1. トップ
  2. おでかけ
  3. ”おおらかな性の文化”だった春画はなぜ”タブー”になったのか?『春画先生』塩田明彦監督が春画の辿ってきた歴史語る

”おおらかな性の文化”だった春画はなぜ”タブー”になったのか?『春画先生』塩田明彦監督が春画の辿ってきた歴史語る

  • 2023.10.23
”おおらかな性の文化”だった春画はなぜ”タブー”になったのか?『春画先生』塩田明彦監督が春画の辿ってきた歴史語る
(C)2023「春画先生」製作委員会

江戸時代“笑い絵”と呼ばれていた春画は おおらかで明るく楽しいものでした

内野聖陽を主演に迎え、塩田明彦監督が江戸文化の裏の華である春画の奥深い魅力を描いた異色の偏愛コメディ『春画先生』。劇場公開中の本作より、塩田監督のオフィシャルインタビューと新規場面写真を紹介する。

塩田監督は春画について、「江戸時代、“笑い絵”と呼ばれていた春画は、おおらかで明るく楽しいものでした。今のようにこそこそ隠れて楽しむものではなく、オープンに見てみんなで一緒に楽しむメディアでした。その世界には影がありません。隠すものがなくて、夜でも昼のように明るい。隠すものや闇、見えない部分があることでドラマは立ち上がるものだけど、春画はあまりにおおらかすぎてドラマを起動させるための枷がないんです」と解説する。

そんな春画をテーマにどのような話を立ち上げるのか。夜な夜な春画を見ながら考えたという塩田監督。「こんなにも おおらかで素晴らしい世界なのに、西洋の倫理観や価値観、つまりキリスト教が入ってきたことで一転、タブー化され禁書にまでなってしまって」と春画がたどった歴史を振り返る。

しかし、それこそが物語を作る上でのヒントとなったという。「春画がたどった歴史そのものにドラマがあると思いました。おおらかな時代を経て、闇が出てきて、タブーとなり、全否定されてしまう。でも春画はヨーロッパに渡って印象派やエゴン・シーレ、クリムトに大きな影響を与えています。そういう流れを人物に託す。つまり春画先生は、江戸のおおらかさに誰よりも憧れ、愛しているけれど、現実には誰よりも今の倫理観に縛られて、禁欲主義的で、奥さんを絶対裏切りたくなく、一夫一妻制をきちんと守っている矛盾に満ちた人物」と明かした。

「なかなか綱渡りの作劇をしている」と、言葉を選びつつ語る塩田監督。「みなさんがドン引きする瞬間もあったかもしれません。でも、ドン引きする瞬間がないと最後もありません。いかに性や愛に対する価値観や倫理観が時代や文化によって変化していくのかを描きたいと思っていました」と熱弁し、「ここで面白い話をひとつ」と前置き。杉田玄白が「解体新書」を翻訳した際のエピソードを紹介する。「どう訳していいか分からない言葉にぶち当たったそうです。その言葉とは“愛”。今の僕たちが当たり前に思っている“愛”の概念すらが、当時の江戸にはなかったんです。僕たちが思い込んでいる世界とは相当違うらしい」と、江戸時代と現代では人々のものの考え方が大きく違うと語った。

また、映画に登場する渓斎英泉の絵にも触れ、「海が見える絵なのですが、なんか不穏だと思いました。それこそペリーの(黒船来航の)予感がしたんです。理由はあとで気づきました。葛飾北斎に先駆け、初めて“ベロ藍”と呼ばれるヨーロッパの絵の具を春画に使ったのが英泉なんです。その絵の具が使われ始めてから、少しずつ夜は夜として、闇は闇として描かれるようになり、人物の肌も立体化していきます。明暗がついたわけです。だんだん西洋に侵食されていくというのでしょうか…」と分析。

さらにペリーと春画にまつわるエピソードを思い出したと補足する。「大砲を持って圧力をかけてきたペリーに対して、穏便に交渉したい江戸幕府。当時、戦いに向かう際に持っていくと身を守ってくれる縁起物、ラッキーチャームとされてきた春画をペリーに贈ったという話があって。ところがこれを見たペリーが、これはなんだ!と激怒した。皆さんすでにご存じのように、春画は男性性器を笑うぐらい大きく描くわけで…これが今日に至るまでの日本とアメリカの関係性に影響を与えている?」と、国によっても価値観や倫理観が全く異なることを強調した。

文明開花以降、禁欲主義を強要された日本文化の変化については、「文明開化以降、日本古来のおおらかな性の文化が全否定されて、キリスト教的な禁欲主義が社会に流布していくと、北村透谷を始祖とするらしいプラトニックな“恋愛感情”を主題にした文学が生まれてきて、それがふっとねじ曲がって谷崎潤一郎の描いたマゾヒズム小説へとつながっていく。おおらかで伸びやかな性愛の欲望がいきなり外圧によってねじ曲げられたのだから、これはいわば必然だったはず」と語り、「つまりそれが先ほど語った春画先生こと芳賀一郎の抱える矛盾であり倒錯なんです」と結論づける。

本作の前半から中盤にかけては、のどかな江戸の空気が流れているが、一葉の登場と共に一気に倒錯の世界に入り込んでいく。「要するに一葉は黒船なんですね。そうして映画は文明開化以降の世界、江戸の大らかさの失われた一神教的倒錯の世界へ突き進んでいく」と続け、「でもここまで狙いを明かしてしまうと、ちょっと語りすぎかもしれません」と笑う。

とはいえ、キリスト教的な価値観を頭ごなしに否定するわけではなく、「僕自身キリスト教徒ではないけれども、その価値観、倫理観に逃れようもなく支配されているわけで、ただそのことをある歴史の流れの中で意識する。すると精神のフレームが少し緩んで、自由の風が吹き抜けていく。魂が少し軽くなる。大事なのはそこで、映画にはそういう役割もあるということなんですね」と作品に込めた想いを語った。

『春画先生』は現在公開中。

元記事で読む
の記事をもっとみる