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年金月5万円、団地の賃貸1DKに一人暮らしの71歳女性が「それでも全く不安がない」という納得の理由

  • 2023.12.20

老後の不安を解消する方法はないか。トレーナーのソネジュンコさんは「年金が月に5万円しかないが、不安は少しもない。死ぬ1週間前まで仕事をすると決めているからだ」という――。

※本稿は、ソネジュンコ『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

交差点
※写真はイメージです
がんになって決めた2つのこと

私はちょっと天邪鬼なところがあって、普通の人なら絶対に「こっちのコースを選ぶはず」というようなところで、反対のコースを選んでしまいがち。順風満帆が保証されている道は、まず選ばない質たちなのです。

ソネジュンコ『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)
ソネジュンコ『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)

もともと物事に対する執着心があまりないようで、「これを絶対に失いたくない」というものが少ないように思います。

そういう生き方がかっこいいと、どこかで思っているのかもしれません。

それに拍車がかかったのが、61歳でがんを経験したときです。

還暦をすぎて、いよいよ人生の終盤戦に入るというときに死を意識せざるを得ない大病を患ったことで、「もうここまできたら何も怖いものはない」「自分の思い通りにやりたいことをやって楽しもう」と吹っ切れたのです。

そういう意味では、がんの発病は私にとって大きなターニングポイントになったと思います。

人生は有限であり、自分の人生には必ず終わりがくることを頭ではわかっているつもりでした。しかし、人生の終わりを目の当たりにして初めて、毎日が本当に愛おしくなり、日々の過ごし方と真剣に向き合うようになったのです。

1DKの部屋ではDIYで作った机を愛用
1DKの部屋ではDIYで作った机を愛用

その結果が本書で紹介している人間関係であったり、食事や睡眠であったりなのですが、どんな場面でも共通して大切にするようになったのが「我慢しないこと」「心地よさを優先すること」です。

この二つを自分の軸として定めることで、メンタルがそれまで以上に安定して、日々の暮らしの中に小さな幸せを感じられるようになったと思います。

コロナで膨大な自由時間ができた

100年に一度の疫病の大流行ともいわれたコロナ禍もまた、自分の生き方・考え方を見つめ直すいい機会になりました。

戦時中でもないのに緊急事態宣言が出て、「外に出てはいけない」「人に会ってはいけない」なんて、生まれて初めての経験でした。

多くの人にとって、コロナ禍はライフスタイルの強制リセットになったのではないでしょうか。私もそうなったひとりです。

私が運営するエクササイズのスタジオも一時的に閉鎖せざるを得なかったので、思いがけず膨大な自由時間が転がり込んできました。

「仕事がないと不安」という呪縛から解放された

いちばん驚いたのが、コロナ禍でスタジオのクライアントさんたちの予約が次々にキャンセルとなっても、さほど不安に感じなかったという点です。

個人事業主や自営業の方には、多かれ少なかれ同じような感覚があると思うのですが、お金うんぬん以前に予約のキャンセルが相次ぐこと自体が、メンタル的に大きなダメージになります。

自分の腕が落ちたとか、お客さんの間で評判が下がったとかいう理由ではないとしてもです。

コロナ以前、私は自分がメンタル的に強い人間だと思い込んでいましたが、それでもスケジュールが空いていると、自分が求められていない気がして不安になることがしばしばありました。

スタジオの予約枠は常にびっしり埋まっていないと、自分がダメになっていくような強迫観念がずっとあったのです。

ところがコロナで本当に強制リセットとなり、日々のスケジュールは真っ白になりました。

朝起きても何もすることがなく、最初のうちは茫然ぼうぜんとしていました。

でも、そこは切り替えの早い私のことです。これまで「時間がない」を理由に先延ばしにしていた不用品の整理を、この機会にやってみようと思い立ちました。

スケジュールを記入する手
※写真はイメージです
まずは写真を整理

最初にとりかかったのは、写真を整理することです。

写真というのは、すなわち「過去の自分」ですよね。私は執着心がさほど強くなく、特にイヤなことは忘れるようにしてきたので、自分には苦い過去の思い出などないと思い込んでいました。

だから、写真にもさほどの思い入れはないつもりでした。

7年前に今の団地に引っ越してきたとき、大量の写真を処分しています。

ところがいざとりかかってみると、思いのほかたくさんの写真を手元に残していることに気づきました。やはり自分で思っているほど簡単に、過去への執着はなくせるものではないのだなと感じました。

それと同時に、これから本当に前を向いて生きていきたいのであれば、私の人生において大転換点になるであろうこの時期に、バッサリと処分すべきではないかとも感じたのです。

残す写真、捨てる写真の判断基準

昔の写真を見ているとき、心は当時にタイムスリップしますよね。

写真に写っている私は、一見するといつも幸せそうに笑っています。

でも実は、写真を撮るから一応笑顔をつくってみただけ。その直前に誰かに何か言われてちょっと傷ついたんだっけ、などと思い出してしまうことはありませんか?

私自身は、わりとそう感じる写真が多かったです。

家族全員がそろった記念写真だから、数年に1度の同窓会で会った人たちと撮った写真だから、といった理由で、自分の感情はさておき後生大事にしまっておいたのです。

また数ある写真の中には、なんの感情も湧かないものもありました。楽しかったかと聞かれれば、楽しかったかもしれないけれど、あの程度の楽しさなら今でもしょっちゅう経験しているわ、みたいな。

そんな写真をとっておくことにあまり意味はないように感じられたので、処分の対象にしました。

古い写真
※写真はイメージです
「誰かの結婚式のスナップ」は処分対象

申し訳ないのですが、誰かの結婚式のスナップ写真などは、その典型だと感じます。とにかく数が多い。しかも似たようなアングル、似たような人ばかりが写っているんです。

さらには旅先の風景写真。「せっかく来たんだから撮っておかないと」と思って撮影したそれらは、今見ると別に面白くもなく、ましてや芸術的でもなく、この先も保管しておく必然性がまったく感じられません。

そこで整理をした結果、写真の量はそれまでのアルバム5冊から、1冊だけに減らすことができたのです。

残す写真を選ぶ基準は、次の三つです。

① 誕生日やクリスマス、運動会などのイベントの写真は全員が写っているものを1枚だけ
② 私がいなくなったあと、3人の子どもたちが見て「お母さんらしいな」と思ってくれそうなもの
③ 私自身の写真写りがいいもの

このいずれかに当てはまっている写真は残す。ただし、アルバムは1冊に限定して、それ以上にはならないようにしました。

基準をはっきりさせたことで迷うことなく、残すべき写真を選ぶことができました。

洋服も大量に整理

洋服が処分できなくて収納に困っているという声をよく聞きます。

私はファッションが大好き。着道楽なので、かつて広いマンションに住んでいたときは、服が山ほどありました。

以前は収納しておけたのでたくさん洋服があっても問題なかったのですが、引っ越し先が狭くなるたびに処分せざるを得なくなりました。

セールで買ったような服なら処分しやすいのですが、高価な服ほど処分しづらかったです。

ヴェルサーチェのコートとかアルマーニのスーツなど、バブルのころに買ったものがたくさんあり、手放すのにはなかなか勇気がいりました。

でも洋服というのは、本当に時代の空気を端的に表しているんですよね。

どんなに仕立てがよく生地も素晴らしく、服自体は美しかったとしても、時代の空気に合っていないと何か変なのです。

私の場合、個性的な服を好んで着るので、余計にそう感じます。

結局、あるとき思い切って全部資源ごみとして出すことにしました。

どんなに胸が痛むだろうかと思っていたら、自分でも拍子抜けするほどなんの感慨も覚えず、すんなり処分できてびっくりしました。

以来、洋服は新陳代謝が大切と、いつか着なくなることを覚悟して買うようになりました。

コロナ禍のときも時間があったので、クローゼットを総点検してもう着ることはないだろうと思われる服を何着も処分しました。

すると、「これでまた一つ身軽になれたわ」とうれしい気分になったのです。

白いハンガーにピンクの服
※写真はイメージです
ひとり暮らしは寂しくない

コロナ下ではものを整理・処分したほかにも、やりたいことをとことんやってみることにしました。

読みたいだけ本を読んだり、好きなだけアクション映画を見たり……家の中の模様替えや必要な備品づくり(飾り棚など)、アクセサリーづくりなどにも精を出しました。

時間に余裕がなければ、なかなか手が出せないことを積極的にやってみたのです。

そのときにいちばん強く感じたのが「ひとり暮らしって本当に自由なんだ!」ということでした。

時間も自由、空間の使い方も自由、食べ方も自由。生活のすべてを自分の思い通りにハンドリングできるのですから。

自由をこよなく愛する私にとって、これほど幸せなことはありません。

女性の中には、ひとり暮らしをしたことのない方も多いと思います。「いつかひとりになったらどうしよう」と不安を感じている方もいらっしゃることでしょう。

でも、大丈夫です。ひとり暮らしは、少しも怖いことではありません。

こう言っては身も蓋もないのですが、人間、生まれるときも死ぬときもひとりです。怖いも何も、生まれてくるときに「ひとりきり」をすでに経験しているわけです。

最初のうちは寂しさや心細さを感じるかもしれませんが、やがてひとり暮らしの楽しさやひとりの時間がもたらす豊かさに気づくことができるようになるでしょう。

いつまでも自分の「見た目」を気にすること

年齢を重ねるにつれて、見た目を気にしなくなる人が増えますよね。「もうこんなにしわくちゃのおばあちゃんになっちゃったから、オシャレをしても仕方がない、楽なのがいちばん」なんて。

そんなことを聞くたびに「もったいないな」と思ってしまいます。

だって、今は世の中に、廉価できれいになれるものがいっぱいある時代だからです。

私たちが若かったころは、マツキヨもユニクロもしまむらもありませんでした。廉価な化粧品も、ちょっとオシャレなのに廉価な洋服やバッグも存在しなかったんです。

せっかく、安くてシャレたものが手に入るのです。年をとって若いころと容貌が違っているのは事実ですが、年齢相応のきれいさを持ち続けたいなと私は思います。

そのほうが楽しいですし、モチベーションも上がります。

そうはいっても、女性はまだいいのです。オシャレに意欲を失わない人の割合は決して低くはありませんから。

私はむしろ男性のほうが気になります。もっと自分に興味を持って、自分に似合った服を身に着ければ、ずっと魅力的になるのに、と思うのです。

もしもファッションを変える勇気がなければ、歯をきれいにしてみるといいのではないでしょうか。

まわりの人にいい印象を与えますし、自分自身も快適でいられます。自信も持てるようになるでしょう。

男女を問わず、いつまでも自分の見た目を気にすることで、若々しさが保たれ、生きる張り合いにつながっていくと思うのです。

イヤなことがあったら笑う、そして好きなことをする

私のレッスンに来られる生徒さんの中には、最初のころ顔が強張こわばっている人もいます。

「この方、何か気を悪くしたのかしら?」「それとも、怒っているのかしら?」と思ってしまうくらい表情が硬いんです。

そういう人でも2〜3カ月もすれば表情がやわらかくなり、自然に笑顔が出るようになっていきます。

そこで私は、レッスン中に何度も「さあ、大声で笑ってみましょう!」と声かけするようにしています。

とにかく笑ってみる。面白いことなんてなくても、声に出して笑ってみてください。こうして文字にすると「何、それ?」とヘンに思われるかもしれませんが、実際にやってみると効果絶大です。

とにかく笑うことによって、「楽しさ」とか「面白さ」が運ばれてくるようになるからです。楽しさや面白さを感じとるスイッチが入るみたいな感じでしょうか。

だから、もし漠然とした不安に襲われたり、イヤなことを思い出したりしたら、鏡の前に立って、とにかく声を出して笑ってみることをオススメします。

もう一つ、好きでたまらないことを持つというのも大事なことかなと思います。

私を知る人は、私に対して元気な人というイメージが強いようですが、それでもちょっとメンタルが落ちていると感じるときはあります。

そんなときは大好きなアクション映画を見ることにしています。ハラハラドキドキしながら2時間ほどを過ごして映画が終わったときには、あら不思議。またエネルギーが充満した自分に戻っているのです。

あなたには何か時間を忘れて、没頭できるような楽しいことはありますか?

あったら、ぜひそれを大切にしてくださいね。

年金月額5万円でもまったく不安を感じない理由

私は年金を受給しています。

その金額は月5万円。普通に考えて、不安になりそうな金額ですよね。

でも実は私、ちっとも不安を感じていないんです。きっと自分はなんとかなるだろうと思っているからです。なんともならなかったら、なんとかするしかありません(笑)。

私はまわりの人たちに「死ぬ1週間前まで仕事をする」と宣言しています。そう考えると怖いものなんてなくなります。

ここまで腹をくくることができたのも、裕福な暮らしという天国から、ほぼ無一文になる地獄の経験をしてきたおかげでしょう。

いいことばかりではなく、つらいこと苦しいこともたくさんありましたが、それが今の私のメンタルをつくってくれたのだと感謝しています。

ソネ ジュンコ(そね・じゅんこ)
1952年大阪府生まれ。父親が会社を経営する裕福な家庭に生まれ育つ。裕福な家庭に嫁ぎ、3人の子宝に恵まれたものの離婚。子どもたちとともに実家に戻るも、父親が営む会社が倒産し、住む家を失う。貯金も底をつき、子どもたちとともに食べていくため、体当たりで働いた整体院でつかんだノウハウをもとに独立した。しかし、61歳で末期寸前のがんに。不安を抱えながらの人生も、小さなことは気にせず、料理・手芸・洋裁・DIY・パソコンなど、お金をかけずに今を楽しんで毎日を送っている。現在、大阪市郊外の団地でひとり暮らし。

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