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予言通り「記憶に残るレース」 マラソン130回目、川内優輝選手が激走

  • 2023.10.17
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悪天候の中、日本のトップ級が駆け抜けたマラソングランドチャンピオンシップ(画像はイメージ)
悪天候の中、日本のトップ級が駆け抜けたマラソングランドチャンピオンシップ(画像はイメージ)(J-CASTトレンド)

さながら「川内劇場」だった。2023年10月15日、東京都心で開催されたパリ五輪のマラソン日本代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」。36歳の大ベテラン、マラソン130回目という川内優輝選手(AD損保)が、35キロすぎまで独走を続け、沿道を沸かせた。

瀬古さんも「あっぱれ」

気温14度、激しい雨が降り続く悪コンディション。川内選手は、スタート直後からトップに立って、レースを引っ張る。5キロで7秒差、10キロで12秒差と、少しずつ2位以下を引き離していく。20キロ地点では後続との差は32秒に広がり、25キロでは41秒。完全に独走態勢となった。

出場していたのは、これまでのマラソンレースで好記録を出して、参加資格を得ている男子61人。東京五輪6位入賞の大迫傑選手や、日本記録保持者の鈴木健吾選手など、日本のトップ級が顔をそろえていた。川内選手は、年齢的にピークを過ぎていることもあり、ぶっちぎりの独走態勢を予想した人はほとんどいなかった。

30キロ手前になって、さすがにこれはまずいと思ったのか、大迫選手が2位集団のトップ付近に出て、川内選手を追いかけ始める。その差がじりじり縮まり、35キロすぎに、ついに追い付いてきた。

普通ならここで、一気に抜かれるところだが、川内選手は踏ん張った。トップ集団数人の中に残り、最後は大迫選手とデッドヒートを演じながら、4位でゴールインした。1位とは21秒、2位と12秒、3位の大迫選手とは7秒差だった。

レース後、日本陸連の瀬古利彦ロードランニングコミッション・リーダーは、「川内選手、よく頑張ったね。まさかの展開で逃げ切るかと思った。彼は日本のマラソンを盛り上げる1番手で立役者。彼に1番あっぱれをあげたい」と称賛した。

世界との差が縮まらない

この大会にかける川内選手の思いは、並々ならぬものがあったようだ。今年2月、アシックスの新シューズ「S4」の発表会見に出席した川内選手は、「記憶に残るようなレースをしたい」(スポーツ報知)と抱負を語っていた。

今大会2日前の13日に開かれた出場選手の記者会見では、「過去129回のフルマラソンの経験がある。世界選手権、アジア大会などいろいろ走ってきたので、経験を生かした走りを見てほしい」と改めて強い意欲を示していた。

学習院大学時代はほとんど無名。しかし、卒業後に埼玉県庁に就職した川内選手は、「最強の市民ランナー」として頭角を現す。定時制高校の職員を務めながら、マラソン練習に励み、13年には別府大分毎日マラソンで優勝。その後、何度も世界陸上の日本代表になり、18年にはボストンマラソンでも優勝。国際的にも活躍してきた。

19年3月に県庁を退職し、同年4月からあいおいニッセイ同和損害保険と所属契約を結び、プロランナーに転向した。21年には、フルマラソン2時間20分以内100回達成の記録が、ギネス世界記録に認定されている。

いわばマラソン界の「現役レジェンド」ともいうべき川内選手。大会前の記者会見では、「(他の選手が)私に負けているようでは日本のマラソンが暗黒期に入ると思う」とも語っていた。

世界のマラソン界はこのところ高速化が進んでいる。男子の世界記録は2時間0分35秒。「2時間切り」が目前だ。

川内選手の爆走で沸いた今大会。コンディションなどの違いもあり、単純比較はできないが、1位になった小山直城選手のタイムは2時間8分57秒。世界との差が縮まらない。

レース後、川内選手は、「若い選手は勇気を出してほしい。これから海外のレースに出て経験を積んでほしい」(中日スポーツ)と、後輩たちに檄を飛ばしていた。

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