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ひろゆき「見て見ぬふりをしてるのは貴方も一緒ですよね」…観客にも問題提起突きつける衝撃作『月』に各界著名人からコメント

  • 2023.10.16

世に問うべき大問題作が公開! 第28回釜山国際映画祭も大盛況

辺見庸の同名小説を原作に、脚本・監督に石井裕也、主演に宮沢りえ、共演にはオダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみといった布陣で製作した映画『月』。公開中の本作より、各界著名人の絶賛コメントを紹介する。

原作は、実際の障害者殺傷事件をモチーフにした辺見庸による同名小説。事件を起こした個人を裁くのではなく、事件を生み出した社会的背景と人間存在の深部に切り込まなければならないと感じたという著者は、〈語られたくない事実〉の内部に潜ることに小説という形で挑戦した。

監督を務めたのは、コロナ禍を生きる親子を描いた『茜色に焼かれる』(21年)、新作『愛にイナズマ』(23年)など、常に新しい境地へ果敢に挑み続ける石井裕也。10代の頃から辺見の作品に魅せられてきた彼は、原作を独自に再構成し、渾身のパワーと生々しい血肉の通った破格の表現としてスクリーンに叩きつける。

深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢)は、“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリ)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。

施設職員の同僚には作家を目指す陽子(二階堂)や、絵の好きな青年さとくん(磯村)らがいた。そしてもうひとつの出会い──洋子と生年月日が一緒の入所者“きーちゃん”。光の届かない部屋で、ベッドに横たわったまま動かない“きーちゃん”のことを、洋子はどこか他人と思えず親身になっていく。

しかし、この職場は決して楽園ではない。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにする。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだ。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく。そして、その日はついにやってくる。

10月13日に公開を迎えた本作。第28回釜山国際映画祭(10月13日まで開催)でジソク部門にも選出されており、サンパウロ国際映画祭(10月7日)、KINOTAYO現代日本映画祭(10月10日)、広島映画祭(10月9日週)など国内外の映画祭での上映も決まっている。そして今回、一足先に本作を鑑賞した映画評論家、ジャーナリスト、芸人、タレント、作家など、各界の著名人からコメントが寄せられた。

■武田砂鉄:ライター

あの表情、つまり、「生産性がないんだから」と開き直った彼の顔に、
私たちはどんな言葉をぶつけることができるのだろう。

■西村博之(ひろゆき):元2ちゃんねる管理人

『人の命は平等』と嘯く人も、自分の手は汚さず、誰かに負担を押し付ける社会。そして、見て見ぬふりをしてるのは貴方も一緒ですよね、、と、観客まで立場を問われる映画。

■雨宮処凛:作家、『相模原事件裁判傍聴記「役に立ちたい」と障害者ヘイトのあいだ』著者

「彼」はおそらく嗅ぎつけていたのだ、私たちの中にある「内なる優生思想」を。見る者すべてが試され、揺さぶられ、問われる覚悟の一本。

■岩井志麻子:作家

きれいごとの何が悪い。事実の追求や真実の究明より、きれいごとをいかに事実や真実に近づけられるか、そこに懸命になることが生きることであり、そのきれいごとを信じられるのが人間である

■シトウレイ:ストリートスタイルフォトグラファー/ジャーナリスト

意思疎通が図れない人間は生きる権利があるのか否か。
その答えを見る人に投げかける。
理性や善意、倫理や好意。
自分自身の価値基準が(図らずも)炙り出されてしまう作品。

■ダイノジ・大谷:芸人

なんと切実な映画なのだ。
人間の猛々しい剥き出しの慟哭が刻まれたような映画だ。
いつもそうだ。
月はいつも僕たち人間の隠しておきたいことや伏せておきたいことを照らしてきやがる。
本当は見たくなかった映画なのかもしれない。
そうか、この映画『月』こそが月そのものなんだろう。
僕に突きつけてくる。我々が加害者でないと言い切れるのか、と。
後ろめたい自分を炙り出す。
きっとどうしようもなく悲しいけどどうしようもなく
優しいものなんだろう、人間というものは。
生きることを諦めてしまわぬように人間を諦めてしまわぬように。
見終わって今も祈り続ける。
見て本当によかったと思えた映画でした。
さぁ僕はどうしようかな。
それでも僕はやっぱり言いたいのよ、世界は素晴らしいと人間はきっと優しいものなんだと。
希望を捨てるなと月が今日も僕らを照らすよ。

■フィフィ:タレント

私たちは障害者の気持ちに寄り添っているようで、見たくないものは見ないし、聞こえない声には耳を傾けない。
綺麗事ばかりで嘘つき、この世の中こそが普通じゃない…そう何度も問われて、本心が抉(えぐ)られていく。

■北條誠人:ユーロスペース支配人

私がいちばん惹かれたのはこの作品がもっている覚悟です。
決して気持ちよく見続けることのできる作品ではなく、否の声も多々でてくるくることと予想されます。ただ見続けていくことで、役者さん、とりわけ宮沢りえさんの表情や陰影が深い撮影、思い切りのいい編集、セリフの息づかいなどかなりの覚悟で臨まなければこれだけの作品には仕上がらなかったと思います。
石井裕也監督の今の気持ちが強烈に伝わってきました。

■佐藤幹夫:ジャーナリスト・作家

以前、「辺野古・フクシマ・やまゆり園」というタイトルの原稿を書いたことがある。いずれも戦後の長きに渡って、私たちの社会は、ここにある過酷な現実を「なかったこと」にしてきた。豊かで快適な暮らしを送るためである。

ところがある時期から、その現実が「目をそらすな」と叛乱を起こし始めた。津久井やまゆり園事件という、重度障害者施設やそこで暮らす人々の問題もそうである。私などのようにこの業界で50年も生きてきた者にとっては、今ごろになって「重度障害者が…」などと騒がれると、皮肉の一つも吐きたくなるのだが、ともあれ、まずは本作を見ていただきたいと思う。

賛否はいろいろとあるだろう。自分の中のどろどろしたものが引き出され、顔をそむけたくなり、つい席を蹴って立ち去りたくなるかもしれない。それでも最後までここに描かれた現実と(つまりは皆さん自身と)、向き合っていただきたいと思う。

私がぜひとも注目してほしいと感じたところ。俳優さんたちの「虚実」のあわいで揺れ動く、むしろ苦悶さえ感じさせる表情(これまで、「キレイゴト」をめぐる不安や怖れがこのように演出された例を、私は知らない。この映画は「表情」の劇ではないかとも思えた)。そして時に映し出される、重篤の障害をもつ当事者の人たち。彼らは自身の「存在そのもの」を訴えるような、まっすぐなまなざしをこちらに向けていた。私は、よくこんな絵が撮れたものだと、しばし感嘆した(じつは彼らこそがこの映画の「陰の主役たち」ではないか。そんなこともまた考えた)。

そしてもう1つ、監督は文字通り死に物狂いになって、ひとかけらでもいいから、どこかに「希望」はないのかと苦闘しているように思えた。本作には、原作にはないいくつかの仕掛けが施されているのだが、2つだけ挙げるならば、1つは冒頭のシーンが示すように東日本大震災とまっすぐにつながっていることである。もう1つが、カップルを含む「三様の家族劇」としたことである。そこに重要なヒントがあるのではないか。私はひそかにそうにらんでいるのだが、ともあれ「希望の有無」をめぐる答えは、劇場を出た後の皆さんにゆだねられることになる。「月」が照らすのは、じつは皆さんや私の姿でもある。

『月』は現在公開中。

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