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「あなたも子どもを産めばわかる」女性だらけの職場で部下に連日説教された私が100億円企業の副社長になるまで

  • 2023.11.30

職場でのコミュニケーションは難しいものだ。例えば、会社の部下が全員自分のことを嫌いだった場合に、上司はどのように工夫し、信頼回復に努めていけばいいのか。社員全員から「会社に行くことが楽しみじゃない」と告げられたランクアップの副社長・日高由紀子さんは「泣きそうになりました。社長の岩崎さんと私、もう、何も話せませんでした。こんなこと、あるの? って、信じられなくて……」と当時を振り返る――。

アンケートであかるみになった社員たちの本音

それは、あまりにも残酷な数字だった。マナラ ホットクレンジングゲルなどを展開する化粧品メーカー・ランクアップは今から遡ること9年前(2014年)、業績が好調なこともあり、働きがいのある会社を調査する「組織サーベイ」を受けた。「組織サーベイ」では、社員全員が会社や経営者に対するアンケートに答える。一般社員の本音が白日の下になる機会でもあった。

副社長の日高さん(47)は、苦笑いをしながら結果を語る。

「経営層は言うこととやることが一致していますか? の問いに対し、『いいえ』が94%、この会社の人達は仕事に行くことを楽しみにしていますか? という質問には、「いいえ」と答えた率が100%。泣きそうになりました。社長の岩崎さんと私、もう、何も話せませんでした。こんなこと、あるの? って、信じられなくて……」

岩崎裕美子さん(55)と日高さんの前に突きつけられた、紛れもない社員の本音。この結果は何年も話題にできなかったと、日高さんは振り返る。それほどの衝撃だった。

副社長 日高由紀子さん/大学卒業後入社したダイレクトマーケティング専門の広告代理店で、現在のランクアップ代表取締役の岩崎裕美子氏と出会い、2005年ランクアップを共同で設立。2020年に取締役副社長に就任。
副社長 日高由紀子さん/大学卒業後入社したダイレクトマーケティング専門の広告代理店で、現在のランクアップ代表取締役の岩崎裕美子氏と出会い、2005年ランクアップを一緒に設立。2020年に取締役副社長に就任。
経営層だけが気づかずにいた「暗黒時代」

ランクアップは2005年、岩崎さんと日高さんが2人で起業。翌年に販売を開始した「マナラ化粧品」が多くの女性の支持を受け、売り上げは右肩上がりに。労働環境の整備にも力を入れ、残業なしで18時には終業、福利厚生を充実させ、子育て支援制度を創設、リッツカールトンなどの高級ホテルで食事会を開くなど、社員が働きやすい環境を作ってきた自負があった。

「なのに、この結果は、何?って。でも、まだこの時は、自分達のせいだとは思っていなかった。一体、何が原因なのかと探っていました」

前職の広告代理店で上司と部下の関係だった2人は「自分達が理想とするものを作りたい」とランクアップを設立。男性社会に苦しんだ経験から、「女性が一生、働き続けることができる会社にしたい」という、強い思いがあった。

ランクアップは年々業績を伸ばし、規模を拡大。3年目には岩崎さんが出産したこともあり、子育てをしながら働ける環境を整え、リフレッシュ休暇や時短勤務なども導入した。しかし、売り上げが順調であるにもかかわらず、なぜか会社の雰囲気は暗くなっていくばかり。体調を崩し、休職する社員が複数出たこともあり、何か打つ手はないかと模索した結果、「企業理念」と「行動規範」を作り、社員に明示した。2008年、4期目のことだ。

「研修とか朝礼とか、なるべく明るく元気よくやるんですけど、やればやるほど、みんなが暗くなっていく。考えた結果、意志の疎通がうまくいってないからかと気づいて、行動指針をつくり、私たちの目指すものを伝えていったんですけど……」

この時代は、後に社員たちから「暗黒時代」と呼ばれるようになる。

「日高さんも早く、子どもを作って」

「私たちの悪い癖が出ていたんです。2人とも思いが強くて、やりたいと思ったらすぐに行動にうつす。2人ではすべてのことを相談しながら何度も揉んで、結論に至っているから、何の問題も感じていませんでした。でも社員たちからすれば、全てが唐突だったんです。経緯を共有していないから、日々の仕事に急な行動指針とか新しい仕事がぼんと乗っかってくる。だから、嫌になるわけです」

社員にすれば、全てがトップダウン。経営者と社員の間に、決定的な溝があった。ある日、子どもの病気で有休を使い果たした社員が、子どもとUSJに行きたいと休暇を申し出たことがあった。

「それは、なくない?」

何気なく言ったつもりだった。しかし……。

「日高さんにも早く、子どもを作ってほしいです。子どもがいたら、私の気持ちがわかるはずです!」

いつもの自分だったら、欠勤で遊びに行くなんて非常識だ!と一蹴できたはずなのに。私、作りたいんだけど、できないんだよな。

何も言い返すことができず、日高さんは打ちひしがれた。

会社の暗黒時代は、あなたのせい

会社の雰囲気をよくする打開策はないかと、情報を集めつづけていた2人。「ワクワク冒険島」という研修が良いと聞き、社員全員に受けさせることにした。2泊3日で行うグループワークで、自身の強みや弱みを曝け出し、心を一つにしないとクリアできないような課題がつづくハードな研修だ。自他への理解を深め、最終日には、「会社のためにこのように貢献します」という宣言をする流れだと聞いていた

しかし、最終日に研修会社の講師から社長の岩崎さんにかかってきた電話は予想外のものだった。「社員たちが全員泣いています。今すぐ来てください」。

岩崎さんが会場につくと、社員たちが皆泣いていた。「私たちは岩崎さんと日高さんに全く認められていないから、何をやったら貢献できるか、わかりません」と。

「岩崎さんはみんなに申し訳ないと謝って、私が変わりますからと言ったようでした。その場で岩崎さんとみんなは一緒に号泣したと聞いています。……その後、社員の矛先が私に向いたんです」

内面を曝け出すグループワークの効果なのか、それから日高さんはいろんな社員に呼び出されるようになった。

「日高さんにとって大事なのは、目標を達成するための最短ルート。私たち社員は、その道に落ちている石ころや木にすぎない。私たちになんて、興味がないんですよね?」
「今のままだったら、誰も日高さんについて行かなくなりますよ」
「会社の暗黒時代は、あなたのせいです」

全ての言葉が、心をグサグサと突き刺す。ただ、謝罪の場を経験した岩崎さんから言われていたのは、「何を言われても、絶対に反論せずに全部聞こう」ということ。その通りだと思い、2時間でも3時間でも話を聞いた。

「会社を辞めてもいい?」

ただどうしても耐えられずに一度だけ、家で弱音を吐いたことがある。

「岩崎さんについて行ったおかげで取締役になれて、日高さん、ラッキーでしたね」
「岩崎さんは、猪突猛進でいい。でもあなたはこっち、社員側に来ないと」

この言葉を言われた夜、初めて夫に泣きながら、会社を辞めてもいいかと弱音を吐いた。これまで命をかけてやってきたことが全否定され、自分はいないほうがいいと宣告された気がした。今までのことは何だったんだろうと、途方もない虚無感にすっぽりと包まれた。

一方、ここで、はっきり思ったことがある。なぜ、このようなどん底の状態に落ちてしまったのか、日高さんは厳然とした事実に気づいた。

「これ、やっぱり、私のせいなんだなって。一人から言われたのなら、その人が悪いと私は思っていたはず。でも、みんなに言われたから、私のせいでしかないんです。だから、認めるしかなかった。そう気づいたことで、逆にラクになりました」

人はそもそも、自分に非があると認めることは難しい。誰かのせいにして、ラクになりたいものだと思う。しかし、日高さんは自分の非をきっちりと認め、それを糧にした。

「岩崎さんもまた、自分のせいだと思っていて、変わらなきゃと。一緒に立ち直れる人がいたのは、大きかったですね」

「提案を聞く」だけでは駄目だった理由

本当に変わらないといけない。そのために2人は「私たち、なんで、この会社をやろうと思ったんだろう」と、原点に立ち返ることにした。

「いくつかキーワードを書き出して、最後に行き着いた言葉が『挑戦』でした。私たち、挑戦がしたくて、この会社を始めたんだよね、と。だから、いろんなことをやっていきたい。このことを社員にはっきりと言いました。『私たちは挑戦を繰り返す会社だし、安定的に働きたい人には向かないよ、ごめんね。今まで口うるさく、やりたいことを止めてばかりでごめんね。お客さまのためになる挑戦だったら、みんなにも挑戦してほしい』と」

どうしても挑戦をやり続けたいと2人は社員全員に宣言し、そしてそれをずっと言い続けた。

「これまでも提案は、聞いてはきました。でも、『こっちの方がいいんじゃない?』って、こちらの言いように書き換えていたんです。それを、『やってみたら』というように徹底しました」

ただ、そのうち弊害にぶち当たった。なんでも提案して!と社員に伝え続けたら「あれもこれもやりたい」とジャッジに困るようなことが続く。

「美容の会社だから美容院代を出してくださいとか、クリエイティブな仕事のために美術館代をとか、週休3日にして欲しいなど。これは何か、軸を示さないといけないと思い、初めて出したキーワードが『誠実』でした。それは結果を出すために、みんなで頑張るという意味の「誠実」です」

「挑戦」という価値観だけだと、全てを認めなければならなくなる。そこで誠実を土台に、「挑戦」と「明るく元気」という人間性を社の基本に据えたのだ。

この時期に新卒採用に踏み切ったことも、会社の風土をいい方向に切り替えていってくれた。

もう部下の「伴走」はしない

いつのまにか、「暗黒時代」は過去のものとなっていた。創業10年で100億企業となり、社員は今や、100名弱。男性用化粧品も手がけ、男性の社員も増えている。

「私たちが無理やりみんなを引っ張っていた時よりも、手放して、みんなにお願いするようになってからの方があきらかに業績は伸びています。任せて、その結果を見たら、みんなの方がすごいって心の底から思ったんです」

今は「伴走」ではなく、「見守り」がテーマだ。「伴走」と言うと、長い首輪をつけて引っ張ろうとしてしまう自分がいることを十分に知っているからだ。

ランクアップは商品開発の際に、市場調査はしないと決めている。「たった一人の悩みを解決するというポリシーで、製品を作るんです。同じ悩みの人は必ずいる。製品の全てに、いずれかの悩みを解決するエピソードがあります」。写真の着圧タイツは日高さんの悩みから生まれた。
ランクアップは商品開発の際に、市場調査はしないと決めている。「たった一人の悩みを解決するというポリシーで、製品を作るんです。同じように悩んでいる人は必ずいる。製品の全てに、誰かの悩みを解決するエピソードがあります」。写真の着圧タイツは日高さんの悩みから生まれた。

「私にとって、暗黒時代で得た経験は人生の糧です。私に勇気をもって厳しい言葉をぶつけてくれた社員たちには、今でも心から感謝しています。あの気づきと反省がなかったら、今の幸せは味わえなかった。みんなの変化がすごく楽しいし、自分が今、この仕事を通し、楽しい人生を歩んでいることが、すごく幸せだなって思います。ただ、あの経験をもう一度する? と聞かれたら、絶対に断りますけど(笑)」

春風のような柔らかな笑顔は、揺るがない確信に満ちていた。

黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。

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