありありと浮かんでくる『枕草子』(著:清少納言)

※画像はイメージです

『枕草子』は平安時代中期の歌人、随筆家である清少納言により執筆された随筆です。996年から1008年頃の間に成立したとされています。作家が一条天皇の中宮定子に仕えていた当時の体験談などを日記・類聚(るいじゅう)・随想といったかたちで記しており、人生や自然、外界の出来事が鋭い感覚で描かれています。そのため、『源氏物語』に並ぶ、平安女流文学の傑作といわれています。

『枕草子』の有名な冒頭部分「春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる」は、現代文にすると「春は明け方がいい。だんだんと白くなっていく山際の空が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのもいい」となります。

続いて、夏、秋、冬の良さが鋭く美しい文章で描かれていて、清少納言が見ていたであろう四季それぞれの景色がありありと目に浮かんできます。

清少納言の曾祖父・清原深養父(きよはらのふかやぶ)、父・元輔(もとすけ)はともに歌人でした。そのような家庭環境で育った清少納言は、993年頃から一条天皇の中宮定子に仕えて、和漢の学才を愛されました。そして、定子亡き後、宮中から退き、藤原棟世の後妻になったものの、いつ亡くなったかは不明です。

『枕草子』は日本人ならではの心情表現が散りばめられた見事な随筆だと感じます。子どもの頃、古文の勉強の題材として読んだことがある人も多いと思いますが、大人になって読むとまた違った感想を抱くかもしれません。

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