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主任保育士は96歳…保育士が全然辞めない"名物保育園"で育った子どもたちに小学校の先生が驚くワケ

  • 2023.10.27
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96歳の現役保育士・大川繁子さんが勤める小俣幼児生活団は、モンテッソーリ教育とアドラー心理学を取り入れたユニークな保育園だ。給食も昼寝も強要することがなく、子どもたちの「自由に生きる力」を育てることを大切にしている。小学校の先生が口を揃えて指摘する卒園児たちの力とは――。

自由に生きる力を育てる“奇跡の保育園”

96歳の現役保育士である、大川繁子さん。園児たちに向けられる、顔いっぱいのくしゃくしゃの笑顔は、96歳とは思えないほど若々しい。

繁子さん60年来の職場が、栃木県足利市にある「小俣幼児生活団」だ。七十数年前に繁子さんが嫁いできた旧家の建物と敷地が、丸ごと保育園となっており、最も古い園舎は江戸後期のもので足利市の国登録有形文化財だ。

小俣幼児生活団 主任保育士 大川繁子さん
小俣幼児生活団 主任保育士 大川繁子さん

園にやってきた子どもたちは江戸期や明治期に建てられた古い日本家屋の園舎で過ごし、池や山や梅林がある、3000坪という広大な敷地を自由に遊びまわる。「子どもたちの、昼間の大きな家」、こんな考えで作られた園舎なのだ。

ここはいつからか「奇跡の保育園」と呼ばれるようになったが、それは独特の園舎や96歳の現役保育士がいる以上に、「小俣幼児生活団」ならではの、保育のあり方が大きい。

「保育士人生60年の半分がふつうの保育を、後の半分が今の保育をしています。今は、子どもが自由に生きる力を育てる保育ですね」

給食はバイキング形式

園にはプログラムなど、「みんなで同じことをする時間」はない。子どもたち一人ひとりが、自分のやりたいことをして過ごす。最年長の5歳児は1日1時間、みんなで同じことをするが、何をするかは子どもたちが前の週の金曜日に決める。

給食はバイキング形式で、自分で食べたいものを、どれぐらい食べられるのかを決めて、自分で皿によそう。食べるものの強制もないし、残さずに食べないといけないということもない。給食の時間になってもやりたいことがあれば、パスしても構わない。

給食はバイキング形式。好きなものを食べられる量だけとっていく
給食はバイキング形式。好きなものを食べられる量だけとっていく
給食をよそっていく子供たち
撮影=市来朋久

お昼寝の強要もしない。20分経っても眠れなかったら、起きて遊んでも構わない。

ルールは園児が決めるのが基本で、保育士が勝手に決めることはなく、園児と話し合って決めていく。

保育士は、園児に命令はしない。何か行動してほしい時は、「してくれませんか」と声をかける。「しなさい」「してください」とは言わない。危ない時以外は、喧嘩の仲裁もしない。

連載「Over80 50年働いてきました」はこちら
連載「Over80 50年働いてきました」はこちら

根底にあるのは、「モンテッソーリ教育」と「アドラー心理学」だ。モンテッソーリ教育は自立した人間を育てるための教育法で、大人は子どもが持つ能力を引き出すための、あくまでサポート役に徹する。「アドラー心理学」は、大人と子どもを対等の立場に置くもので、命令することも怒ることももちろん、褒めることも評価を下すことだから行わない。ただ子どもを認め、尊重する。

この保育方針は創立者である繁子さんの義母が亡くなり、次男の眞さん(73)が25歳で園長に指名されたことにより、「小俣幼児生活団」の揺るぎない柱となった。

保育士が辞めないので平均年齢が上昇…

のびのびしているのは園児だけではない。実は、保育士もそうなのだ。繁子さんが笑う。

「結婚しても辞めないし、子どもが生まれても辞めない。だから、どんどん平均年齢は上がっていく。だからもう、ほとんど、私が手を出さなくても……」

ベテランの保育士が多いので安心して任せられるのだそう
ベテランの保育士が多いので安心して任せられるのだそう(撮影=市来朋久)

園長の眞さんも、母の隣でうなずく。

「園児だけでなく、保育士もここはほったらかしだから。勤務表だって、自分たちで作っている。所帯持ちが多くなったんで、育児休業を取るとか、自分たちで決めていますね。子どものPTAとか授業参観などで休みを取るのは、当たり前なんです。お互いに融通を利かせて、シフトに入る。女性が主体の職場ですから、お互い様なんです」

通常なら子どもの行事ばかりか、急な病気でさえ、女性は職場で謝ってばかり。ここでは、それがない。女性が子どもを持っても、肩身の狭い思いをすることなく堂々と、楽しく働ける。なんと稀有な、いい職場だろう。辞める人が少ないのも、当然だ。

これもやはり、96歳の主任保育士という存在が大きいのではないのだろうか。

「やっぱり、みんな、面倒くさいんでしょう。だから、私を立ててくれて……」

96歳になっても現場に立っているという、大いなる人生のロールモデルを目の当たりに、後に続く者としては、ずっと働いていけるという希望がそこには確かにある。

一流の踊りを習った幼少期

「子どもたちも、私のことは特別扱い。私が言えば、みんな、ピッとなる。子どもはリトミックが好きで、待っていてくれる」

子どもたちにしてみれば、自分のおばあちゃんよりももっと年上の、おばあちゃん先生の弾くピアノや語りを、きっと特別なものと感じている。それは96歳という年齢だけではなく、繁子さんには「本物」が宿っているからだ。だから、リトミックは他の保育士の誰でもなく、繁子さんが担当するのだ。

眞さんが、母に水を向ける。

「リトミックと語りが、一番好きなんだよなぁ。あなたがリトミックを好きなのは、3、4歳に遡るんですよね?」

繁子さん3歳の頃、舞台を鑑賞した時に、客席で立ち上がって音楽に合わせて踊り始めた。それを見た、繁子さんの母は「この子は、踊りが好きなんだ」と、日本における舞踏家の草分けである、石井漠さんの研究室に娘を通わせた。繁子さんの父は早くに亡くなったが、「子どもに関わることは、なるべく一流のものを与えよう」という考えを持っていた。

「40歳で、リトミックの研修に初めて出た時、とても懐かしい感じがして。母はよく、石井先生を見つけてくれたって思いました。そのまま、リトミックの面白さに魅了されて……」

88歳までリトミックの研修にで出かけていた

繁子さんは88歳まで、どんなに遠方でも、リトミックの研修に出かけていた。リトミックが好きであることは、今も変わらない。だから、子どもたちから「次のリトミックは、いつですか」と聞かれるのだ。

繁子さんが奏でる、変幻自在なピアノのリズムやメロディーに合わせて、自由に身体を動かしていく時間が、子どもたちには楽しくてたまらない。だって、突拍子もないリズムや展開が待っているから。それはもう、わくわくしかない。

繁子さんのピアノに合わせて子どもたちが体を動かすリトミック(左)と読み聞かせ(右)
繁子さんのピアノに合わせて子どもたちが体を動かすリトミック(左)と読み聞かせ(右)

絵本を読み聞かせる「語り」も、繁子さんは大好きだ。数年前まで、一人で暮らす家から園まで、徒歩で通勤していた。その15分という時間が、繁子さんにはちょうどいい。

「15分の間に、この絵本はどう話していくのがいいかなーと考えて、語りを覚えながら歩くんです。本番では子どもの反応を見ながら、緩急つけて、高低つけて、リズムをつけて。子どもの反応が、本当に面白いですね」

語りが始まるや、子どもたちは椅子に座る繁子さんの前に、幾重もの輪を作る。じっと真剣に、語りの世界に没入する子どもたち。ちょっと前までは、野生児のようだったのに。

5年生になるとグンと伸びる

「小俣幼児生活団」を出た子どもたちは、小学校に行く。園の生活と小学校の生活は、相当に違う。年長の5歳児には「みんなで同じことをする時間」を1日1時間だけ作るのは、小学校での生活に備えるためでもある。

読み聞かせの後は手遊びをしたり、お手玉で遊んだり。
読み聞かせの後は手遊びをしたり、お手玉で遊んだり。
繁子さんの前に、幾重もの輪を作る子供たち
撮影=市来朋久

繁子さんと眞さんは各小学校に「申し送り書」を手渡す時には、先に謝っておく。「うちの子達がご迷惑をおかけするかもしれません」と。

案の定、管理主義的な生活に馴染めない子もいるし、「授業が面白くないので、帰ろうと思います」と自由意志を表明する子もいる。通常の幼児教育を受けてきた子どもたちとは、振る舞いが違う。しかし、どの小学校でも必ず、こう言われる。

「小俣の子どもたちはみんな、5年生になると、グンと伸びますから。中学校を意識する頃に、小俣の子は大きく伸びていく。毎年、それがとても楽しみです」

小俣の子はチームワークを作るのが上手く、問題を自分たちで解決する能力が高く、納得すれば、とことんやる。できないままにはしておかない……、こんな小学校からの声を繁子さんも眞さんも、うれしく聞いている。

だから、子どもの一挙手一投足がどうなのか、気になってしまう保護者には、繁子さんは「大丈夫、大丈夫」と笑って応える。

「子どもが困ったことをしたら、『あっ、こんなことができるようになったんだ』って、一緒に喜びましょう。まりちゃん、今日、すごく喜んで遊んでたよ。今度、見にきてごらん」

こんな声かけが、子育てに右往左往する親に、どれほどの安心を与えてくれるだろう。

今が一番幸せ

今は眞さんが車で送迎してくれるようになったものの、相変わらず、一人暮らしがラクでいい。

「一人で好き勝手にやれるから、それが良くて……。ここ数年、ようやく、何も思い煩わされることがなくなって。本家のお嫁さんだから、いいお嫁さんをしないと、という時代からすれば、今が一番幸せですね」

「今が一番幸せ」と話す繁子さん
「今が一番幸せ」と話す繁子さん

嫁だけではない。3児の子育ての後、保育士をしながらPTAに教育委員、裁判所の家事調停員、市の女性問題懇話会座長など公職も引き受け、ずっと忙しく働いてきた。長年の功績から叙勲の話も出たが、繁子さんはあっさりと何の頓着もなく断った。

これからも週に数回、保育の現場に立つつもりだ。仕事を辞める気は、毛頭ない。

「自分にまだ何か、役に立つことがある限り、やっていきたいですね。卒園した子が6年生になって挨拶に来てくれたりすると、うれしいですね。あんな、ちっちゃかった子がって。ずっと仕事をしていくことに、嫌だなって思ったことはないですね」

健康には特に気を使うことはないが、とにかく丈夫。リトミックの研修に参加したとき両手首を骨折したことがあったが、あっという間に回復し医師に驚かれた。コーヒーには角砂糖を平気で5つ。甘いものが、とても好き。そんな繁子さんが頬を赤らめ、こう言った。恥ずかしくて、言葉に出したくはなかったのかもしれないけれど。

「元気の秘訣ひけつは、リトミックと読み聞かせですね」

黒川 祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション作家
福島県生まれ。ノンフィクション作家。東京女子大卒。2013年、『誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』(集英社)で、第11 回開高健ノンフィクション賞を受賞。このほか『8050問題 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(集英社)、『県立!再チャレンジ高校』(講談社現代新書)、『シングルマザー、その後』(集英社新書)などがある。

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