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日本より遅れてやって来た!? パリで「タピオカ」が大ブーム。

  • 2023.11.2

私がはじめてパリでタピオカティーを飲んだのは2016年だったと記憶している。日本でタピオカ旋風(実は3度目のブームのようだ)が巻き起こったのは2018年だから、その2年前ということになる。オペラ界隈で打ち合わせの場所を探していて、そういえば新しいタピオカの店ができたんだよ、と連れて行ってもらったのだ。店員は台湾とベトナムの人で、メニューも豊富で、無糖のジャスミンティーにタピオカが入ったものを選んだことも覚えている。おいしかった。

そのほかにもオペラ界隈には大好きな台湾料理のお店があって、そこでは食事とともにタピオカティーを注文することが出来るし、パリのアジア系スーパーでは以前から、レトロでかわいいデザインの缶に入った台湾製のタピオカミルクティーを売っている。

要するにタピオカティーは以前からあった。しかしそれはあくまでアジア人によるアジア人のための、きわめて限定されたタピオカティーであったのだ。

そして日本に嵐のようなタピオカブームがやってきて、去っていった。実際には多くの日本人が、いまでもあの飲み物を愛しているのかもしれないが、2020年以降、コロナ禍の時期に店舗は急速に減少していったという。その、日本で第3次タピオカブームがやってきていたころ、フランスは特段タピオカに躍ってはいなかった。

しかし、いまのオペラ界隈を歩くと、「いつのまにかどうしてこんなにもタピオカティーに?」とふと驚いてしまうことがある。日本にも店舗のある、私がずっと「鹿の店」と呼んでいた台湾の「THE ALLEY」ができてから、急に本格的な気合の入った店が増えていったような気がする。そして日本とは逆に、このタピオカティーがパリへ急速に広がっていったのはコロナ禍の外出制限が解除され、「マスクをしている方が変な目で見られる」雰囲気が出てきた後、という印象だ。

私はパリのタピオカティーに関するこの考えを、これまで多くの友人・知人に話してきた。しかしほとんどの人は「バブルティー(タピオカティー)についてそんなに真剣に考えたことない」とニッコリ一蹴してしまうので議論は発展しない。ただ「コロナ禍以降増えていった説」に関しては、わりと「そうかも」と賛同をもらっている。

なにはともあれ、増えているのは事実なのだ。

コロナ禍以降に増えたのはなぜなのか?と問うと、みんな答えは同じだ。広い場所が必要ないし、タピオカの原価はものすごく安い。コロナ禍で多くの店が閉店したあと、多くの人がそこに目を付けタピオカを開いたのかもしれない。

ある日のこと、パリ郊外の町に降り立った私は、駅に新しいカフェができていることに気付いた。その駅で降りるのは二度目だったのだけど、とにかくいたって普通の住宅街であり、生真面目なほどおしゃれを排除し実用性だけに振り切ったような町だったため、真新しいカフェの存在についわくわくしてしまった。

だからというべきか、用事を済ませて駅に戻る途中、ベビーカーで赤ちゃんと散歩しているお母さんがアイスカフェラテを飲んでいるのを見た時、そのカフェラテの入れ物やストローがこの町では異質なほどおしゃれ(失礼)だったのを見た私は、つい彼女に声をかけそれはどこで買えるのかと聞いてしまった。彼女は駅のカフェで買えると言い、「バブルティ―もあるよ。私が飲んでるのはアイスキャラメルラテ」と教えてくれた。

なんと、あの新しいカフェに、このおしゃれは地の奥底へ封印したような町にも(失礼)、タピオカティーが広がっているなんて!

私は当然その足で駅まで行き、カフェに直行した。

店員は陽気な黒人男性で、店は南の島をコンセプトにして作られているとのことだった。そういえば最近ハワイ風のカフェにタピオカティーがあるのをよく見るなあと思いだし、タピオカといえば「アジア系のエリアにありアジア系の店員が働いているもの」という概念が打ち破られつつあるのを感じた。パリで急速に広がったタピオカティーは、そのスピードを緩めることなくパリの外にまで広がり続けているのだ。

そうして私が注文したのは、アイスカフェラテのタピオカドリンクだった。わくわくしてひとくち飲んでみると、それはこの世界にこれまで生み出されたありとあらゆるタピオカドリンクの中で、もっともまずいタピオカドリンクだった。もちろん私はこの世界にこれまで生み出されたありとあらゆるタピオカドリンクを飲んできたわけではない。しかし一瞬でそう確信を持ててしまうほどにまずいタピオカドリンクだったのだ。

何よりもまず、タピオカがガッチガチなのである。まるで切り餅をそのまま飲み物に放り込んでしばし置いたかのような硬さである。あのぷにふにしたタピオカを噛みしめる楽しみがすべて苦痛へと変わってしまったのだ。

私は非常に落胆し、きっとあの黒人男性はタピオカを何分茹でるのかも知らず、いやもしかしたらタピオカを自分で口にしたことも、それがどんな食べ物なのかもわからないまま調理・販売しているのかもしれないと考えた。

フランスで急速に広がっているタピオカドリンクは、それ自体が広がるスピードに、タピオカに関する知識が追い付いていないにちがいない。タピオカがさらなる広がりを見せるようであれば、私の経験したような失望をもう二度と生み出さないためにも、タピオカの知識を広める伝道師が必要だと感じている。

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