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小学生で英検、プログラミング…「みんなやっているからやらなくちゃ」と焦る親が根本的に間違っていること

  • 2023.12.20

子どもの塾や習い事について「みんなやっている」「今どきは英検やプログラミングぐらいやらないと」と聞くと、なぜ不安をあおられてしまうのか。関西学院大学の社会学部教授、貴戸理恵さんは「実際にはそんな親子は少数派のはずで、『競争社会を勝ち抜く子どもを育てようと決めた“意識の高い人たち”はやっている』という意味。個人として勝ち上がることを是とする市場的価値への同調を迫っている」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、貴戸理恵『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

競争に引きこむ言葉
貴戸理恵『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)より
貴戸理恵『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)より

塾や習い事をめぐる「ママ」同士の会話は、緊張感に満ちています。だれしも興味のある話題でありながら、家庭の教育方針や経済事情、子どものパフォーマンスの優劣などが関わってくるため、的確に情報交換しつつ踏みこみすぎないように、気を使わなければならないからです。

現代の日本社会では、多くの母親が仕事を持っているとはいえ、性別役割分業は根強く残っており、現実にはまだ子どもの習い事は「ママ」の領分です。地域の教室の評判について情報収集し、我が子の気持ちや適性を見定め、送り迎えのスケジュールを調整するために、多くの母親が奮闘しています。

そうしたなかで「今どきは○○くらいできなきゃ」といわれたら、「出遅れたかな。うちの子にもやらせたほうがいいのかな」と焦りや不安を感じてしまうかもしれません。でも、少し立ち止まって考えてみましょう。

一見するとこの言葉は、「みんなやっているのだからあなたもやらなければ」という同調圧力に見えます。ですが、ここでいう「みんな」は、たとえば「みんなが迷惑してるよ」というときのような、個人を飲みこむのっぺりしたひとかたまりの集団を差しているわけではありません。

この小学校も、「子どもたち全員が英検5級を受ける」とか「保護者全員が子どもにプログラミングを習わせている」というわけではないでしょう。実際にはそんな親子は少数派のはずです。では「みんなやっている」とはどういうことかといえば、それは、競争社会を勝ち抜く子どもを育てようと決めた「意識の高い人たち」はやっている、という意味にほかなりません。そういう一部の人たちをあえて「みんな」と呼ぶことで、「意識の低い普通の人たちとはちがう」と自分を特別な存在に見せているといえます。

つまり、「今どきは○○くらいできなきゃ」という言葉は、集団への同調ではなく、むしろ集団を抜け出して個人として勝ち上がっていくことを是とするような市場的価値への同調を迫っているのです。

未来を競争社会に特化してイメージしている

小学校で英語が必修化されたのだから、家庭でも早期の英語教育が大事。2025年から共通テストに「情報」科目が加わるから、プログラミング的思考を育てておくことが重要。こういう発想から出てくる「今どきは○○くらいできなきゃ」という言葉のあとに続くのは、「そうでなければ競争に負けてしまう」でしょう。

そこでは、子どもたちが生きる未来は競争社会に特化してイメージされており、我が子の勝ち残りのために親が知力と財力を使うことが当然のこととされています。そう考えればこれは、親ぐるみの学歴取得競争に他者を引っ張りこんでいく言葉でもあるといえます。

不安をあおって教育商品を売りこむ面も

一般的には子どもの幸せは親の願いであり、「子のために親ができるだけのことをする」という発想はわたしたちの素朴な感性に受け入れやすいものです。でも、それが「子どもが競争社会で有利になるよう親が習い事に投資する」となったらどうでしょうか。そこでは他者は、協働したり連帯したりする対象ではなく、どちらがより「上」に行けるかを競う相手になります。

この言葉がずるい、というよりトリッキーなのは、親たちに一生懸命な子育てをうながすことで、いつのまにか教育における格差をはっきりさせ、分断に加担させていくところです。

さらにいえば「今どきは○○くらいできなきゃ」は、親の不安をあおることで、経済的に苦しくなっても教育費は削らない傾向のある日本の家庭に、さまざまな教育商品を売る呪いの言葉になっていることも見逃せません。「英語やプログラミングを学べばあなたの子どもは競争に勝ちやすくなりますよ」と教育産業はささやきますが、未来は不透明で「将来必要になる力」を見通すのは困難です。「これをやっておけば安心」というものはないと知っておくことも大事だと思います。

ミニチュアのスクールデスクと椅子
※写真はイメージです
抜け出すための考え方

「今どきは○○くらいできなきゃ」といわれて焦りや不安を覚える自分を、引いた視点から眺ながめる「もうひとりの自分」を想定してみましょう。

子どもにはどんな未来を生きてほしいのだろう? いい学校を出ていい会社に入る安定した人生? 競争社会で抜きん出て経済的に豊かになる成功者の人生? けれども現在の想像力で描くそんなモデルは、子どもたちが大人になるころにはすっかり古びているかもしれません。では大切なことは何か。答えはありません。

実は古い価値観に立った分断を促進させる発想

OECD(経済協力開発機構)の「Education 2030」は、2018年に義務教育に上がった子どもが18歳を迎える2030年に向けて必要なコンピテンシー(能力)として、「新たな価値を創造する力」「対立やジレンマを克服する力」「責任ある行動をとる力」を挙げました。

社会の変化は激しく、未来は不確実です。新しい時代にふさわしい価値を生み出すことや、異なる価値を持つ相手と対話できること、貧困や天然資源の枯渇といった地球規模の問題に対して関心を持ち行動することなどが、これからの子どもたちには求められるとされているのです。

そう考えると、「今どき英語くらい、プログラミングくらいできなきゃ大学受験で戦えない」という発想自体が、古い価値観に立った、分断を促進させる発想だということが見えてきます。わたしたちは、何のために学ぶのでしょう。貧しさや抑圧のある社会を「仕方がない」と受け入れ、「自分は有利な人生を送りたい」から学ぶのか。それとも、自己や他者の抱える課題を見すえ、貧しさや抑圧を減らすために何ができるかと考えるために、学ぶのか。

「子どもの未来」を見すえた関わりは、「わたしたちの現在」を問い直すことから始まります。子育てや教育のなかで大人の側こそが、新しい価値を生み出せるか、他者と協働できるか、未来への責任を自覚できるかを、真剣に考えていかねばならないでしょう。

もっと知りたい関連用語
【教育格差】

教育格差はさまざまなかたちで存在しています。教育社会学者の松岡亮二さんは、現代日本社会を「生まれ育った家庭と地域によって何者にでもなれる可能性が制限されている『緩やかな身分社会』」だといいます(『教育格差』2019、ちくま新書)。同書によれば、2015年に20代の男性では、父親が大卒であれば本人も80%が大卒になった一方で、父親が非大卒の場合は本人の大卒の割合は35%でした。また、三大都市出身者であれば58%が大卒になりましたが、非三大都市出身者では45%でした。

このように、親の学歴や出身地域という本人の努力や選択とは関係ない事がらが、本人の教育達成をある程度決めている現実があります。

問われているのは大人の社会のあり方

問われているのは、この現実をわたしたちがどのように認識し、何を問題ととらえるか、ということではないでしょうか。生まれや育ちによって教育機会が不平等である現状を「そんなのあたりまえ」と受け入れたうえで「いかに自分や自分の子どもが有利に生きられるか」と目先の生存戦略に焦点を合わせるのか。それとも、少しでも不平等が少ない開かれた社会を目指すのか。

貴戸理恵『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)
貴戸理恵『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版)

後者を望みたいですが、現実はそうなっていません。2018年の朝日新聞社とベネッセ教育総合研究所の共同調査では、子どもが公立小中学校に通う保護者のうち、教育における経済格差を容認している人(経済的ゆとりがある家庭の子ほど、よりよい教育を受けられるのは「当然」「やむをえない」と答えた人)は6割以上にのぼります。この割合は増加傾向で、しかもゆとりがないよりある親で「容認」派が多いのです。つまり、経済的に豊かな人びとのほうが、教育格差を「当然」「やむをえない」と見なしています。

不平等を前提として受け入れる人が多ければ、それを是正するための社会政策は合意を得られにくくなります。くり返しますが、問われているのは大人の社会のあり方なのです。

貴戸 理恵(きど・りえ)
関西学院大学教授
1978年生まれ。関西学院大学教授。専門は社会学、不登校の〈その後〉研究。アデレード大学アジア研究学部博士課程修了(PhD)。著書に『「生きづらさ」を聴く 不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ』(日本評論社)、『「コミュ障」の社会学』(青土社)などがある。

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