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小説でもエッセイでもない、ジュンパ・ラヒリの最新作。

  • 2023.11.13

何層もの仕掛けにくるまれた、多言語作家の自伝的作品。

『思い出すこと』

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ジュンパ・ラヒリ著中嶋浩郎訳新潮社刊¥2,200

ジュンパ・ラヒリこそ、世界文学の最前線にいる作家なのだろう。ベンガル人の父母のもとベンガル語を母語として育つが、「継母語」だと評する英語を第一言語とし、英語で小説を書きだしたと思ったら、瞬く間に世界的名声をものにした。

ところが、彼女が強烈に惹かれ、切実に必要とする第三の言語が現れる。二十代のローマ旅行で深く魅了されたイタリア語だ。英語圏で最良のこの小説家はイタリアに住みつき、今度はイタリア語で書き始めたのだった。

政治や経済的な理由で亡命をはたす作家がいる一方、言語そのものが書き手の人生を変えることがある。ラヒリはそういう作家のひとりだ。外国語とかかわる者は永遠の客人(まれびと)であり、彼女はそこに自由を見いだしたのだろう。

イタリア語で何作目かになる『思い出すこと』は、小説でもエッセイでもない不思議な一冊。語り手の「わたし」が引っ越したローマの家で、前の住人が残していったノートが机の引きだしから見つかる。表紙に≪ネリーナ≫と書かれたそれには、たくさんの詩が綴られていた。

主人公はこれをイタリアの詩の専門家に託し、その学者が編纂をし、巻末に注釈をつけ、「わたし」が「はじめに」という序文などを書いたのが、この『思い出すこと』という本になったというわけだ。仕掛けに満ち満ちている。

《ネリーナ》の詩に出てくる夫や二人の子どもは、ラヒリの家族と同じ名前だし、母親もベンガル語ができるらしい。これは何層もの仕掛けにくるまれたラヒリの自伝的作品なのだろう。

「マテーラの岩窟教会の下で選んだ/ノオルの黒い指輪が/土曜の朝、ピムリコの市場で/指から抜け落ちる」(「失くしもの」)

三つの言語の間にたゆたう孤独と解放。読む者にも茨の棘のような痛みと、朝露のように澄んだ耀きをもたらしてくれる。

文:鴻巣友季子 / 翻訳家、文芸評論家『嵐が丘』『風と共に去りぬ』(ともに新潮文庫)の新訳ほか、マーガレット・アトウッド著『誓願』(ハヤカワepi文庫)など、多くの翻訳を手がける。また『文学は予言する』(新潮選書)などの著書も多数。

*「フィガロジャポン」2023年12月号より抜粋

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