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最愛の夫と死別。小池真理子が正直に、美しく、喪失をつづったエッセイ集

  • 2023.12.8
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「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」

2020年1月、作家の藤田宜永(ふじた・よしなが)さんが69歳で亡くなった。ヘビースモーカーだった藤田さん。2018年春、ステージ4の肺がんで、すぐに治療を始めなければ余命半年との診断を受け、そこから1年10ヵ月の闘病生活となった。

妻で作家の小池真理子さんのエッセイ集『月夜の森の梟(ふくろう)』(朝日新聞出版)は、藤田さんに病が見つかり、死別し、一人になって考えたことや感じたこと、回想したことをつづった一冊。収録された52篇のエッセイは、飾り気のない言葉でありながら、詩的で文学的で、一口で言って素晴らしい。

彼は今、静寂に満ちた宇宙を漂いながら、すべての苦痛から解放され、永遠の安息に身を委ねているのだと思う。それにしても、さびしい。ただ、ただ、さびしくて、言葉が見つからない。
(「夫・藤田宜永の死に寄せて」より)

「かたわれ」だった

小池さんと藤田さんは、互いに小説家になることを夢見て、ともに暮らし始めた。1990年に東京から軽井沢へ移住。小池さんは1996年に『恋』で、藤田さんは2001年に『愛の領分』で直木賞を受賞し、夫婦そろって直木賞作家となった。「ひとつ屋根の下に二人の作家がいる、という風変わりな生活を楽しんできた。」一方で、特有の苦労もあったようだ。

1996年、夫婦で直木賞同時候補という前代未聞の事態に遭遇したときのこと。小池さんは自身の作品が受賞したと聞き、「胸の奥に水色の淡い、哀しい煙のようなものがわきあがってきたことをはっきり覚えている。」と書いている。その5年後、藤田さんが受賞したときが「人生においてもっとも喜ばしい瞬間」だったとも。

2001年に夫婦で受けたインタビューでは、小池さんが先に直木賞を受賞して脚光を浴びるようになったとき、ともに暮らしているがゆえにその様子を目の当たりにしなければならない藤田さんに対し、「一時的に別居してもいいよ」と提案したこともあった、と話している。仲睦まじく、互いを尊重し、結びつきが深い。素敵な関係だと思った。

元気だったころ、派手な喧嘩を繰り返した。別れよう、と本気で口にしたことは数知れない。でも別れなかった。たぶん、互いに別れられなかったのだ。夫婦愛、相性の善し悪し、といったこととは無関係である。私たちは互いに互いの「かたわれ」だった。
(「かたわれ」より)

同じ経験をして、初めて

長く小説を書いてきて、小池さんは時折、不思議な経験をすることがあるそうだ。なんでも、自身が過去に書いた小説のワンシーンや物語の一部と、まったく同じことが現実に起こるのだという。

まだ藤田さんが元気だったころのこと。夫をがんで亡くし、子どもはおらず、夫と暮らした木立の奥の家で、猫と静かに暮らす還暦近い女性の物語を書いた。その数年後、主人公と同じ状況に身を置くことになり、「『言霊』とはよく言ったものだ。偶然、と言ってすませるにはあまりにも不可解である。」と不思議がる。

また、これは本当にそうだなと思ったのが、人の痛みの全部をわかりきることはできないということ。自分が未経験のことを深いところまで理解するのは、どうしたってむずかしい。最愛の夫と死別し、「言葉にならない気持ちを理解されたい」と願いながらも真の理解が得られないなか、小池さんは自身の反省も込めて、こう書いている。

人の心は何と傲慢なことか。同じ経験をして、初めて真に理解する。時にはそれが、何十年も後のことになったりする。時を隔ててやっと知ることになった感覚にうろたえながらも、先人たちが語った言葉が次々と思い出されてくる。長く生きた者同士、哀しみをはさんだ連帯が成立する瞬間である。
(「先人たち」より)

哀しみの音は、似通っていた

本書は、朝日新聞の連載(2020年6月から2021年6月)を書籍化したもの。連載時、多くの読者から共感のメールやファックス、手紙が届いたという。

亡き藤田さんをめぐる連載エッセイを書いてみませんか、との電話がかかってきたのは、2020年4月ごろのこと。まだそうしたものを書ける状態ではなかったが、小池さんは不思議と、「すべてが変わってしまった後の、心の風景をそのまま言葉に替えていきたくなった」。

そうして連載が始まった。読者からのメッセージを一つ残らず、繰り返し読んでは泣いたそうだ。

百人百様の死別のかたち、苦しみのかたちがある。ひとつとして、同じものはない。それなのに、心の空洞に吹き寄せてくる哀しみの風の音は、例外なく似通っていた。
(「連載を終えて」より)

大切な人との別れ。一人ひとり、そこに至る経緯や背景は違っても、喪失という体験そのものは共通している。本書を読んで、この気持ちは知っている、誰かに言うことではないけれども自分のなかにずっとある感情を分かち合えた、という気がした。

いつかまたそのときが来たら、必ず読み返すと思う。正直で、美しい言葉に胸を打たれた。苦しんで哀しんで、小池さんがそれでも書いた本書は、同じく苦しみと哀しみのさなかにいる人の心のよりどころになるに違いない。一人でも多く、この一冊に出合ってほしい。

■小池真理子さんプロフィール
こいけ・まりこ/1952年、東京生まれ。成蹊大学文学部卒業。78年、エッセイ集『知的悪女のすすめ』で作家デビュー、同書はベストセラーになり、一躍、時の人に。89年『妻の女友達』で日本推理作家協会賞、96年『恋』で直木賞、98年『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞。作品に『モンローが死んだ日』『異形のものたち』『死の島』『神よ憐れみたまえ』ほか多数。

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