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『本好きの下剋上』マインがお手本にした印刷機に会いに行く!【マンガでひらく歴史の扉 13前編】

  • 2023.11.29
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「普段は夜10時半に寝ないとダメな体質なんですが、これを読んでいる間は夜ふかししちゃいました。一気読みでした」

アジア最大級の東洋学研究図書館・東洋文庫のマンガ大好き学芸員、篠木由喜さんがそう話す作品とは、大人気の本づくりファンタジー『本好きの下剋上』(TOブックス)。原作は香月美夜さんで、Webサイト「小説家になろう」の投稿から始まり、マンガ化・アニメ化もされている。

とにかく本が大好きな22歳の麗乃(うらの)が転生したのは、本が一部にしか普及しておらず、とても貴重な世界。麗乃は5歳の少女・マインとして、周りの人たちを巻き込みながら、本に囲まれる生活を実現するため、誰もが手に取れる本をゼロから作っていく......というストーリーだ。

原作は第5部まであり、マンガ版は現在、第一~四部がそれぞれ同時進行で制作されている。第一部だけが完結していて、第二、三、四部はまだ完結していない(2023年11月28日時点)。篠木さんは先にマンガを読んで、空白になっている箇所の展開が気になり、小説の書籍版を大人買いしたそうだ。

マインの世界には羊皮紙だけがあって植物紙がないので、大量生産できる紙作りの研究から始めなければならない。さらに、植物紙に合うインクを開発し、さまざまな印刷方法を試して活版印刷機を作る......と、子どもとは思えない(中身は22歳)行動力で、本作りにまい進する。

読んでいると、本がどんどん形になっていく様子にわくわくする一方で、印刷機の仕組みや細かい道具など、小説とマンガだけだとわかりづらい部分もある。そこで......。

篠木さん:印刷博物館に行って確かめたい!

ということで今回の「マンガでひらく歴史の扉」は、東洋文庫を飛び出して、東京都文京区にある印刷博物館へお邪魔することに。

最古の印刷機にワクワク

この日、展示を案内してくれたのは、印刷博物館学芸員の石橋圭一さんだ。

展示エリアに入るとすぐに、16世紀から続くプランタン印刷工房で使われていた、現存する世界最古の活版印刷機のレプリカが出迎えてくれる。実物はベルギーのプランタン=モレトゥス印刷博物館に所蔵されている。

実は、この日篠木さんが持ってきたトートバッグには、プランタンのロゴマーク・黄金のコンパスが! 笑顔でパシャリ。

篠木さん:東洋文庫ミュージアムでの展示の関連で、ちょうどプランタンについて勉強したばかりなんです。プランタン=モレトゥス印刷博物館は今最も行ってみたい場所の一つですね。

プランタンという名前は、『本好きの下剋上』ではマインの世話をしてくれる商人・ベンノの商会名として登場する。プランタンは政治的な動乱の中を器用に切り抜け、事業を成功させた人物だそう。「まさに商売上手なベンノさんにぴったりですね」と篠木さん。

印刷機の使い方はこうだ。一文字一文字がハンコ状になったもの=活字を組み合わせた組版を、台に置いてインクを塗る。紙をセットして上からかぶせ、レバーを回してプレスして印刷する。

ヨーロッパで最初に活版印刷を始めたのは、15世紀ドイツのヨハネス・グーテンベルク。しかし彼の印刷機は残念ながら残っていない。ただ、グーテンベルク時代は木のネジ、プランタン時代は金属のネジを使っていたという細かな違いはあるものの、印刷機の形や仕組みはほとんど同じだそうだ。

篠木さん:『本好きの下剋上』では子どもたちが活躍するので、弱い力でも作業しやすいように印刷機が改良されていきました。この印刷機はここからどう変わるんでしょう?

石橋さん:次に大きく変わるのは、18世紀の産業革命です。印刷機の素材が木ではなく鉄になります。効率的に力を加えられるようになり、印刷機自体も量産できるようになります。ですが、やっぱり版の形は平らなままです。19世紀に蒸気による動力が取り入れられ、筒状の版を回転させて印刷する輪転機が登場するなど、大きく変わりました。

篠木さん:何百年もずっと変わらなかった技術を、マインちゃんはたった数年間で完成させて普及させたんですね。わーお。

グーテンベルクは残念な人?

常設展示室までの壁には、印刷の歴史の展示が。マインも最初に試作した粘土板や木簡など、紀元前のメディアから、現代のデジタル印刷物までを一気見できる。

活版印刷技術は、実は11世紀までに中国が発明していた。しかし西洋の言語と異なり文字の数が多すぎて活字の量産に向かず、広がらなかった。時代が下って、15世紀にグーテンベルクが活版印刷を開始。こちらの壁には、グーテンベルクが印刷したとされる聖書のレプリカも展示されている。

篠木さん:マインちゃんも、最初は聖典の印刷から始めています。現実と物語がリンクしていますね~。

石橋さん:この聖書の印刷箇所は黒い部分のみで、他の色は手彩色ですが、最初期の印刷物で、多色刷りをおこなったものもあるんですよ。

篠木さん:最初の印刷機で多色刷りをやっていたんですか!?

石橋さん:そうなんですよ。冒頭や文末の数行や、装飾文字を多色刷りしたものがあります。数は少ないんですが。

篠木さん:東洋文庫が所蔵しているインキュナブラ(15世紀の印刷物)では、1485年『東方見聞録』があるんですが、朱色は使われています。あれも印刷によるものだったのかな?

『本好きの下剋上』では、印刷技術に関わった職人にマインが「グーテンベルク」というチーム名をつけた。マインは最高の名誉だという思いで名づけていたが、意外な事実が......。

石橋さん:グーテンベルクの印刷機が最初かどうかは長い間議論されていたんですが、借金の裁判記録から最初だとわかったんですよ。彼は発明にかけたお金を返せなくなって、印刷機一式を没収されてしまっています。事業を大きくする前に退場せざるを得なかったんです。

篠木さん:えええ! マインちゃん、あんなに楽しそうに名づけてたのに......。

石橋さん:グーテンベルクは発明家・技術者としてはすぐれていたけれど、経営者としては問題があったんでしょうね......。

篠木さん:マインちゃんも、資本を得るまでは印刷の失敗を繰り返していました。やっぱりお金は大事ですね。

家康もチャレンジした活版印刷

活版印刷技術が日本に伝えられたのは、グーテンベルクの発明から約140年後の1590年だ。天正遣欧使節が技術一式を持ち帰り、ローマ字や漢字・仮名で「キリシタン版」の印刷を開始した。

キリシタン版は禁教令で活字が失われてしまい、現存する印刷物も数少ない。印刷博物館では『どちりいな・きりしたん』をデジタルで展示しており、東洋文庫には『ドチリーナ・キリシタン』を含む3点のキリシタン版が所蔵されている。

さらに、博物館を訪れた10月下旬には、大河ドラマ『どうする家康』に関連して、徳川家康による2種類の活版印刷事業の印刷物が展示されていた(現在は終了)。木活字の「伏見版」と、銅活字の「駿河版」だ。

日本ならではの印刷物、「嵯峨本」も展示されている。木活字による印刷物で、繋がった数文字を一つの活字にしているので汎用性は低い。日本語の書体をそのまま再現していて、美術品としての価値が高い。

東洋文庫ミュージアムでも、現在の「東南アジア」展の会期中(2024年1月14日まで)、嵯峨本の『光悦謡本』が展示されている。

このような活版印刷がありつつも、活字の量産に向かない日本や中国では、1ページ分をそのまま彫って1枚の版にする木版印刷が長らく主流だった。マインはヨーロッパ風の金属活字を目指していたが、もし東洋の印刷史を手本にしていたら、また違ったストーリーになっていたかもしれない。

印刷博物館見学ツアー前編はここまで。後編では、いよいよ博物館の目玉・印刷工房で、活版印刷を体験する。

〈印刷博物館〉
東京都文京区水道にある、印刷に関する博物館。2000年に凸版印刷が設立。印刷が人々の生活や文化に果たした役割を、主に展示を通じて広く公開している。

〈東洋文庫〉
1924年に三菱第3代当主岩崎久彌氏が設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館。国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊を収蔵している。専任研究員は約120名(職員含む)で、歴史・文化研究および資料研究をおこなっている。

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