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吉川めいさんが考える断捨離の効能とは?

  • 2023.11.16

夫を亡くした年、もともと物が少なかった私のミニマリズムにさらなる火がつきました。それもそのはず。一生一緒に過ごしたいと思っていた人を失い、180度生活が一変したら、私を取り囲む物や暮らしのスペースが変わらず同じであることに多大な違和感を感じたのです。最愛の人との暮らしを手放さなければいけなかったように、私は、ただ何もかも手放したくなりました。

グリーフ(喪失体験による感情を外に出せない状態の日々)は、内に篭ったまま外向きのアクションを起こさずに過ごした時期が長かったのですが、そんな中でも「片付け」は私にとって心地良く感じられた唯一のアクションでした。気が向いたら家中を見渡し、処分できるものを探すよう目を光らせました。あまり着ない服、使われていないスピーカーセット。成長した子どものおもちゃや使いこなせていないキッチン用具など。大小、新しい・古いを問わず、心の内を表すかのように、私は身の周りの所有物をどんどん減らし、最小限にしていきました。それは、何か原始的な原動力で動いていたかのように、考えてしたというよりは動物的に、本能的に空間を変え、スペースを開けようとしていたように思います。それまでの生活にお別れを告げ、それから先の暮らしが一体どのように拓けていくかは分からなかったけど、何も分からない中でもじわじわと増えていく余白の空間を心に正しく感じたことをよく覚えています。

そこまで大きな喪失感は、多くの人が若くして体験することではないけれど、暮らしの中で心のモヤモヤが蓄積していたり、人生に停滞感を感じている方にも、私は、やはり外側からの変化のきっかけを待たずに、内面から手を着けて断捨離を始めることを心いっぱいにお勧めしたいです。「断捨離」と言うと物を捨てることにフォーカスしがちですが、私が思う断捨離と片付けの醍醐味は「スペースを作ること」だと考えます。なぜなら、新しい何かが始まる前に、それが入ってこられるだけの余白が必要だと考えるからです。心を扱い、心のスペースを作ることが難しいと感じる中、まずは家の中のアイテムを徹底的に整理することは、ひいては心のスペースを作ることにつながると私は体験的に感じています。

その秋、私の片付けはエスカレートし、ついにこんまり流片付けコンサルタントを雇いました。お金をかけ、プロの力を借りてまで片づけを進めたのはさすがに初めて。でも、親友でありモデルの長谷川潤ちゃんが以前、近藤麻理恵さんに自宅を片付けてもらった体験を絶賛していたことが記憶にあり、抵抗なく「今が私のタイミングだ」と思えました。

生きることって、失恋や失業、大切な人を失う喪失感など、大きな変化がなくても日々きめ細やかにバランスを取りながらやっていることがたくさんあると思います。言うべきこと、言わないべきこと。買うもの、買わないもの。食べるもの、食べないもの。やめること、やめないこと。会う人、会わない人。考えないまま、感覚で決めている半無意識的なものもたくさんあるけれど、この時期の私は、彼を失った多大な変化の中で一つひとつの判断にとても敏感になっていました。すべてが変わってしまった私と子ども達の暮らしの中で、少しでも安定性を保つために変えないことを意識的に選んだこと。例えば、3LDKはもう必要なかったけれど、すぐに引っ越さなかったことはその一例です。でも、一人の大きな存在がいなくなった中で、クローゼットの中や家具、そして部屋の使い方が変わらず同じままでは何かがおかしい、と感じました。少しずつでしたが、残された自分の人生を生きるために「手放したい物・事」「手放すべき物・事」そして逆に「キープしたい物・事」を丁寧にチューニングしようとしていたのでしょう。変化と安定性。その合間を歩み進む中で私なりのバランスを見出すことは、私にとってアートでした。別に正解や不正解がある訳ではないし、誰かにつっこまれる訳でもない。あの時は動物的な直感に従い進めたことでしたが、このプロセスこそが私が「新しい自分」へと進んでいくために最も必要な心のプロセスだったように思います。

片付けの先生は、片付けを最善に活かすためにどのように進めたらいいのか、体系的な知恵(メソッド)を提供してくれました。最初にビジョンを描くことで「目指したい方向」を明確にし、カテゴリーに分けて順序良く物の整理整頓を進めていく。先生は私にすべてのアイテムに触れるように指示し、それに触れた時の私の雰囲気や顔色を読み解くように、それが私にとって「ときめく」ものなのか否か。私の家にあるべき物なのかどうかを見極めていく作業を教えてくれました。

私の場合、もともと物が少なかったことと、決断力に欠けるタイプではないので、作業はかなり速かったです。迷うようなアイテムに出くわすと、先生は私の手早い動きを優しく止め、そのアイテムを横に置くように指示しました。そこにできたのは、「迷いの山」。ひと通りすべてのアイテムの選別が終わった後に、少し時間を置いてからもう一度、丁寧に迷い系アイテムに触れ、個人的なときめき度数を確かめました。衣類であれば、生地のステッチに沿って手のひらを走らせました。本ならば、茶碗を持ち上げるようにそっと両手で抱えました。お皿やキッチン器具でも同じことをしました。手に持って、その物の存在が私の心にとって喜びをもたらすかどうか。気分を上げてくれるかどうかを徹底的な基準にしたのです。

そこには、「何かを折り畳む場合、コンパクトなほど良い」とか「ドレスは長いものから短いもの順で保管するのが正しい」などといった制約はありませんでした。基本的なハウツーはありましたが、キープすることを選ぶことも、保管場所や方法を検討するのも、要はいつも「どうやったら私にとって最高の喜びをもたらすか」ということでした。

先の見えない暗闇の中で手探りで人生を進めようとしていた私にとって、こうやってただただ自分の「好き」を基準にすること。そして、「好き」を基準にしていいんだよ、といった許可を出してくれる先生が傍らにいてくれたことはとても心強いことでした。

ある本をキープすべきかどうか迷った時、先生は、私がその本を手に持った時、表情が輝いていなかったことを指摘しました。「さっきの本を手にとっていた時ほど、お顔が明るくなりませんね」と呟いた先生の言葉が真実だったからこそ、ハッとして、私はそっとさようならの決断を進めたのでした。

こうやって先生は、私のときめきのチアリーダーであるかのように、常に私の本心の喜びを奨励してくれました。私自身が自分の“わがまま”に即許可を出せずに躊躇した瞬間でも、彼女はいつも全許可を与え、私にとって何が正しいのかは私にしか分からないといった基本ルールを元に、徹底して本音レベルで自分の心を聴き取り、感じ、それに従うことを支えてくれました。それは、私自身が「自分は大好きなものばかりに囲まれて暮らすべきだ」「それ以下の暮らしはもうしない」と意思表明し、自分がそれほどまでときめく暮らしに値する存在だということを決意するような作業でした。

進めていくうちに私は「これってヨガみたい!」と感じました。私がヨガを指導する際も生徒各自に自分の呼吸を聴いて、体の感覚を受け取り、信じるように支える。指導者として私が答えを持っているのではなく、答えはいつも本人の中にあるからです。心の健康も、身体の健康も、自分にとってしっくりくる感覚は、自分にしか分からない。ただ私は、いつも心と身体の健康のビジョンを明確に持つこと。そして、順序良いポーズのシークエンスや呼吸法を用いて身体と神経システムにシステマチックに動かし、徹底的にクリアにしていくことを何年もしてきたからです。こんまりメソッドでは、同じような気の循環と体内にスペースを作ることを、片付けメソッドを通して家中で行っているように感じられました。

そんなことを思いながら片付けを進めていたら、私が出演・プロデュースしたヨガのDVDが出てきました。保存用であっても複数枚は要らないから処分しようとしたのですが、先生が興味深く見てくれていたので「片付けの先生に言うのもおこがましいかもしれませんが……よかったらどうぞ」と渡してみたら、先生は喜んでDVDを持って帰ってくださいました。そうしたらなんと! その後、先生は私が紹介しているヨガのメソッドを取り入れ、長期的なダイエットに成功したとか! 内側と外側でスペシャルな体験を交換できたように、私たちにとって素晴らしい思い出になりました。

ヨガと呼吸法が心と身体にスペースを作り、気の巡りの解放を作るように、良い片づけセッションは家に新しいエネルギーが流れ込むためのスペースを作りました。私は、夫なしの暮らしを考えたくもなかったし、どう考え始めていいかも分からない未知の中にいたけれど。何も分からなくても。むしろ、何も分からない時こそ、まずはクリアなスペースを作ることから大きな一歩を踏み出すことができました。

ヨガや瞑想、そしてジャーナリングといった心のお掃除で度々気づいてきたことが、片付けでも同じことが言えました。

古くなったモノを片付けると、明るく、オープンなスペースを作ることとなる。余白のスペースができると、真っ先に入ってくるものが二つあると、私は自分の練習や活動を通して何度も見てきています。

一つ目は、光。そして二つ目は、風です。私は、この光を、新たな気づきをもたらす意識の光。そして、風を、ポジティブな変化をもたらすインスピレーションの風であるように感じ、受け取っています。

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