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「ヒツジイヌです、ワンワン」毛織物の材料になった伝説の絶滅犬

  • 2023.12.19

絶滅させたのは誰でしょうか?

米国のスミソニアン博物館(Smithsonian Museum)で行われた研究によって、伝説の存在とされていた「羊の毛」を持つ犬が、実在していたことが明らかになりました。

研究では150年以上前に採取された犬の毛皮DNA分析が行われており「羊の毛」のように縮れた糸になりやすい毛の遺伝子が発見されました。

また以前は、羊の毛を持つ犬たちは産業革命によってもたらされた大量生産された安価な毛織物製品の存在によって、犬たちが飼われなくなったことが絶滅につながったと考えられていました。

しかし現地の長老たちのインタビューと複数の犬のDNA分析によって、羊の毛を持つ犬たちが絶滅した原因が、全く別のものであることが示されました。

羊の毛を持つ犬たちは、どのように飼われ、どのように絶滅したのでしょうか?

研究内容の詳細は2023年12月14日に『Science』にて「古代ゲノミクスと先住民の知識によって明らかにされるコースト・セイリッシュの「羊毛の犬」の歴史(The history of Coast Salish “woolly dogs” revealed by ancient genomics and Indigenous Knowledge)」とのタイトルで公開されました。

目次

  • 羊の毛を持つ犬は存在した
  • 先住民たちは大量生産品のせいで文化を手放したのではない
  • 羊の毛を持つ犬を飼育することも機織りも禁じられた

羊の毛を持つ犬は存在した

伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明!
伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明! / Credit:Canva . 川勝康弘

太平洋に面した米国とカナダの国境付近に住む複数の先住民族には、かつて自分たちの先祖は白くてフワフワした「羊の毛」を持つ犬たちを飼っていたとする伝説が存在しました。

羊毛質の犬の毛は、普通の犬の毛と違って細い糸にすることが可能であり、機織り機でブランケットなどの毛織物を作っていたと述べられています。

(※新大陸には馬・牛・羊などがいないことが知られており、人々は羊毛の代りに「羊の毛」を持つ犬をつかって毛織物を作っていたのです)

しかし伝承の収集が行われた時(1950~1960年代)は、羊の毛を持つ犬(コースト・セーリッシュ・ドッグ)が失われてから既に1世紀が経過しており、一部の科学者たちは「ヒツジイヌ」などは神話の存在に過ぎないと述べていました。

そこで今回、スミソニアン博物館の研究者たちは、150年前に収集された「マトン」と名付けられていた犬の毛皮のDNAと、コーストセーリッシュ地域の長老たちへのインタビューを統合し、彼らの伝承が遺伝子に反映されたものであることを証明しようとしました。

結果、羊の毛を持つ犬は神話の存在ではないことが判明します。

伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明!
伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明! / Credit:Canva . 川勝康弘

DNA分析では毛と皮膚に関連する20以上の遺伝子が発見され、その中には犬の毛が羊の毛と同じように縮れさせるものが含まれていました。

このことから、伝説の犬の毛は普通の犬の毛と違って、本物の羊の毛のように丈夫な糸にできたことを示しています。

さらに長老たちのインタビューからは、羊の毛を持つ犬たちは、その他の用途の犬たちとは明確に別けて、混ざらないように注意深い交配が行われ、大切に育てられていたとされていましたが、これもDNA分析によって証明されました。

DNA分析は、羊の毛を持つ犬たちの遺伝的多様性が低く、同じ地域に生息する多様な犬たちと人為的に交配を避けられていたことが示されました。

これらの結果は、長老たちの口伝がDNA分析によって裏付けられたことを示しています。

口伝されている伝承の内容をDNAの分析結果と「嚙み合わせる」今回の手法は、民俗学や人類学の新たなスタンダードとして非常に高い評価を受けています。

また伝承では犬の毛から作られる毛織物の重要性についても述べられています。

長老たちの口伝によれば、ブランケット1枚分の羊毛質の毛を集め、洗浄し、糸に紡ぐだけでも1年以上かかる場合があり、さらに植物で染色したり、他の動物の毛を織り交ぜるといった膨大な労力が注がれたとされています。

母系制のコーストセーリッシュ社会では、そのような手の込んだ毛織物を所有しているということは、その家族が、特別な「羊の毛」を持つ犬に餌を与え飼い続けるだけの豊かさと、莫大な労働力を費やせる余裕があることを示しており、社会的ステータスを反映するアイテムとして重要視されていました。

その証として、それぞれのブランケットには絵画のように独自の名が与えられ、スピリチュアルな意味が込められていました。

そこで研究者たちがスミソニアン博物館に保存されている毛織物を分析したところ、実際に犬の毛が使われていたことが明らかになりました。

一方、150年前に収集された羊の毛を持つ犬「マトン」のミトコンドリアDNAを分析したところ、マトンの先祖が少なくとも4000年前に他の犬の系統から分岐したことが判明します。

この結果は、羊の毛を持つ犬たちや、羊毛質の毛から作られた毛織物は、コーストセーリッシュの人々にとって、精神文化を象徴する重要なものであり、人々が超長期にわたり、特殊な毛皮を維持するための努力を続けてきたことを示しています。

羊の毛を持つ犬たちは長らく、日本犬やヨーロッパスピッツが輸入されて現地に根付いたものだとする見解がありましたが、今回の研究は4000年に及ぶ長い歴史が証明されたのです。

しかしそうなると、気になる点が出てきます。

なぜ長きに渡り大切に育てられ、精神的文化の支柱と考えられていた犬たちは、絶滅してしまったのでしょうか?

先住民たちは大量生産品のせいで文化を手放したのではない

伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明!
伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明! / Credit:Canva . 川勝康弘

羊の毛を持つ犬たちは、19世紀にヨーロッパによる植民地政策が開始されると絶滅してしまいました。

そのため多くの研究者たちは、本物の羊から作られた大量生産された安価な毛織物がコーストセーリッシュ地域に流れ込んだせいで、人々は手間のかかる犬の飼育をやめてしまったせいであると述べています。

同様の西洋文化の流入による文化破壊が、世界各地で起きていたのは事実です。

日本でも進んだ西洋の文化や品々を取り入れる過程で、古来の建築物や文化遺産の棄却が進み、古来の技術が失われるケースもありました。

しかし精神的文化の支柱までは、失われませんでした。

便利な技術や安価な製品が流れ込んでも、和紙の製造法など精神的文化と結び付いた技法の多くは維持されていたのです。

長老たちのインタビューでも、西洋の安価な毛織物が流れ込んでも、人々の多くが羊の毛を持つ犬たちを大事に維持していた事実が明らかになりました。

人々は羊の毛を持つ犬たちを、他の犬とは違った専用の犬小屋または室内で飼育し続けていたのです。

では、何が犬たちの絶滅を起こしたのか?

まさに外道
まさに外道 / Credit:Canva . 川勝康弘

そこで研究者たちは、19世紀に起きた別の現象に目をつけました。

すると今回の研究でDNAが採取された犬「マトン」が誕生した村では、19世紀になると定住者がわずか数十人まで減っていたことが判明します。

ヨーロッパ人の接触によって、おたふく風邪・結核・インフルエンザ・そして致命的な天然痘が流行し、人口の90%が失われていたのです。

さらに運悪いことに、1858年になると先住民の住む地域で金がとれることが判明した結果「フレイザーゴールドラッシュ」が発生し、多くのヨーロッパ人が流れ込んできました。

この大規模な侵入は先住民との間に紛争(虐殺)を引き起こし、わずか50年の間にさらに先住民の7割が失われたと考えられています。

羊の毛を持つ犬が生き残れるかは、世話をする人が生き残れるかどうかにかかっています。

耐性のない疫病の流行、植民地主義の拡大、虐殺、先住民の強制移住が立て続けに起こり、犬たちの品質を管理する能力が低下していきました。

ですが、それでも、コーストセーリッシュの人々は、精神的文化の柱を捨てませんでした。

母系制を持つコーストセーリッシュの女性たちは、犬の世話を続け、機織りによってブランケットを作り続けたのです。

しかしそれは、ヨーロッパの人々にとって異質と認識されることになります。

羊の毛を持つ犬を飼育することも機織りも禁じられた

伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明!
伝説にある「羊の毛」を持つ犬が実在したと判明! / Credit:Canva . 川勝康弘

ヨーロッパ諸国の植民地政策は、初期の頃には虐殺や離散(砂漠などに追放して強制的に飢え死にさせる比較的人道的な方法と考えられていた)など、極めて直接的かつ血なまぐさい方法がとられていました。

しかし次第に政策は「より人道的」とされる方法に変化していき、先住民の同化政策が始まりました。

またキリスト教を信じることが非人道的な虐殺を防ぐにあたり重要な要因になったため、ヨーロッパの宣教師たちは先住民の保護のために(親切心から)熱心な布教を行いました。

しかし母系制を持つコーストセーリッシュの人々の文化は、父系的なキリスト教にとっては異質であり、同化を難しくしていました。

同化政策では一般的に、同化の障害になる文化がある場合、それを維持するための行動を法律で規制する方法が取られます。

コーストセーリッシュの地域では、羊の毛を持つ犬の世話をしたり、機織りの技能を持っていた先住民女性がターゲットになりました。

宣教師たちの活動と政府の政策により、母系社会を破壊する法律が次々と成立し、社会における女性の役割が禁じられ、女性の政治参加、女性の財産権、女性の移動の自由が禁止されました。

また女性たちに対しては、羊の毛を持つ犬の飼育と、機織りも禁じられました。

そして先祖代々受け継がれ1枚1枚に名前が付けられていたブランケットも、取り上げられ、まるで魔女裁判のように燃やされてしまいました。

20世紀になると同化はよりシステマチックになり、先住民の子供を全て親元から引き離し、ヨーロッパ的教育(キリスト教化)を行うための全寮制学校に入学させることが義務付けられました。

この話をしてくれた長老は、同化政策を逃れた数人のうちの1人でした。

長老は「今、私たちはやっと、『犬が私たちから強制的に連れ去られた』と話す機会を得られた」と述べています。

そのためこの研究では、羊の毛を持つ犬たちが絶滅した原因について、先住民族が安価な毛織物に飛びついたからという説を、極めて短絡的な間違った結論であると主張されています。

研究者たちは、精神的文化をささえてきた存在はより強固かつ複雑であると述べています。

現在、長老たちやアーティスト、芸術家など複数分野の人々が集まって、伝統的な技法の再現が試みられています。

羊の毛をもつ犬たちが実際はどんな姿だったのかまだわかりませんが、遺伝工学の技術が進めば、羊犬たちを復活させられる日が来るかもしれません。

参考文献

Researchers, Coast Salish People Analyze 160-Year-Old Indigenous Dog Pelt in the Smithsonian’s Collection
https://www.si.edu/newsdesk/releases/researchers-coast-salish-people-analyze-160-year-old-indigenous-dog-pelt

元論文

The history of Coast Salish “woolly dogs” revealed by ancient genomics and Indigenous Knowledge
https://www.science.org/doi/10.1126/science.adi6549

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。

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