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「好き同士が両想いとは限らない」。世間とはズレた心情を細やかに描く 『いちばんすきな花』3話

  • 2023.10.31
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ドラマ『いちばんすきな花』(フジ系)は、『silent』脚本の生方美久とプロデューサーの村瀬健がふたたびタッグを組む作品。多部未華子、松下洸平、今田美桜、神尾楓珠が主演を務めるクアトロスタイルで描かれる。テーマは「男女の間に友情は成立するのか?」。第3話では、婚約者の小岩井純恋(臼田あさ美)と正式に別れた春木椿(松下)の心情に光があたる。

椿が引つ越しをしない理由

椿はもともと「じっと座ってられない子」だった。話すのが好きなタイプで、小学生のころの担任教師からは「個性的な子です」と言われる。それは「落ち着きも協調性もない」と評価されているに等しかった。

そのうち、「分かりました。大丈夫です」を繰り返し、自然と個性を隠せるようになった椿は、いつしか返事と相槌(あいづち)しかできない人間になった。他者から変に思われないように、世間に上手く溶け込むために、必死で自分を押し殺す。どうしてもしたい話は、一度しか行かないと決めた美容院や、初対面の人間が多くいる喫煙所でする。

確かに、椿は変わっている。婚約していた純恋と住むはずだった一軒家に未だ住み続け、引っ越しもしていない。

3話の終盤、深雪夜々(今田)から「引っ越しちゃうのかなって、勝手に思っちゃったんですけど」と聞かれた椿は「考えてはいます、引っ越し」と答えている。しかし、すぐに夜々、潮ゆくえ(多部)、佐藤紅葉(神尾)に対し「考えてるうちは、ここに住んでます。考えてる最中に、引っ越すことはないです」と伝えている。

椿はもっと早く、この家から引っ越すことができたはずだ。花屋を営む実家まで行き来できる距離なのだから、いったん避難することもできたはず。

一方的に、身勝手な理由で婚約破棄された傷心を抱えたまま、椿が夫婦で住むはずだった家にいるのはなぜか。それはきっと、なんらかの理由でまた、純恋が訪れるかもしれないと考えたからだろう。実際、純恋は忘れ物を取りに戻ってきている。

ほかの理由があるとしたら、きっと、罪悪感からではないか。

椿の家を再び訪れた純恋は、身勝手なことをした自分に対して怒りも泣きもしない、ただ謝罪を繰り返すだけの元恋人に憤っていた。これまで一緒に過ごしてきた時間のなかで、椿もそれに気づいていたのではないか。

純恋に対して「好かれる努力」よりも「嫌われない配慮」をしてきた椿。そして、怒りや悲しみ、悩みも隠してきた椿。 着実に積もっていた疲労は、罪悪感として凝り固まった。椿は純恋に謝るために、家にとどまっていたのではないか。彼女に謝罪し、しっかりと別れを告げられる場所は、2人が住む予定だった家以外にないと思ったからだろう。

生方脚本に見られる人間洞察力

本来は省略されやすい場面が、このドラマではしっかり描かれている。

3話で印象的なのは、椿が台所の引き出しからゴミ袋を取り出し、ゴミ箱にセットするシーン。1話から、椿がゆくえたちにコーヒーを淹れ、誰にどのカップを手渡すか一瞬だけ考えるしぐさや、洗った4つのカップが置かれている描写のように、些細(ささい)なシーンを視聴者に対し意識的に見せているのが伝わる。

1話がゆくえたち4人の自己紹介を目的とした回だとするなら、2話はゆくえの心情を中心に描いた回で、3話は椿の人となりに焦点をあてた回だった。おそらく4話は夜々、5話は紅葉を軸に据えた回になるだろう。

生方美久の脚本は、クアトロ主演という真新しさに頼ることなく、むしろそれを最大限に活かしている。4人全員を等しく動かそうとすると、下手をすれば話が散らかり、物語としてのまとまりに欠ける着地になりそうなものだ。

しかし、少なくとも3話までの時点では、そんな印象はない。一塊の単位となった4人が、互いに作用しあっている様子がほほえましく、ときに切なく描かれている。

人の言動や心の動きを、つぶさに観察していなければ表出されない、所作やセリフに満ちた脚本。もしかすると、椿を筆頭に、4人の言葉や感情はすぐには共感されないかもしれない。

両想いは好き同士のことだけど、好き同士が両想いとは限らない、と元恋人に告げた椿。彼の気持ちは、絶妙とも言えるほどに世間とズレている。そのズレ具合を如実に示す手法として、ゴミ捨てなど細やかな生活の場面が、取りこぼさず描かれている。当たり前の暮らしのなかに混じる、ある種の違和感として。

友達の枠にはまらない「名前のない関係」

互いに連絡先を交換していなかった事実を、同じようなタイミングで悟るゆくえたち。紅葉は、バイト先のコンビニでもらってきた廃棄寸前の食料を手に、椿の家を訪れる。そして夜々は、忘れ物のペンに印字された「おのでら塾」を頼りに、ゆくえの職場にやってくる。

定期的に集まり、話をするようになった4人に向けて、周囲からたびたび投げかけられる質問があった。それは「友達?」というもの。

いま顔を合わせている目の前の相手は、友達なのか。それとも、幼なじみ?親友? 誰よりも気兼ねない話をし、これまで同意を得られなかった感覚を共有しているはずなのに、「友達?」とたずねられても、なかなか答えられないでいる。

4人の関係には、まだ名前がない。それでも、その方向性を示唆するような、紅葉のセリフがある。椿から「幼なじみと友達は、同じ枠?」と聞かれた紅葉は「ゆくえちゃんは、ゆくえちゃんって枠ですね」と答える。既存の枠に当てはまらない、この4人にしか該当しない関係性を、彼らはこれからつくっていくのだろう。

集いの場となっている椿の家は、なんとも居心地が良さそうだ。ゆくえ、夜々、紅葉はすっかり気に入り、一度訪れたら夜までいるようになっている。この妙に落ち着く感覚を、夜々は「部室」と称した。引っ越しを考えている間はこの家に住む、と告げた椿が「廃部になりません」と重ねると、並んで拍手する3人がなんとも可愛らしい。

若い男女が2人でいると、恋人か夫婦だろうと思ってしまう固定観念。ゆくえの塾に通う望月希子(白鳥玉季)が指摘したように、中学生はみんな学校に通っているものと断定する思考回路。私たちは油断をすると、すぐに楽な考え方をする。

このドラマは、そんなわかりやすいルートを別の道にも分岐させるようなきっかけをくれる。この物語が描く「名前のない関係」が浸透した世の中は、どんな居心地なのだろうか。

■北村有のプロフィール
ライター。映画、ドラマのレビュー記事を中心に、役者や監督インタビューなども手がける。休日は映画館かお笑いライブ鑑賞に費やす。

■モコのプロフィール
イラストレーター。ドラマ、俳優さんのファンアートを中心に描いています。 ふだんは商業イラストレーターとして雑誌、web媒体等の仕事をしています。

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