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【黒柳徹子】私がいちばん研究に研究を重ねて舞台で演じた女優、サラ・ベルナール

  • 2023.10.16
黒柳徹子さん
©Kazuyoshi Shimomura

私が出会った美しい人

【第18回】女優 サラ・ベルナールさん

マリア・カラス、キュリー夫人、マレーネ・ディートリッヒ……。私はこれまで、舞台で何人もの実在の人物を演じてきました。中でも、その人物像について、いちばん研究に研究を重ねたのがサラ・ベルナールです。19世紀の「ベル・エポック」と呼ばれた時代のフランスを代表する舞台女優で、片足を失って義足になっても、舞台に出演することを諦めなかった。文豪ヴィクトル・ユゴーには「黄金の声」と評され、さまざまな芸術表現を極めたジャン・コクトーにも「聖なる怪物」と呼ばれ、1923年に78歳で亡くなったときは、フランスで国葬になったほどの大・大女優です。

私がサラを演じたのは、今から26年前。1997年に、今はなき銀座セゾン劇場で、「ライオンのあとで」という舞台を上演することになったときです。サラの晩年を描いたこの物語は、70代になってもまだ舞台に立つために右足のひざから上を切断した、一人の女優の執念とプライドが描かれていました。「ライオンのあとで」というタイトルは、足を切断した後に彼女の許にやってきた仕事の内容に由来しています。アメリカから招待されたことに喜んだのも束の間、その内容はサーカスへの出演で、しかも「ライオンの後、象の前」だったのでした。サラはそのとき、自分が片足だということに気づいてハッとするけれど、気丈にも「ライオンの後、いちばんいいところじゃない」と答えて、彼女が得意としていた「ハムレット」をやることにします。そして、片足が効果的に見せられる、自分専用の動く舞台を設計させたのです。

私は、彼女を演じることになってから、なんとかして彼女の動いている映像を見たいと思い、いくつかの映像を手に入れることができました。それを見ていちばん驚いたのが、頭上に真っ直ぐに片方の手を掲げるシーンで、親指と人差し指と中指の3本の指だけを伸ばしていたこと。薬指と小指は曲げて、わざと見せないようにしていたんです。私は「おや?」と思って、なぜそうしたかを考えてみました。鏡の前でサラと同じポーズをしてみると、その方が手も長く見えるし、力強く感じられることがわかった。「ああ、手をあげるポーズ一つとっても、いちばんその役らしく見えるスタイルを研究し尽くしていたんだな」と思って、感動しました。

足を切断してからの映像も見たのですが、それも素晴らしかった。彼女が朗読か何かの後に立ち上がるとき、片足なので最初はカーテンを摑んで、それから椅子につかまりながらお辞儀をしていたんです。ゆっくり頭を下げて、顔を上げたその瞬間の表情が本当に艶やかで、微笑んだ顔は優美そのものでした。彼女には、勝ち気なエピソードがたくさん残っています。足を切断してまで舞台に立つことを望んだことも含め、「強い女」と言われることも多い人ですが、そのお辞儀の仕方を見たときに一瞬で「温かい心を持った人だな」ということがわかりました。私は両足で歩けるけれど、その映像のサラ・ベルナールは片方の足を失っていて、それでも堂々と立ち上がって、お辞儀をしていたのです。私が同じ境遇だったら、あんなふうにニッコリ笑えるだろうか。ついそんなことを考えて、涙が出そうになりました。

私の出演した芝居には出てこなかったエピソードですが、サラは、死ぬときもユーモアたっぷりでした。3月のまだ寒い時期のこと。臨終で彼女は、ベッドに横たわりながら、周りにいる人に、「新聞記者はまだ詰めているの?」と質問します。彼女の死を待ち構えている人たちが、建物の外に大勢集まっていた。部屋にいた一人が、窓の外に目をやり、「そうです」と答えると彼女は、「今まで散々私を悩ました新聞記者を、今度は私が苦しめてやる。足を冷やしてやるわ」と言ったんです。「まだ死なない」という意味ですよね。自分がもうすぐ死ぬとわかっていて、そういうことが言えるなんて……。強気な面もありますけど、ユーモラスですよね。強気とユーモアって、あまり共存する感じがしないから不思議なんだけれど、それも彼女の魅力の一つなんでしょう。

「ライオンのあとで」は、私が初演して21年後の2018年に、「黒柳徹子主演 海外コメディ・シリーズ」のファイナル公演として、六本木のEXシアターで再演されました。「海外コメディ・シリーズ」は30年で幕を下ろしましたが、私の舞台女優としての活動は続き、2020年からは「ハロルドとモード」という朗読劇がスタート。79歳の老夫人モードと19歳の青年ハロルドの、年齢差を超えたラブストーリーで、私がモードを演じるのは今年で4年目になります。でも、正解もなければ終わりもないのがお芝居。毎回、芝居が終わるたびに、「私はちゃんと役になりきれていただろうか?」と自問自答するのです。

サラ・ベルナールさん

女優

サラ・ベルナールさん

1844年生まれのフランスの女優。14歳でフランス国立音楽演劇学校(コンセルヴァトワール)に入学、コメディ・フランセーズを経て、普仏戦争(1870〜1871)の前後に、女優としてのキャリアをスタートさせ、ハムレットなどの男役も数多く演じながら、たちまち名声を確立。ヨーロッパ各地のみならず、アメリカ大陸での興行も行い、世界初の国際スターとなった。彼女が主演した「ジスモンダ」のポスターは、ミュシャの出世作にもなった。1923年没。

─ 今月の審美言 ─

「私が同じ境遇だったら、あんなにニッコリ笑えるだろうか。そう考えると、涙が出そうになりました」

Photo/Getty Images 取材・文/菊地陽子

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