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乗鞍高原の魅力をいつまでも。高橋あず美さんが主催する「自然にやさしいフェスティバル」

  • 2023.10.31

音楽の殿堂、ニューヨークのアポロシアターの名物イベント「アマチュアナイト」で、日本人シンガーとして初めて年間チャンピオンに輝いた実力派で、人気アーティストのツアーコーラスも務めるシンガーソングライター高橋あず美さん。出身地長野県松本市乗鞍高原では観光大使を務め、今夏に「乗鞍高原自然にやさしいフェスティバル2023」を主宰しました。環境に配慮したフェスを立ち上げた経緯や地元への思いを伺いました。

●サステナブルバトン4-7

サステナブルな観光地への一歩を

――今年8月11日の山の日に開催された「乗鞍高原自然にやさしいフェスティバル2023」について教えていただけますか。

高橋あず美さん(以下、高橋): 私が生まれ育った長野県松本市乗鞍高原は、北アルプスの南はじにあり、壮大で美しい自然溢れる中部山岳国立公園の一部です。以前から、音楽を通じて地元に還元していきたいという想いがあり、乗鞍高原の魅力と音楽の楽しさを体験できるイベント「乗鞍高原自然にやさしいフェスティバル2023」を企画、運営、出演しました。フェスでは、中村佳穂さんら以前から親交がある素晴らしいアーティストのライブをはじめ、乗鞍の木などを使った子どもも楽しめるワークショップ、自然の大切さについて学ぶトークショーなど、さまざまなプログラムを用意し、乗鞍の自然にさまざまな形で触れることのできるフェスを心がけました。おかげさまで、用意したチケットは完売する盛況ぶりでした。

来場いただく方に前もってマイボトルのご持参を呼びかけたり、エコタンブラーを販売したり。飲食ブースの皆様にもプラスチックを減らした器やカトラリーを使ったテイクアウトにご協力いただくなど、できるだけ環境への負荷を小さくするよう工夫しました。ゆったりした雰囲気の中、日ごろはなかなかフェスに行けないお子さん連れやフェス初体験の方も、「大自然とよい音楽に囲まれてリラックスできた」と言っていただけて嬉しかったですね。

「乗鞍高原自然にやさしいフェスティバル2023」=2023年8月、本人提供

――全国各地で様々な夏フェスがあるなか、なぜ“自然にやさしい”をテーマに?

高橋: 実は私が子どものころ、地元で「自然にやさしいコンサート」というイベントがすでにあったんです。両親世代が、自然を楽しむことをテーマに1週間ほどかけ、バンドを組んで青空のもとで演奏したり、自然に触れ合うプログラムを行ったり、フリーマーケットを開いていました。バブル景気ということもあり観光地としてとてもにぎわっていた当時は、子どもも100人くらい住んでいて、わいわいと楽しい時間を過ごしました。近年はこの辺りも少子高齢化がどんどん進み、子どもの数も当時の3分の1ほどに減ってイベントは縮小していました。大好きな乗鞍の思い出が詰まっているイベントがなくなるのは寂しい、先代たちの想いを引き継ぎたいと思いました。何より、「自然にやさしい」という言葉を残したかったのです。

2023年3月、乗鞍高原が環境省の「ゼロカーボンパーク第1号」に認定されたのも大きいです。持続可能な地域であり続けるため、絶滅の危機に瀕しているライチョウなど乗鞍高原の豊かな自然と美しさを未来に残していこうと、脱炭素化を目指し、サステナブルな観光地の先駆けとして、様々な試作をする機運が高まりました。地元に住む同世代には私と似た想いを持つ人も多く、フェスをしたいと伝えた時に賛同してくれた仲間たちのおかげで長年の夢を実現できるタイミングになったんです。

「乗鞍高原自然にやさしいフェスティバル2023」=2023年8月、本人提供

――普段は出演する側の高橋さんが、主催者として運営に携わると見えてくる景色も違ったでしょうね。

高橋: はい、はじめはもっと小ぢんまりとしたフェスを想定していたのですが、話が進むうちに「せっかく出ていただくなら気持ちよく歌ってもらいたいし、聴く人の心に残る形式にしたい」とか「もっと乗鞍の自然を感じてもらいたい。そのためには?」という気持ちが膨らんでいきました。「山の日にフェスをやる」と決意してから、実は開催までわずか数カ月しかなく、フェス当日は運営しながらの出演だったので、あまりの慌ただしさにステージで自分が歌った記憶はあまりありません(笑)。チラシのデザインからアーティストさんのブッキングなど、運営全般に関わるのはかなりハードでしたが、「これは次回開催の時に、●●さんにお願いしよう」「●●さんがこれは得意だな」と全体像を把握できたのは良かったですね。

乗鞍高原が国立公園の一部であることでより一層の難しさもありました。例えば、会場となったオートキャンプ場も、使用するには様々な許可が必要で、自治体や環境省の方と何度も話し合う必要があったからです。野外フェスにつきものの騒音トラブルにも気を付け、音が届く範囲のご家庭や商店一軒ずつに足を運んで理解を求めたりもしました。ありがたいことに、挨拶の際に「応援しているよ!」と声をかけてくださったことに救われました。そんなふうに行動していくことで、いつしか思いを同じくする仲間がボランティアも含め40名ほどに増えたのはとても心強かったです。

朝日新聞telling,(テリング)

NYアポロシアターで年間チャンピオンに

――もともとサステナビリティやエコロジーへの関心が高かったのですか?

高橋: いえ、高校卒業後の約15年間、東京で暮らしていたときは便利さを優先していましたし、以前は人一倍意識していたわけではなかったと思います。でも、そんな暮らしが続いていた2018年、心身ともに疲れを感じて、自然に触れたいと強く思うようになりました。そこで、アメリカの大自然にとびこもうと、国立公園を横断しながら3週間ほど旅をました。最終地点は友人が住むニューヨークだったんですが、そこで地下鉄構内で歌うストリートミュージシャンのライブに飛び入り参加したのが大きな転機となりました。

長年、心のどこかで海外のアーティストたちに自分の歌はかなわないと思っていたけれど、いざ自分が歌い始めるとたくさんの人が足を止め、感動したと伝えてくれたり、チップを投げてくれたりする方が本当にたくさんいたんです。聴いてくれる人の笑顔とか驚いている姿を見て、自分で勝手に持っていた固定概念の殻がバリバリはがれていく感覚になりました。そのワンシーンをSNSにアップしたところ、信じられないほど拡散しました。素直にとても嬉しい出来事でした。

NYアポロシアターのアマチュアナイトでチャンピオンになり、賞金2万ドルを獲得=2019年11月、本人提供

――その動画がきっかけとなり、アポロシアターでの挑戦につながっていくのですね。

高橋: 18歳のときに専門学校の研修旅行でニューヨークに行き、アーティスト発掘やライブシーンとしても歴史的にもとても深いアポロシアターでのコンペティション「アマチュアナイト」を観客として観たことがありました。そのときは、出演者の実力の高さに圧倒され、「アマチュアでこのクオリティ? やばい、このままじゃやばい、もっと歌を磨き上げなきゃ」と思ったんです。その後、何年も経ってから、NYの地下鉄での出来事をきっかけに、「アマチュアナイト」に挑戦し、決勝まで行くことができ、そして年間チャンピオンになることができました。

それまでの経験や自分の決断に自信を持てるようになる大きな転機になったと思います。あの時のあの行動は種まきのようなものだったんだと感じることが沢山あります。それまで、どこに居れば自分の心が元気でいられるのか、自分の身をどこに置くべきかとすごく悩んでいたんです。このアポロシアターでの経験から、挑戦すること、自分が一番ワクワクできることが大事だなと思ったんです。

――拠点を長野・乗鞍に移されたのはなぜですか?

高橋: 私としては、長野に戻ったというよりは、田舎と都会の暮らしの両方を選んだという感覚なんです。都会は刺激的で楽しいですが、時に疲れてしまうことも。自然が自分にもたらしてくれる心身の安定はとても大きなものがあります。そうした大切な自然を守り、乗鞍高原をずっと持続可能な地域にしていくには、どうしたらいいかを話し合う機会もだんだん増えていきました。

都会で暮らしているとごみが出るのは当たり前で、私も誰かがいつの間にか集めてくれるものぐらいに思っていたんです。しかし乗鞍では、ごみをできるだけ出さないよう取り組む人や、自然を守ろうとしている人が身近にいます。数年前に移住してきて、宿とカフェを営みジェラートやドリンクを繰り返し使える木の器やカトラリーで提供する人がいたり、石油ストーブを薪ストーブなどに変えて、乗鞍の廃材を薪に使用したりする運動があったり。そうした人の行動によって、元から住む人たちにも気付きがもたらされ、カーボンオフセットについて知るためのワークショップや、乗鞍高原の資材活用、環境保護、景観再生、持続可能な地域にするための対話の時間が増えたように思います。そんな小さな取り組みが、ここ数年広がっているなと感じます。

乗鞍高原観光大使への任命を受けて=本人提供

出来る時、思い付いた時にアクションを

――今後はどんな取り組みをしていきたいですか?

高橋: 今回のフェスでさまざまなシーンで活躍される方との絆を深めることができました。以前、イベントを通じて出会った飛騨高山の建築家の方に、今回のフェスではステージの設計から設営までお願いし、飛騨高山地域のサステナブルな取り組みもたくさん教えていただきました。実は、乗鞍岳がある松本市と飛騨高山は乗鞍岳を挟んで隣合っていて、自治体同士がパートナーシップを結んでおり、環境も似ているんです。「フェスのステージがすべて地元の木材、それも間伐材や再利用できるものなら素敵だよね!」「間伐材の白樺の枝を逆さ吊りにしたら自然の屋根になって木漏れ日とかも綺麗かも!」とアイデア自体が環境に優しくてワクワクするものでした。フェスが終わった後も、ステージは捨てずに今も開催場所のキャンプサイトのデッキとして再利用されているんですよ。

そうしたサステナブルなデザイン設計やフェスの運営を、この連載「サステナブルバトン」を繋いでくださった空間デザイナーのがすごく感激してくれました。稲数さんとは、フェスの少し前に大阪でのお仕事でご一緒し、フェスにも東京から駆けつけてくれたんです。乗鞍での再会はとても嬉しかったです。今度、稲数さんともイベントなどを一緒に作ってみたいです。

朝日新聞telling,(テリング)

また今年9月、それまで毎年のように訪れていた沖縄県の離島、座間味村の観光大使にも就任しました。座間味村は「慶良間諸島国立公園」の一部で、地域の皆さんは美しい海やサンゴを守る活動などもしています。山と海の観光大使、しかも国立公園の観光大使を2地域務められるとは思っていませんでした。これをきっかけに私自身の野望として山と海、長野県と沖縄、国立公園と国立公園などなど自然と自然の地域が繋がっていくようなイベントを環境省や自治体の方々と一緒に開催できないかなと思っています。実際にそれぞれの自然に触れながら、共通点や相違点を知ったり、そこから生まれる新しい取り組みのアイディア交換のような時間ができたら最高なのではないかと。

――では、最後に高橋さんにとってのサステナブルとは?

高橋: どう伝えたらいいか、言葉にするのはとても難しいですが……。自分が前向きな気持ちで少しだけできる我慢や不便さを選んでいくことが大事なのかなって。シビアすぎず自分が「できる時」「思い付いた時」だけでもよいと思っています。今日はマイボトルで1日過ごすとか、カフェではマグカップでお願いするとか。仕事がら洋服を買うことは多いですが、おばあちゃんになっても着たいと思えるデザインの服や、長く着られるように生地にも形にも思いの詰まった服を選ぶとか。そんな小さな積み重ねが自分のサステナブルのような気がします。今回フェスを開催したことで、とても考えさせられる時間になったので、そんな「気持ちや思い」だけでもサステナブルと言ってもよいような気がしています。行動するかしないかは自分の選択次第。まずは思いからサステナブルにつながるチャンスがあるのではないでしょうか。

サステナブル=持続可能という意味では、乗鞍をいかに持続可能な地域にしていくかも大きな課題だと思っています。よく、コロナ禍などで地方へ移住する人や多拠点で暮らす人が増えたと聞きますが、乗鞍では家族が住めるような空き家が少なく、そうした動きはまだそれほど多くはないんです。それでも、乗鞍の自然に魅せられて移住したり、私のように戻ってくる人は着実にいます。外からの新しい視点も持つ仲間がいてくれたから、今回のフェスも実現できたのだと思います。これからもみんなで力を合わせながら発信していきたいです。そしていつか、山の日と言えば「乗鞍高原自然にやさしいフェスティバルだよね」と言っていただけるよう、フェスも育てていけたらいいですね。

朝日新聞telling,(テリング)

●髙橋あず美(たかはし・あずみ)さん プロフィール
1986年生まれ、長野県松本市(旧安曇村)出身。2017年から乗鞍高原観光大使を務める。標高1500メートルの乗鞍高原内の地域へ大阪から移住し、ペンションを営む両親のもとに育つ。18歳で音楽の専門学校へ進むため上京。22歳でDREAMS COME TRUEのツアーコーラスとして音楽活動をスタート。2018年に訪れた米ニューヨークの地下鉄で歌唱した動画がTwitter(現X)上で60万回再生される。翌年、NY「アポロシアター」の「アマチュアナイト」で4回勝ち抜き、年間チャンピオンに。2020年公開の映画「キャッツ」で、ジェニファー・ハドソンが演じたグリザベラ役の日本語吹き替え版キャストに抜擢される。現在は人気アーティストAIの全国ツアーにコーラスとして参加中。

■キツカワユウコのプロフィール
ライター×エシカルコンシェルジュ×ヨガ伝播人。出版社やラジオ局勤務などを経てフリーランスに。アーティストをはじめ、“いま輝く人”の魅力を深掘るインタビュー記事を中心に、新譜紹介の連載などエンタメ~ライフスタイル全般で執筆中。取材や文章を通して、エシカルな表現者と社会をつなぐ役に立てたらハッピー♪ ゆるベジ、旅と自然Love

■齋藤大輔のプロフィール
写真家。1982年東京生まれ。東京造形大学卒業後、新聞社などでのアシスタントを経て2009年よりフリーランス。コマーシャルフォトグラファーとしての仕事のかたわら、都市を主題とした写真作品の制作を続けている。

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