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カオナシの正体は…まさかの? モデルとなった実在の町とは? 映画『千と千尋の神隠し』徹底考察。大泉洋は何役? 深掘り解説

  • 2024.5.31
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映画『千と千尋の神隠し』をあらすじ(ネタバレあり)、演出、脚本、配役、映像、音楽の視点で徹底解説。2022年に舞台化するなど今もなお愛され続けている本作の魅力とは?日本の風俗営業がモデル?多視点から明らかにする。 

千と千尋の神隠し あらすじ

映画『千と千尋の神隠し』のワンシーン© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
千尋の心配をよそに勝手に料理を食べ始める両親© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
千尋の心配をよそに勝手に料理を食べ始める両親© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

親の仕事の都合でニュータウンへ引っ越すことになってしまった10歳の少女・荻野千尋は、両親と車で引越し先へ向かっていた。その道中、運転する父が道を間違え、森の中に迷い込んでしまう。

行き着いた先には不思議なトンネルがあり、千尋が止めるのも聞かずに、両親は道を進んで行く。トンネルをぬけると人気のない異国風の繁華街に繋がっていた。

その中の飲食店には見たことのない美味しそうな料理が並んでいたが、店員の気配は感じられない。勝手に食べてはいけないのではないかと言う千尋の心配をよそに、両親は料理を食べ始めてしまった。

千尋はその場を離れて街の様子を見て回っていると、旅館のような建物を発見する。そこにある橋の下を通っている電車を見ているところで、少年・ハクに出会う。

ハクは千尋を見て驚き、強い口調で「ここにいてはいけない。」と言い放つ。急速に日が暮れていく不思議な現象の中、千尋が急いで両親の元へ向かうと、両親はブタの姿になってしまっていた。

千尋は1人でトンネルに戻ろうと急ぐが、昼には草原だった道は大河になっており、その上を船が通っていた。

船からは化物のような生き物が降りてきて、千尋はこれが夢であると思い込もうとする。「消えろ、消えろ」と唱えているうちに、千尋は自分の体が消えてしまっていることに気づく。するとそこへハクが現れ、混乱する千尋を助ける。

ハクは、八百万の神々が客として集う「油屋」という名の湯屋で働いていた。千尋が迷い込んでしまったのは人間が入ってはいけない世界で、千尋の両親が食べてしまったものは神々にお供えするものであり、それを食べてしまったことで罰としてブタの姿に変えられてしまったのだった…。

千と千尋の神隠し【ネタバレあり】あらすじ

千尋に自分の名前を忘れぬよう伝えるハク© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

ハクは、この場所で生きていくには、相手の名前を奪って支配する湯婆婆という魔女の元で働くしかないと告げる。仕事を持たないものは動物の姿に変えられて、食べられてしまうからだ。

その後、千尋は、釜爺という蜘蛛人間や、湯屋で働いている女性・リンに助けられ、湯婆婆の元へ行く。湯婆婆には何を言われても「ここで働かせてください」としか言ってはいけないというハクの教えのもと、千尋が懇願し続けると、名前を奪われ「千」という名で働くことを許される。

しかし、「本当の名前を忘れてしまうと元の世界へは帰れなくなる」とハクに忠告される。ハクも外の世界から迷い込んで、湯婆婆に名前を奪われてしまった者の一人だった。だが、ハクは千尋のことを知っており、自分の名前は思い出せなくても千尋のことは覚えていた。

ブタになった両親を助けるために油屋で働き始めた千だったが、ある雨の日、油屋の庭にいた謎の存在・カオナシを中に招き入れてしまう。

そんな中、人間であるということで従業員から嫌われていた千は、強烈な悪臭を放つクサレ神の接客を任されてしまう。だが、千尋の働きにより、クサレ神は河の神様に姿を変え、千尋には不思議な団子を、油屋にも大量の砂金を残して帰っていった。

これにより、湯婆婆も従業員も千を褒めて喜んだ。その夜、千は河の神様からもらったお団子を一口かじるが、あまりの苦さに悶絶する。しかしこれが後に役立つのではないかと考え、大切にするのであった。

翌日、目覚めた千は油屋が賑わっていることに気づく。昨日、千が招き入れたカオナシが砂金をばら撒く羽振りの良い客であると盛り上がり、料理や踊りでもてなしているところだった。

そんなことに興味を示さない千は、外に出ると龍の姿をしたハクを見る。ヒトガタの式神に追われてひどい怪我を負うハクは、湯婆婆のいる最上階の部屋へ向かうところだった。千は急いで最上階へ向かうが、子供部屋に迷い込んでしまう。

そこでは湯婆婆が溺愛する息子・坊が寝ており、「一緒に遊べ」としつこく迫られる。千は手についていたハクの血を見せて脅かし、なんとか逃げるのだった。

やっとの思いで湯婆婆の部屋にたどり着いた千は、瀕死のハクを発見する。そこへ、ヒトガタが湯婆婆と瓜二つの姉・銭婆に姿を変えて現れ、ハクが銭婆のハンコを盗んだことと、湯婆婆と契約して魔法を手に入れたことを知る。銭婆は魔法で坊をネズミに変えると、その隙に龍のハクがヒトガタを切り、銭婆は姿を消す。

千は、釜爺のボイラー室で龍のハクに、河の神様からもらったニガダンゴを半分飲み込ませる。すると銭婆のハンコを吐き出す。その後、ハクを助けるために、銭婆にハンコを返しにいくと告げ、釜爺から電車の切符をもらう。

一方その頃、豪華な食事を食い荒らして巨大化したカオナシが、従業員を飲み込んでいた。カオナシは『千を出せ』と暴れ、湯婆婆でも手に負えない状況だ。

カオナシはやっと現れた千の気を引こうと手から料理や砂金を出すが、それを断り、カオナシの口にニガダンゴを放り込むと怒ったカオナシが千を追いかける。すると飲み込まれた従業員が次々と吐き出されていく。なんとか逃げ出した千は、ネズミに姿を変えた坊たちと徐々に元どおりになりつつあるカオナシを連れて、銭婆の元へ向かう。

その頃、目を覚ましたハクは湯婆婆の元へ行き、坊がネズミの姿に変えられ、銭婆の元へ向かっていると告げる。そして、坊を連れ戻すことを条件に、千を元の世界へ返すことを約束させる。

千がいくつもの駅を越えて銭婆の家にたどり着くと、穏やかな銭婆が迎え入れてくれる。銭婆にハンコを返すと、千はお守りの髪留めをもらう。そこへハクが千を迎えにやってくる。銭婆とその場所に残ることになったカオナシに別れを告げると、ハクは千や坊を乗せて夜空を飛んで帰るのであった。

ハクの背中に乗っていた千は、ふとハクと出会った記憶を思い出す。幼い頃に川へ溺れたことがあり、その川が「コハク川」という川だった。そこでハクは自身の本当の名前は「コハク川」だと告げる。

ハクと千が油屋に戻ると、湯婆婆や従業員が待ち構えていた。そして湯婆婆が油屋の前に集めたブタの中から両親を当てたら解放してやると難題を出す。千はこの中に両親がいないことを言い当てると、湯婆婆と千の契約が破れ、晴れて自由の身となった。

千を見送るハクは、トンネルを出るまで振り返ってはいけないと言い、自分も本当の名前を思い出したことで湯婆婆の弟子をやめて元の世界に戻ることを約束する。千尋が草原を歩いていると、人間の姿の両親が何事もなかったかのように待っていた。

トンネルを抜けて、千尋が振り返ると銭婆にもらった髪留めがキラリと輝いた。

宮崎駿の到達点―演出の魅力

両親は不思議なトンネルへと進み、取り残される千尋© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
両親は不思議なトンネルへと進み、取り残される千尋© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

本作は、2001年公開の宮崎駿監督作品。公開当時は、『タイタニック』を抜いて日本の歴代興行収入を第一位を記録し、その後2020年に『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』に記録を更新されるまで20年近く記録を固持した。

また、ベルリン国際映画祭の金熊賞をはじめ、アカデミー賞のアカデミー長編アニメ映画賞など、数々の賞を受賞。さらに2017年に開催された「21世紀最高の外国語映画ランキング」(ニューヨークタイムズ選定)では、堂々の2位に選ばれている。そして2022年には、橋本環奈・上白石萌音のW主演で舞台化。公開から20年を経た今も愛され続ける作品となっている。

そんな本作だが、制作のきっかけは「友人である10歳の少女を喜ばせたい」というなんとも素朴なもの。この少女は、宮崎のビジネスパートナーである日本テレビの映画プロデューサー、奥田誠治の娘で、本作の主人公である千尋のモデルでもある。

「赤ん坊の頃からよく知っているガールフレンドが五人ほどいまして、毎年夏に、山小屋で二、三日一緒に過ごすんですが、その子たちを見ていて、この子たちのための映画が無いなと思いまして、その子たちが本気で楽しめる映画を作ろうと思ったのだ、狙いというかきっかけです」(『千と千尋の神隠し 千尋の大冒険』より)

なお、本作には、制作の動機以外にもあちこちに宮崎の「個人的な事情」が散りばめられている。次ページでは、早速本作の脚本に秘められた要素について説明したい。

千尋の目から見た現代社会ー脚本の魅力

千尋とカオナシが海原鉄道で銭婆のもとへ向かうシーン© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
千尋とカオナシが海原鉄道で銭婆のもとへ向かうシーン© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

宮崎は本作の企画書で、本作の映画の主題がコンセプトについて「あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに、侵食し、喰い尽くそうとする世の中をファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すこと」だと述べている。では、本作の具体的にどこに、あいまいな世の中への批判があるのか。それを紐解くには、宮崎の次のインタビューが参考になる。

「いまの世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗営業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になっているじゃないですか。もはやカエル男とナメクジ女の国ですよ。映画の中では結局それなりに描いていますけど(笑)」(『PREMIERE 日本版』2001年9月号より)

誤解を恐れずに言えば、本作に登場する油屋はずばり風俗店なのだ。そう考えると、なぜ大浴場が仕切られているのか、そして、千尋の名前が「千」に変えられるのか、合点がいくことだろう。「神隠し」という本作の神秘的な設定の裏には、「大人の世界」に足を踏み入れた少女が源氏名を与えられ、「神々」の疲れを癒すというかなり露骨な設定が隠されているのだ。

こういった社会批判の象徴的な存在が、他ならぬカオナシだろう。他者の声を簒奪することでしか自身の声を語れない主体性の無さや、実体のない見せかけだけの金であらゆるものを手にしようとする汲めども尽きせぬ欲望は、現代社会を生きる私たちに特有の病なのかもしれない。

なお、宮崎は、前作の『もののけ姫』(1997年)の後、『煙突描きのリン』という作品の制作に取り組んでいた。本作は、銭湯を舞台とした作品で、煙突に絵を描く画学生リンが、東京を裏で操る巨悪と戦う作品になるはずだったという。しかし、『踊る大捜査線THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』(1998年)を観た鈴木が、現代社会への批判を作品に込めるよう宮崎を説得。宮崎は即座にイメージボードを外し、一から構想を練り始めたという。

とはいえ、本作の脚本は前作の『もののけ姫』(1997年)と比べても決してうまくできているとは言い難い。例えば、湯婆婆の双子の姉である銭婆は、後半にとってつけたように登場するし、現代社会批判を展開したいのであれば海原鉄道のシーンも正直ノイズでしかない(本作で最も美しいシーンであることは間違いないが)。

そして、千尋を邪険に扱っていた油屋の従業員たちが、ラストで手の平を返したように千尋を称賛するのもよく考えればかなりおかしい。そう考えると本作の魅力は、脚本そのものではなく、魅力的なキャラクターや神秘的な舞台など、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような世界観そのものにあるのかもしれない。

湯婆婆・銭婆役の夏木マリに注目―配役の魅力

夏木マリが演じた湯婆婆© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
夏木マリが演じた湯婆婆© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

本作には、主人公の千尋を演じた柊瑠美をはじめ、千尋の父親役の内藤剛志、母親役の沢口靖子ら、非専業声優が多くキャスティングされている。

中でも注目は、湯婆婆と銭婆を演じる夏木マリだろう。湯婆婆はかなり情緒が激しく、おそらく演技がかなり難しいと思われるが、夏木の声は全く違和感がなく馴染んでおり、性格の異なる銭婆とも見事に演じ分けている。夏木が舞台版で「実写版」の湯婆婆を演じていることからも、この役が夏木にとっていかに当たり役だったかが分かるだろう。

そして、釜爺役を演じるのは、『仁義なき戦い』で知られる名優・菅原文太。俳優経歴45年目で初めての声優への挑戦だったが、渋い声で情感たっぷりに釜爺を演じている。

また、リン役は、「渋さ知らズ」のボーカルとして知られる玉井夕海。当時スタジオジブリ主催の演出家養成講座に通っていたという玉井は、宮崎に大抜擢され、粘っこい特徴的なハスキーボイスを披露している。

なお、本作には、まだ北海道のローカルタレントだった大泉洋と安田顕がそれぞれ番台蛙役とおしら様役で出演している。二人が出演していた北海道の人気ローカル番組『水曜どうでしょう』を見たジブリのスタッフが出演をお願いしたのだとのこと。

本作の出演以降、全国区の人気俳優となった二人。その後の活躍から考えれば、キャスティングスタッフの慧眼に感服せざるを得ないだろう。

幻想的な「不思議の町」の造形―映像の魅力

不思議な町に迷い込んでしまった千尋の一家© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
不思議な町に迷い込んでしまった千尋の一家© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

本作の美術と言えば、なんといっても千尋の迷い込む「不思議な町」の造形が挙げられるだろう。本作に登場する豪華絢爛な油屋の外観には、スタジオジブリの近所にある江戸東京たてもの館のほか、宮崎たちが社員旅行で訪れたという道後温泉本館などがモデルになっているとのこと。

また、油屋の内装は目黒雅叙園のほか、日光東照宮の壁面彫刻や二条城の天井画がモデルになっているほか、油屋周辺の飲食店街は有楽町や新橋の歓楽街を参考に描かれているという。

また、本作は宮崎作品ではじめてデジタル彩色や撮影が取り入れられているのも大きな特徴。扱える色彩の量が飛躍的に多くなり、表現力が格段に上がったという。ちなみに、新たに「デジタル作画監督」と「映像演出」という役職が設けられ、それぞれCG部チーフの片塰満則と、撮影監督の奥井敦が就任している。

なお、本作の作画監督に抜擢されたのは、『On Your Mark』(1995年)や『もののけ姫』でも作画監督を担当した伝説のアニメーター、安藤雅司。スタジオジブリの生え抜きとして、才能を発揮していた安藤は、宮崎の鶴の一声で作画監督に抜擢されたという。

しかし、実在する少女のリアルな動きを志向する安藤と自らの快感原則に従って自由な絵を描く宮崎と反りが合わず、お互いに何度ももめたのだという。安藤はその後、本作を最後にジブリを退職したものの、高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』(2013年)ではメインアニメーター、宮崎吾朗監督作品『思い出のマーニー』(2014年)では作画監督および脚本に名を連ねている。

千尋の心情に寄り添う久石譲の楽曲―音楽の魅力

ハクと出会った記録を思い出すシーン© 2001 Studio Ghibli・NDDTM
ハクと出会った記録を思い出すシーン© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

本作の音楽を担当するのは、ジブリ作品ではおなじみの久石譲だ。久石は、本作でピアノとフルオーケストラの演奏を軸に、沖縄民謡やバリ島の民俗音楽、インドネシアの民俗楽器ガムランなど、アジア風の旋律を多用。千尋が迷い込んだ不思議な世界を見事に表現している。以下、印象的な曲を紹介しよう。

繊細なピアノの音色が印象的な「あの夏へ」は、本作のオープニング曲。引っ越し・転校を経て新たな一歩を踏み出そうとする千尋の不安を表現するとともに、どこか日本の夏の風景を思わせる観客の郷愁をかき立てる曲に仕上がっている。

千尋とカオナシが海原鉄道で銭婆のもとへ向かうシーンで流れる「6番目の駅」は、死者の世界を表現した幻想的で神秘的な楽曲。寂寥感漂うピアノと弦楽器の音色が千尋の孤独と切なさを表現しており、オープニングの「あの夏へ」とも呼応し合っている。

そして、ハクが千尋たちをのせて油屋へ帰るシーンでは一転、それまでの陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすような楽曲「ふたたび」が流れる。フルオーケストラで奏でられる本曲は、その後の大団円の導入としてふさわしい楽曲となっている。

また、本作の楽曲と言えば、エンディングテーマである「いつも何度でも」を挙げなければならない。本曲は、久石譲が作曲した「あの日の川」にシンガーソングライターの覚和歌子が詞をつけたもので、元々はお蔵入りになった幻の映画『煙突描きのリン』のために制作された楽曲だという。

なお、「おクサレ神」や「湯婆婆」、「カオナシ」など、主要なキャラクターごとにフルオーケストラの曲が制作されている点も本作の大きな特徴だろう。千尋の心情に寄り添った楽曲の多くがピアノ曲であるのに対し、これらの楽曲はフルオーケストラで演奏されており、本作の世界観を曲で表現しようという久石の気概が垣間見える。

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