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死後も子どもにプレゼントが届くよう…純粋で危険な人生を送った三島由紀夫とは 〜文豪クズ男列伝〜【夫婦・子育ていまむかし Vol.18】

  • 2023.12.8

ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。tomekkoです。

クズ文豪シリーズへのコメント、ご感想いつもありがとうございます!

リクエストもよくいただくので毎月次は誰の人生と作品を紐解こうかとワクワクしながら書かせていただいております。

さて、このシリーズを始めた当初から書きたいけど書きづらいな〜どうしようかな〜と思っていた文豪さんがおりまして…。

ご存知三島由紀夫!!

美しい日本語の表現、耽美で雅で悲劇的。そしてどこか妖しい薫りが立ち込めるような作品性。

谷崎潤一郎とどっちが好きかと聞かれたら…悩みに悩んで決められないくらい好きなんです。

とはいえ人生をじっくり知ろうとしたことはなく、どうしても作品のテーマの強烈さと亡くなり方の壮絶さのため、ご本人もさぞかし家族を泣かせたクズ系譜であろうと(ひどい)勝手に思い込んでいました。

そんな三島由紀夫をついに書いてみよう、と調べ始めてすぐに、作品から勝手に抱いていた私のイメージは大間違いだったことに気づきました。

意外にも家族思いな一面が!

官僚を3代務める家柄で本人も幼少期から学業優秀。三島自身も一年間ではありますが大蔵省(現財務省)の役人だったこともあるんです。

ま、ここまでは文豪あるあるじゃないですか。

なんなら家柄と神童だったという事実はクズ文豪を生成する必須素材のような気がしてきます…。

でも三島は違うんです。

生涯を通してめっちゃくちゃ純粋で硬派。それ故に晩年は政治的思想に傾いていってしまったのではないかと思われます…。

他のクズ文豪と大きく違うな、と感じたのが子どもたちへの思いやり。

割腹自決という凄惨な最期を選んだ三島ですが、自分が亡くなった後にも毎年子どもたちにクリスマスプレゼントが届くように百貨店に先んじて手配をし、子ども向け雑誌の定期購読料も先々の分まで先払いしておいたそう。

家庭を顧みず酒や賭け事に溺れたり女にだらしなかったり…その挙げ句勝手に死んでしまう(なんなら女を巻き添えにする)ような文豪たちを見てきてのこのエピソード…ちょっと胸に来るものがありませんか?

自衛隊駐屯地で檄文を撒きクーデターを煽動する演説の後に切腹して自決するという激しい行動の裏で、家庭の小さな幸せを大切にする心の持ち主でもあったんですね。

現代の感覚でも「クズ」という枠に入らなそうな三島由紀夫をどんな切り口で紹介したら楽しめるかなぁ…と考えたのですが、今回は三島由紀夫の『審美眼』に注目してみたいと思います。

三島由紀夫 独特の美意識とは?

兎にも角にも、三島の特徴は独自の『美』をとことん追求していたこと。

それは自分のペンネームへのこだわりにも見られます。

16歳という若さで『花ざかりの森』で文壇デビューし、天才が現れたと絶賛された三島。

当時は本名を使っていましたが、若すぎることを案じて周囲からペンネームの使用を勧められました。

万葉仮名ふうに当て字の名前にすること、そして漢字の見た目から来る印象、並びの美しさ、柔らかさにまでこだわって“由紀夫“となった経緯には既にこの歳から言葉に、響きだけでなく字面の並びにも理想の美を求めて見ていたことがわかります。

そんな三島は、実は昭和を代表する名女優や俳優を見出した究極の審美眼を持っていました。

たぶん彼はあのまま生き続けていたら文豪としてだけでななく、プロデューサーとしての名声もほしいままにしていたんじゃないかな。

中でも有名な方を紹介してみましょう。

幼少期は祖母の影響で能や歌舞伎に触れ、その流れで古典文学をこよなく愛し、日本中世の御伽草子や能の筋書きをベースに、自身でも戯曲や創作歌舞伎を次々と発表し上演しました。

この時の役者の中で、三島が出会った超弩級の新人が若き日の坂東玉三郎さんです。

美輪明宏に「君は、大物になる」とつぶやいた

元々梨園出身でもなく歌舞伎で主役を張る家柄ではない14代守田勘弥の養子として育てられた少年を、三島由紀夫は自作の歌舞伎『椿説弓張月』でヒロインの白縫姫に大抜擢。

三島は若き日の玉三郎さんを

「薄翅蜻蛉(うすばかげろう)のよう」

と評し、これまた自作の『サド侯爵夫人』を

「将来君がやる作品だから持っていなさい」

と手渡したそう。現在の消えてしまいそうな儚い少年美を愛でつつ、将来凄みのある立女形に育つことも見越したその審美眼…恐れ入ります!!

もうひとり、三島由紀夫と親交のあった有名な方は、美輪明宏さんです。

銀座のゲイバーでアルバイトしていた16歳の頃から、三島だけでなく各界の著名人たちを虜にしていた美輪さん。『仮面の告白』が大ヒットし、周囲から先生先生とチヤホヤされていた三島に、当時アルバイトしていた美輪さんは指名されても媚びることがなかったそう。

類稀な美貌だけでなく、遊郭育ちもあってか常連の文豪たちのジョークにも洒脱な切り返しをする頭の良さで既に売れっ子だった美輪さんですが、フランス語で歌ったシャンソン『ばら色の人生』を聴いた三島がいたく感動し

「君は、大物になる」

とじっと見つめてつぶやいた、そのたった一言が千万の言葉よりも嬉しかったと後に美輪さんは語っています。

自決の前には、300本もの薔薇の花束を手に楽屋を訪れ、

「もう君の楽屋には来ないからね」

と言って、最前列でコンサートを聴いて去っていったそうです。その後…あの自決事件は起こるのです。

他にも岸田今日子さんや若尾文子さんのような往年の名女優も多く見出した三島ですが、あまりに美しい話ばかりなので、一つクズ繋がりのエピソードを入れておこうかな…。

太宰治に直接「嫌い」と言い切る!

そう、クズ文豪代表である太宰治先生!

当然っちゃ当然だけど、こういうタイプ苦手そうですよねー。

既に売れっ子作家だった一回り以上歳上の太宰の退廃的な生活態度を批判していました。(そりゃそうだ)

直接会いに行くことになり、酔って持論を展開する太宰に直接「嫌い」と言い切った三島も三島ですが、

「こうして会いに来てるんだから、やっぱり好きなんじゃないか」

と平然と返す太宰もいかにも太宰らしくていいですね(事実どうだったのかはわかりませんが…。)

でも本当は、この嫌悪感は同族嫌悪に近いものだったのではないか、と言われています。太宰の弱さにイラッとするのは、三島自身も元々は虚弱体質で男らしいへのコンプレックスも強かったようです。(三島は後年 鍛え上げて筋肉自慢の肉体を手に入れました!)

こうして見てくると三島由紀夫という人は、並外れた頭脳と鋭敏な感性を持つがゆえに異様に繊細で、言葉や表現に対しても人に対しても究極の美を追求し過ぎる…要するに極端で危険なタイプだったように思えます。(…だから天才なんですけどね)

作品もまた何を紹介しようか悩むほど名作揃いなんですが、悲劇的な愛や美を求めるお話が多いのでとっつきにくい方も多いかもしれません。

でも、三島は劇作家としても素晴らしいので本をあまり読まない方でも接しやすい古典をベースにした戯曲も多いんです。もし初めて三島作品に触れるなら珍しくコミカルでハッピーな創作歌舞伎『鰯売恋曳網』が軽めでおすすめですよ〜。

(tomekko)

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