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【朝鮮王朝を揺るがせた究極の5人】国王・世子を毒殺した疑いがある5人の王族は?

  • 2023.11.18
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朝鮮王朝は、王位継承のプロセスの中で陰謀がとても多かったので、その渦中で毒殺事件といった恐ろしいこともよく起こっていた。特に、毒殺に関与した可能性が高いとウワサされた王族を5人選んでみよう。本当にこの人たちは、王位をめぐる争いの中で毒殺という非道なことをやったのだろうか。

世祖[1417~1468年]/7代王

4代王・世宗(セジョン)の二男であった世祖(セジョ)の物語は、歴史の深い霧に包まれている。彼の兄は世宗の長男である文宗(ムンジョン)で、1450年に王位に就いたのだが、2年後に突然の死によりその治世は終わりを告げた。そのとき、世祖による毒殺の疑いが濃かった。

結局、文宗の長男が6代王・端宗(タンジョン)として即位。しかし、その王位は世祖による脅迫と奪取により短命に終わる。世祖はその後、端宗を王位に復帰させようとする動きを徹底的に封じ、計画者たちを根こそぎ惨殺するに至った。

文定王后[1501~1565年]/11代王・中宗の三番目の正妻

文定(ムンジョン)王后は我が子を王位に就かせるために、中宗(チュンジョン)の先妻の息子である12代王・仁宗(インジョン)の暗殺を画策した。それゆえ、仁宗が即位わずか8カ月で亡くなった際には、文定王后が毒殺したのではないかという噂が流れた。

その後、彼女の息子が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位すると、彼女は代理で政治を仕切り、権力を独占してひどい悪政を行なった。文定王后は、数多い王妃の中で極端な悪女であった。

時代劇『イ・サン』でキム・ヨジンが演じた貞純王后

仁祖[1595~1649年]/16代王

即位前は綾陽君(ヌンヤングン)と呼ばれており、1623年に光海君(クァンヘグン)を追放して念願の国王になった。しかし、反乱などの苦しい時期を経験し、1637年には清に降伏して、清の皇帝の前で頭を地面につけて謝罪するという屈辱を味わった。

さらに、1645年には、清の文明を称賛した息子の昭顕世子(ソヒョンセジャ)を毒殺したと疑われている。国王になってからは本当に失政ばかりしていた。

英祖[1694~1776年]/21代王

1720年に即位した異母兄の景宗(キョンジョン)は、わずか4年で亡くなった。その時、英祖(ヨンジョ)が毒殺したという疑惑が宮中に広まった。なぜなら、御医が止めたにもかかわらず、英祖は食べ合わせが悪い料理を景宗に勧めたからである。英祖の治世は、世継ぎである思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させたという悲劇により、とても暗い影を落としている。

貞純王后[1745~1805年]/英祖の二番目の正妻

夫の英祖より51歳年下だった貞純(チョンスン)王后は、英祖の息子である思悼世子と仲が悪かった。そこで、彼女は思悼世子を失脚させるために陰で動いたとされており、22代王・正祖(チョンジョ)の時代になっても謹慎せざるをえなかった。

また、1800年に正祖が亡くなった際、貞純王后は毒殺説の首謀者と見なされた。その後、正祖の息子だった23代王・純祖(スンジョ)の後見人となり、キリスト教徒の虐殺事件を引き起こしている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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