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無意識に「すみません」を連発していないか…名門女子校校長が「まわりを頼る」ときに必ずかけている言葉

  • 2023.11.8
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「人に迷惑をかけてはいけない」といわれて育った私たちは困ったときも周囲に助けを求めにくい。名門女子校、ノートルダム清心中・高等学校の現校長の神垣しおりさんは「ひとりで手に負えないとき、苦しいときに限らず、もっと気軽に『助けてください』といっていくと、誰もが生きやすい環境に変わりはじめるように思う」という――。

※本稿は、神垣しおり『逃げられる人になりなさい』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

「助けてください」がいえると生きやすくなる

困ったとき、素直に「助けてください」という。それができるだけで、生きることがずいぶん楽になります。

しかし私たちは、「人に迷惑をかけてはいけない」といわれて育ちました。ですから実際には、気軽に助けを求めにくいのが実情かもしれません。

私も「助けてください」となかなかいえませんでしたし、いってはいけないと思っていました。しかし、子育てではそうもいってはいられませんでした。

子どもの保育園時代、吃音の症状が出て悩んだ末に転園しました。当時通園していた保育園で吃音に対する厳しい指摘を受け、違和感をもったからです。しかし、すがる思いで転入した新しい保育園の先生は一切気にせず、驚くほどあっさり症状は解決しました。

ほかにもさまざまな出来事が起こるたびに困り果て、先生方に「助けてください」と頭を下げていました。そうやってSOSを出さなければ、乗り越えられなかったのは確かです。

校長職に就いて、また「助けてください」「お願いします」という場面が増えました。

日々の業務、行事の開催、設備の管理など、学校運営は職員や外部の方々の力なしには成り立ちません。多くの方に協力をお願いし、それぞれの個性やスキル、専門性をもち寄るからこそ、学校という大きな共同体がつつがなく動いていくのだと実感する毎日です。

とはいえ、若い頃の私は子どものこと以上に、自分の仕事をほかの人にお願いするのが苦手でした。「努力が大事だから、自分でやってしまおう」と、ひとりであれもこれもと抱え込んでいたのです。

「HELP!」と書かれたボードを持つ人
※写真はイメージです
周りには自分にないものをもっている人がたくさんいる

そんな考えが変わったのは、十数年前です。

外国人の教員が「May I help you?」「Please help me」とお互いに助け合っている姿をみるうちに、もっと「助けて」という言葉を使ってもいいのではと、思うようになったのです。

ちょうどその頃、当時の駐日米国大使だったキャロライン・ケネディさんが、「これからは、女性が助けてくださいといえるようになることが大事だ」と語った新聞記事を読み、その意図に共感したこともひとつのきっかけでした。

以来、「ここ、ちょっとお願いします」「助けていただけますか」と、周囲の手を借りるように心がけました。すると、あることに気づきました。まわりには、自分にないものをもっている方がたくさんいたのです。孤軍奮闘しているときには、みえなかったことでした。

「助けてください」といえるようになると、まわりの人からも「助けてください」といわれるようになります。すると、思わぬ化学変化が起きるかもしれません。

ひとりで手に負えないとき、苦しいときに限らず、もっと気軽に「助けてください」といっていくと、誰もが生きやすい環境に変わりはじめるように思います。

謝られるより感謝されたほうがうれしい

助けを求めるときに心がけているのは、相手に気持ちよく受けていただけるように、明るくお願いすること。そして、助けていただいたあとに、「ありがとう」「ありがとうございます」と、心を込めて伝えることです。「助けてください」と「助けてくれて、ありがとう」はセットだと思っています。

というのも、以前の私は頼みごとをする際、無意識に「すみません」「ごめんなさい」を多用していたのです。

しかしあるとき、相手の方は謝られるより、感謝を伝えられたほうがうれしいのではないかとふと気づきました。

謝られると、相手も恐縮してしまいます。でも、「とても助かっている」「あなたの存在に支えられている」。そう伝えれば、笑顔の連鎖が生まれ、そこに流れる空気も変わります。以来、日常で「ありがとう」という機会が断然増えました。

ささいなことかもしれませんが、気持ちのよいコミュニケーションのために忘れずにいたい姿勢です。

「THANK YOU」と書かれた紙
※写真はイメージです
校長日誌の最後に記す言葉

身近な場面でも、感謝の言葉は遠慮せずしっかり伝えるようにしています。

留学生時代、広東語で「ムコーイ(ありがとう)」と感謝を伝え合う人たちの姿をよくみかけ、いい習慣だと思ったものでした。

またほかの国に行った際も、乗り物に乗り降りするときやレストランでの食事、買い物なども含めて、現地の言葉で「ありがとう」といっている場面をよく目にしました。それもあって、私も見習いたいと思ったのです。

学校のホームページに掲載している校長日誌の最後にも、必ず「感謝と祈りのうちに」と記しています。

もともとは留学中、英文の最後に「with love(愛を込めて)」や「God bless you(神の祝福がありますように)」と書く友人が多く、素敵だなと思ったことがはじまりです。

この2つの言葉に込められた思いを、自分なりに日本語で伝えたいと私は思いましたが、ピンと来る言葉になかなか出会えませんでした。

するとあるとき、友人が「感謝と祈りのうちに」と文末に入れているのを目にしたのです。私が伝えたいのは、まさにこれだと直感しました。以後、メッセージにはすべて、読んでくださる皆さんへの感謝と祈りを込めて、この言葉を添えています。

必ず誰かが見守ってくれている

もうひとつ、この言葉に込めた大切な思いがあります。

神垣しおり『逃げられる人になりなさい』(飛鳥新社)
神垣しおり『逃げられる人になりなさい』(飛鳥新社)

私たちはつい、自分はひとりきりだと思いがちです。しかし、苦しいときや思いどおりにいかないときでも、必ず誰かがどこかで見守っていてくれます。

その誰かとは、人智を超えた偉大なるなにか。サムシング・グレートとでもいうべき存在かもしれません。その偉大な存在に、私たちは生かされています。

この言葉には、そのことへの感謝と祈りを託しているのです。

また、苦しみをひとりで背負うのではなく、時には、その存在を頼りにしてもいいのではないか。そんな思いも込め、読む方が少しでもホッと心を休ませてくださるようにと、いつも祈りつつ書いています。

神垣 しおり(かみがき・しおり)
ノートルダム清心中・高等学校校長
広島県出身。ノートルダム清心中・高等学校卒業後、広島大学教育学部在学中に、香港大学人文学部留学を経験し、国際協力・支援も志す。広島市立中学校教員(臨時採用)を経て、1983年よりノートルダム清心中・高等学校社会科教員として勤務。仏教大学通信制により、宗教科の免許取得後、2004年より宗教科も担当。2018年よりノートルダム清心中・高等学校の校長を務める。

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