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家事が「嫌なもの」になってしまうのはなぜなのか【毎日が変わる片づけのワザ(159)】

  • 2023.10.26

整理整頓や片づけは、少しでも生活を快適にするために避けては通れない課題の1つですが、いざ取り組んでみたところで「なかなか片づかない…」という方は少なくないようです。そこで、整理収納アドバイザーとライフオーガナイザーの資格取得の際に学んだ内容から、仕事や家事、気持ちを片づけるときの基準にしていることを紹介します。

家事が「嫌なもの」になってしまうのはなぜなのか

山崎ナオコーラさんの「考える家事」を読みました。「無になってできるだけ効率よくこなしたいものとされることの多い『家事』を、あえて考えてやってみた」という内容です。

たしかに、心のどこかで、「家事をしている時間は自分が望んでやりたいことをしている時間ではない」「一刻も早く終わらせたい」と思っている自分がいます。そして、

「家事をやる時間もっと減らせたら、他のことができるのに…!」

と思ってしまう。その理由を、わたしも考えてみました。

思えば、大学時代に4年間、一人暮らしをしていたのですが、そのときは家事をやることがうれしくてたまりませんでした。毎日食材を買い、料理をして、片付けて、掃除や洗濯をして…という、今と同じ生活(両立していたものが仕事や育児ではなく大学という違いだけ)でしたが、このときは、「自分の力で(仕送り以外)生活を回している」実感があって楽しかったのです。

そして、一人暮らしだったら、家事は基本的には「自分でやるしかない」もの。でも、1人でも一緒に住む人がいて、その家で自分だけがほぼ家事をするようになったとたんに、家事が「あまりうれしくないもの」「人のために課された労働」「時短できるならした方がいいもの」「なんで自分だけがやらないといけないのか」と感じるものになってしまう気がします。

実際、わたしは結婚当時、特に娘を出産し仕事に復帰してからは、仕事と育児、家事との両立に疲労困憊していたこともあり、家事を楽しむことはできませんでした。元夫は、育児にはめちゃくちゃ貢献してくれたものの(それはそれでとてもありがたかったのですが)、残念ながら「家事」にはイマイチ協力的ではなかったからです。家族で週末に外出しても、帰宅後に夕飯の支度などのために動くのはわたしだけ。その間、父と娘はソファーでのんびりしている…ということも。

その後ろ姿を見ながら、「この家では自分ばかり働いている…」「今、わたしは家政婦(と言えるほどの家事品質ではないのですが)」と恨みに変わった瞬間を、離婚して10年以上経った今でも時々思い出します。あのとき、元夫に素直にそう伝えられていたら、一緒に改善できたかもしれないなぁ、ただただ恨みを溜めてしまったなぁ、という反省と共に。

ですが、娘と2人暮らしになってからは、また家事が楽しくなりました。いったん、「この家の家事は自分が引き受ける」と決めたからです。その代わり、自分のやりたいように回せるのでストレスもあまりありません。やりたいときに、やりたいように家事をしています。

わたしは、日曜日の家事が一番好き。だいたい、朝7時~9時(洗濯&掃除)と、12時~17時くらいまで(買い出し、作り置き、片付けなど)を家事にあてています。ずっと家事をし続けているわけではなく、間にちょこちょこ休憩(ときには昼寝)したり、オヤツを食べたり、好きな家事(わたしの場合は片付け)を間にはさんだりとゆるやかに。家で過ごす時間が好きなこともあり、この時間はまったく苦になりません。家を整えることは、楽しいです。

家事は、時間に追われたり、ヘトヘトに疲れていたり、やることが多すぎたりすると、かなりハードなので「ああもう嫌だ」となってしまいます。そうならないためにも、

・疲れているときはできるだけ家事をやらない(さぼらないと続かない)

・そのかわり心身共に余力があり「機嫌よく」できるときにやる

・まずは一番好きな家事から手をつける

などが、嫌にならないコツだとおもいます。わたしがこれからどういう家族構成になっても、これからも家事は続く。それなら、その時間を少しでも気持ちよく過ごせるように、家事の仕組み改善や(苦なく動くための)体力づくりを続けたい、と思っています。<text:なまけるための片付け/花太郎(整理収納アドバイザー) https://note.com/namake_kataduke>

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