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大沢たかおさん、村上春樹作品の朗読で振り返る20、30代。葛藤の連続から抜け出せた理由とは

  • 2023.12.11

俳優の大沢たかおさん(55)が、音声でコンテンツを配信するサービス「Amazonオーディブル(以下、Audible)」で、22日から配信される村上春樹さんのエッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』の朗読を担当します。収録を終えた大沢さんに、作品への想いや、そこから考えた自身の生き方についてお話を伺いました。

村上さんの違う一面を見た

――まずは原作を読んだ感想を教えてください。

大沢たかおさん(以下、大沢): 僕が初めてこの作品を読んだのは少し前のことなのですが、その時は村上さんのことをあまりよく存じ上げていなかったんです。だけど「すごい人」ということは世の常識として知っていたので、本書でご自分のことを割と赤裸々に、かつとてもすてきに書かれていたことに驚きました。すごく人間っぽくて「雲の上の天才」とはまた違う一面を見せてくれたような印象がありました。

――では、今回のオファーを聞いた時のお気持ちは?

大沢: まさか自分がこの本を読むことになるとはもちろん思っていなかったんですよ。「村上春樹さんの作品を朗読してもらえないか」というお話を最初に聞いた時、小説だと自分にはちょっと難しいかなと思ったんです。でも、朗読するのが『走ることについて語るときに僕の語ること』とうかがって「この作品だったら、もしかしたらできるかも」と思いました。

朝日新聞telling,(テリング)

――「この作品ならできるかも」と思われた理由はどんなところにあったのでしょうか。

大沢: 僕が好きなエッセイというジャンルだったこともありますが、等身大の人間という位置から、村上さんが色々なものを観察して表現しているなと感じました。そこにはとても美しい文学的表現や詩的表現もあり、年代を問わず楽しめる本に仕上げられているなと思ったんです。僕が何か取り繕って読むよりも、そのままの自分で読むことができる作品なのかなと思い、お受けしました。

句読点にも大きな意味がある

――私は原作を読みながら大沢さんの朗読を聞いてみたのですが、原作で読点が打っていないところでも半拍(はんぱく)あけて読まれていたり、括弧(かっこ)内は少し協調したり感情を込めたりしていましたよね。そういうちょっとした違いを見つけるのもおもしろかったです。

大沢: 句読点がないところの間をどうするかはすごく迷いました。僕個人としては、やっぱり原作に書かれた句読点の通りに読むべきだと思うんです。文学ってそこに意味があるから、変えてしまうと全然違ってしまう。だけど、読んでいると少しずつ自分の感情が入ってきてしまって、自分の等身大で読んでみようとしたら、句読点がないところにも間をあけたくなってしまうんですよね。なので、もしそこが違っていたら村上さんに申し訳ないなと思うんですけど、そこに関してはディレクションサイドが放任してくれたので、自分の気持ちで読ませてもらったところはあるかもしれないです。

――俳優としてドラマや映画に出演される時と、今回のような朗読では表現の仕方に違いはありましたか?

大沢: 芝居と朗読は全く違って、似て非なるものだと思います。僕はこの仕事(朗読)を専門にする人じゃないから朗読の面白さはまだ分からないけど、何日間もスタジオにこもって一人で話し続けるのは大変なことでした。でも、ゆっくり読む時間をとって村上さんの追体験をすることができたし、声に出して読むことでそこに込められた色々なメッセージを自分の記憶の中により残すことができたので、今回の朗読を担当させてもらってよかったなと思います。

朝日新聞telling,(テリング)

パリコレで経験した挫折

――村上さんは本作の中で「20代の10年間で僕の世界観は少なからぬ変化を遂げた」と書かれていましたが、大沢さんは20代の時と現在とで、お仕事に対する向き合い方や人生観に変化はありましたか?

大沢: 僕は大学時代からファッションモデルをやっていて、当時はそちらの仕事に重きを置いていました。でもその後、縁があって芝居をする環境になって、何となく続いたという感じなんですよ。20代はとにかく周りの環境が変化していたし、自分というものが定まっていなかったかもしれないです。

「変化」ということで言うと、村上さんに共感するところがあるんじゃないかなと勝手に思っています。僕はファッションにすごく愛着があったので、モデルの仕事も嫌いじゃなかった。だけどパリコレで挫折を経験して、なんとなく俳優をすることになったのは、村上さんが昔ジャズ喫茶を経営しながら、なんとなく小説を書いてみたことに似ているかもしれないです。村上さんが今回の作品で音楽のことを表現されているのもその時の名残があると思うので、ちょっと近いところがあるのかなと感じています。

――以前、ラジオ番組に出演された際、ご自身の人生を振り返って「10代、20代、30代は『葛藤』」と仰っていましたが、その葛藤とはどんなものだったのでしょうか?

大沢: 若い時って理想の自分と現実の自分のギャップに苦しむことがあるじゃないですか。ある程度粋がっていないとやっていられないこともあるし、変に達観して、世の中のことが分かってもつまらないでしょう。そういう中で、新しいアイディアや表現が生まれたり、新しい時代が出てきたりするので、20代や30代はそういう葛藤の連続だった気がします。

その葛藤に対してある種の諦めみたいなものが、年齢を重ねていくとだんだん入ってきて、意地とかプライドみたいなものが薄らいでいったんです。その「諦め」というのは決して悪い意味ではなく、自分の中の凝り固まっていた何かが少しずつ解けていったからだと思うんですよね。今も自分の中に葛藤がなくなったわけじゃないけど、以前はどこか肩ひじを張っていた力が、だんだん抜けてきたなと思います。

朝日新聞telling,(テリング)

つまらないことで見栄を張らなくなった

――肩の力が抜けてきたなと感じたのはどんな理由があると思いますか。

大沢: 若い時は自分の実力なんて分からないけど、壁にぶつかったり、いろんな目にあったりして、自分の大きさがだんだん見えてきますよね。そうすると、自分の身を固めていた余計なものが徐々にはがれ落ちて、つまらないことで見栄を張らなくなってくるし、そこに意味を感じなくなる。そもそも、自分はこれくらいの大きさなのに、若い時はそのサイズがわからないから自分のことを無限に大きく設定してしまう。そこでどうしても理想と現実にぶつかっちゃうんだけど、50歳越えてもまだ自分の大きさを勘違いしているという人は少ないと思うし、痛みがあって傷ついて、余計なものが削れていく中で、みんな「自分」を知っていくのだと思います。

■根津香菜子のプロフィール
ライター。雑誌編集部のアシスタントや新聞記事の編集・執筆を経て、フリーランスに。学生時代、入院中に読んだインタビュー記事に胸が震え、ライターを志す。幼いころから美味しそうな食べものの本を読んでは「これはどんな味がするんだろう?」と想像するのが好き。

■植田真紗美のプロフィール
出版社写真部、東京都広報課写真担当を経て独立。日本写真芸術専門学校講師。 第1回キヤノンフォトグラファーズセッション最優秀賞受賞 。第19回写真「1_WALL」ファイナリスト。 2013年より写真作品の発表場として写真誌『WOMB』を制作・発行。 2021年東京恵比寿にKoma galleryを共同設立。主な写真集に『海へ』(Trace)。

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