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長嶋茂雄、やなせたかし、黒澤明ら偉大な男たちが残した名言

  • 2023.12.26
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偉大な男たちの、言葉がある

遠藤周作(作家)

屈辱感をかみしめられることは挫折のもたらす一番大きな効用だ。
(中略)
挫折のない人生などはない。
言いかえれば、挫折があるから人は生き甲斐ではなく、生きる意味を考えるようになるのだ

『毅然として死ねない人よ。それでいいではありませんか。』
(海竜社)

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遠藤周作(作家)

えんどう・しゅうさく/1923年生まれで、50年代より活躍した遠藤周作。カトリックの家に育ったこともあり、『沈黙』『侍』など、代表作の多くがキリスト教を主題とするものだった。それらかなり硬い作風の純文学作品を創作する一方で、エッセイでは“狐里庵先生”を自称してぐうたらぶりを発揮。ユーモアに富んだ大らかな筆致で大いに人気を集めた。実生活の本人も、エッセイに描かれる姿そのままだったそう。この言葉は、「屈辱感は男らしくないように思われているが」との前置きで始まるもの。挫折があってこそ人の痛みがわかる男になれるのだ。96年没。

山口瞳(作家)

私にとって『勉強すれば偉くなる』とか『勉強すれば上達する』ということよりも『いくら勉強しても上手にならない人もいる』ということのほうが、遥かに勇気をあたえてくれる

『男性自身 木槿(むくげ)の花』
(新潮文庫)

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山口瞳(作家)

やまぐち・ひとみ/社会人の振る舞いを説く『礼儀作法入門』が、“男のありよう”を語るときに今でもしばしば引き合いに出される山口瞳。1926年に生まれ、サントリー宣伝部で編集者・コピーライターとして活躍の後に作家へと転じた人物で、何事にも一家言持ち、好きも嫌いも包み隠さず記した。この言葉は、武者小路実篤が70年以上にわたり絵を続けたにもかかわらず「悲惨なくらいに下手」だった逸話を受けたもの。どんなに見込みがなくとも、自分に満足して続けていけばいい。つまりは上手下手など関係ない──それが物事の真の楽しみ方なのだろう。95年没。

黒澤明(映画監督)

つまらないと思うものでも、一生懸命やってみろ、と。
一生懸命やってりゃおもしろくなってくる。
おもしろいから努力しちゃう

『夢は天才である』
(文藝春秋)

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黒澤明(映画監督)

くろさわ・あきら/言わずと知れた日本映画を代表する監督は、1910年生まれ。今も国内外で評価の高い名作の数々を撮りおおせた一方、製作中には役者やスタッフたちと激しく衝突したり、短気を起こしたりといったエピソードも多く残る。それはとりもなおさず、自分の作りたいものにまつわる、どんな瑣末なこともおろそかにすべきではないという信念あってのこと。「ひとつ妥協したら、将棋倒しにすべてがこわれてしまう」ことを誰よりもよく知り、誰よりも努力を重ねた人物だったのだ。精一杯努力して踏ん張った先にこそ、仕事の楽しみは見えてくる。98年没。

やなせたかし(漫画家・絵本作家)

ぼくのように、あまり才能に恵まれていない者はゆっくりと走ればいい。
『あきらめるな!』と自分を叱咤しながら眼の前一メートルぐらいの地面だけ見て走り続けるというやり方です

『もうひとつのアンパンマン物語―人生はよろこばせごっこ』
(PHP研究所)

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やなせたかし(漫画家・絵本作家)

多くの子供たちに愛され続ける『アンパンマン』の生みの親、やなせたかし。晩年こそ人気作家として知られたが、『アンパンマン』がヒットしたのは1919年生まれの彼がもう70歳にさしかかる頃。手塚治虫らが大人気となる裏側で、漫画家としての仕事が全くなく、苦渋を舐めた時期も長かった。それだけに、好きなことならば諦めずに一歩ずつ進めと諭すこの言葉には説得力が宿る。自らが苦労していた時期を忘れることなく、2013年に94歳でその生涯を閉じるまで、後進の育成や社会貢献に積極的だった生き様にも見習うことは多そうだ。

星新一(小説家)

無から有をうみだすインスピレーションなど、そうつごうよく簡単にわいてくるわけがない。
メモの山をひっかきまわし、腕組みして歩きまわり、溜息をつき、無為に過ぎてゆく時間を気にし、焼き直しの誘惑と戦い、思いつきをいくつかメモし、そのいずれにも不満を感じ、コーヒーを飲み、自己の才能がつきたらしいと絶望し、目薬をさし、石けんで手を洗い、またメモを読みかえす。
けっして気力をゆるめてはならない

『気まぐれ星のメモ』
(角川文庫)

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星新一(小説家)

ほし・しんいち/生涯にわたり1000篇以上の優れたショートショートを書き、“多作の作家”として知られた星新一は1926年生まれ。無駄な言葉を廃し、洒脱な文体や、私生活ではお酒好きの愉快な人物だったというエピソードなどから、楽々と創作をしていたかのように捉えられかねないが、現実は全く逆だったことを物語る言葉。創作のアイデアを求めて、熊のように部屋の中を動き回り、ぐずぐずと悩み抜いた作家の姿が微笑ましい。「けっして気力をゆるめてはならない」というのは実感だろう。気合を入れて悩み抜けば、必ず道は開けるのだ。97年没。

浜口雄幸(政治家)

明日伸びんがために、今日は縮むのであります

城山三郎『男子の本懐』
(新潮文庫)

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浜口雄幸(政治家)

はまぐち・おさち/1870年に生まれ、官僚を経て政治家に転じ、1929年からの約2年間、内閣総理大臣を務めた浜口。曲がったことが大嫌いで、根回しを全くせず、何事にも正面から向かっていく豪腕ぶりを発揮した。その手腕は評価の分かれるところだが、眼光鋭いその風貌から“ライオン宰相”と呼ばれて国民の支持を得た。この言葉は、日本が不況にあえぐなかで金解禁(金本位制度への復帰)を発令した際の言葉。不興を買うとわかりきった政策を、あえて未来のために断行する男の強さ、そして人々にも苦労を求められるだけの彼の正直さが表れている。31年没。

小倉昌男(ヤマト福祉財団理事長)

何かを断るとき、あるいは相手の考えを変えさせたいときほど、相手のまたぐらに足を突っ込むぐらいの覚悟で間合いをつめたほうがいい

『「なんでだろう」から仕事は始まる!』
(PHP研究所)

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小倉昌男(ヤマト福祉財団理事長)

おぐら・まさお/今や我々の暮らしに不可欠なものとなった宅急便サービス。1924年生まれの小倉は、この宅急便の創始者。社内の反対を押し切り、規制緩和を渋る官公庁などの権力とも果敢に戦って、「消費者が便利になる」この事業を始めるために尽力した。『経営学』は今も読み継がれるビジネス書。ここに挙げたのは、いやな仕事であればあるほど、自分から行動を起こすべきだと説く言葉。実は気弱であると自認する小倉は、物事を断るときは自ら出向いて頭を下げたそう。その方がずっとスムーズに物事は運ぶのだ。2005年没。

大滝秀治(俳優)

自信の上に自惚れがある。
謙虚の下に卑屈がある。
(中略)
自信と謙虚のあいだでもって、一生懸命やっていればいいんじゃないかと思うんです

『長生きは三百文の得』
(集英社クリエイティブ)

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大滝秀治(俳優)

おおたき・ひでじ/1925年生まれで、戦後より2012年の死の直前まで半世紀以上にわたって活躍した個性派俳優・大滝。この人にしか出せない独特の味わいが魅力で、「お前の話はつまらん!」と一喝するキンチョールのCMを記憶している人も多いのではないか。ここに挙げた一冊は、演技に対する彼の言葉を集めたもの。長く活躍したこの演技人が、いかに自らに厳しい人であったかがわかる。自惚(うぬぼ)れず、かといって卑屈にもなりすぎず。常にいい塩梅でいることが、いい演技につながるとの自戒を込めたこの言葉は、そのまま人生訓としても深くしみ入ってくる。

長嶋茂雄(巨人軍終身名誉監督)

ワーストはネクストのマザー

『年がら年中 長嶋茂雄』
(ベースボールマガジン社)

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長嶋茂雄(巨人軍終身名誉監督)

ながしま・しげお/巨人軍の黄金時代を築いた名選手であり、後には監督としても活躍した長嶋茂雄は1936年生まれ。この人なしでは日本のプロ野球は成立し得ないというほどに、実力と人気を兼ね備えた人物は、擬音や英語を多用した名(迷?)言の数々もよく知られる。鯖を“さかなへんにブルー”と言ったというような爆笑を誘う言葉も多いのだが、この言葉などは、スパンと真実を射抜く。「ひどいことは必ず次につながる」と言うよりずっと心に響くではないか。2004年に脳梗塞に倒れて以降も病気と戦い続けるこの人だからこそ、その言葉はずしりと重い。

筑紫哲也(ジャーナリスト、ニュースキャスター)

この国の歴史のなかで、何を残し、何を捨ててもよいから、これだけはあなたたちが引き継いで欲しくはないと私が思い続けて来たもの、それが『KY』に凝縮している思考なのです

『若き友人たちへ―筑紫哲也ラスト・メッセージ』
(集英社新書)

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筑紫哲也(ジャーナリスト、ニュースキャスター)

ちくし・てつや/新聞記者を経て、1989年開始のニュース番組『NEWS23』をきっかけにキャスターとしての活動を本格化させた1935年生まれの筑紫哲也。歯に衣着せぬ物言いで身内のテレビ局を批判することもあり、時に大きな論争を招いたが、リベラルな態度は広く支持された。ここに挙げた書は後に番組内で癌を告白、2008年に73歳で永逝した彼が、若者たちへ書き送ったメッセージ。「空気を読めないお前は時代遅れで仲間外れだ」という脅迫的な意味合いを持つ「KY」の意識こそが、日本を堕落させたものなのだと、幅広い知識を駆使して諭しかける。

植村直己(冒険家)

人の意見も、とうぜん重視しなければならないが、その意見にしたがってばかりいては何もできない。
人にいわれてやめるのではなく、自分で実際に直面して肌で感じとり、それでできないと思ったらやめ、できると思ったらやるべきではないか

『青春を山に賭けて』
(文春文庫)

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植村直己(冒険家)

うえむら・なおみ/世界初の五大陸最高峰登頂や、北極圏1万2000キロの単独犬ぞり旅など、文字通りの前人未到の冒険の数々をやってのけた、1941年生まれの植村直己。84年にマッキンリーの冬期単独登頂を成功させた後に消息を絶ったが、その偉業を成し遂げるまでを記した書物は、この男の思考と行動の過程を今も教えてくれる。ここに挙げた言葉は、アフリカ大陸第2の山、ケニヤ山の単独登頂を目指した際の回想から。あまりに危険な試みだと現地の人々に反対されながらも初志を貫徹し、無事登山を成功させた。自分の勘を信じて頼るべしという力強い言葉だ。

米長邦雄(棋士)

人生の要諦は、いかに勝つかではなく、いかに負けるか、なのだ

『不運のすすめ』
(角川書店)

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米長邦雄(棋士)

よねなが・くにお/永世棋聖の称号を贈られ、晩年には日本将棋連盟会長も務めた米長邦雄は1943年生まれ。悲願だった名人位獲得のため、後輩たちに教えを請うなど、常識破りともいえる行いを厭わなかったのは、「対局外で何をしようが、盤外で何を言おうが、真の戦いは盤上のみにある」と信じていたから。将棋になぞらえた人生訓はどれも重みがあり、ここにある言葉は“よい負け方の勧め”。自分の短慮を即座に悟り、それをすぐに認めることこそが、失敗を無駄に大きくすることなく、次へのチャンスにつなげていくコツだと説く。2012年没。

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